休日の兄妹は。
家事は基本溜めないことにしているので、休日だからと急に忙しくなることはない。
なにしろ家を空けがちな両親だから、その分お金は有り余るほどに用意してくれている。あれこれ気兼ねして買い物をしなくてもいいし、なんなら毎日それなりの食事をしたってお釣りが来るくらいだ。
それくらいのことをさせている、と彼らは申し訳なさそうに言うけれど、自分としちゃあそれほどのことでもない。
だってそうだろう、うちの隣には母方の祖父母が住んでいて、週に一度は様子を見に来てくれるんだ。
「おじいちゃん、お茶ー」
「おぉ、ありがとうなぁ。すっかり大きくなって」
「先週会ったばっかだよぉ」
毎週「大きくなった」と笑顔の祖父に、妹は笑顔で受け答えをする。優しい祖父母だから、俺もまちも、結構懐いている。
「手際がいいねぇ、衛ちゃん」
「まだまだ。ばあちゃん、座ってていいよ」
「孫に任せきりじゃあ、かえって落ち着かないよ。やらせてね」
「……毎週やってるね、このやり取り」
「孫に会ってる、って感じがして、私は好きよ」
四人分の昼食を二人で用意するこの時間は、俺も結構好きだ。料理十年選手の俺も、五十年選手にはまだまだ遠く及ばない。ばあちゃんからは学ぶことがたくさんある。
「おにぃ、おばあちゃん、次はー?」
「おじいちゃんのお話相手になっててくれる? 寂しがりやさんだから」
「はぁい」
まちのあしらい方も、さすがの一言だ。
少しずつ白髪の混じり始めた長い髪を、襟足近くでお団子にして。もう還暦を過ぎてそこそこが過ぎるけれど、まだまだ動きは若々しい。料理の手際も良くて、何より、俺の動きをよく察してくれる。それなりに広いキッチンではあるけれど、まちと二人じゃあこうも自由には動き回れない。
今日のメニューは里芋の煮っころがしと焼き魚、それからほうれん草のおひたし。春キャベツと鶏団子の味噌汁に、白米。
祖父母が来ると大体こんな感じの和食だから、日頃は洋食に偏りがちになる。そしてまちは、ばあちゃんの味噌汁が大好きだ。
「さ、できた」
「運ぶから、座ってて」
「そうね。こぼしたら大変」
そこまで老いちゃいないだろうに、この人はいつも人に気を遣わせない物言いをする。
「まち、運ぶぞ」
「はぁい」
寂しがりやのじいちゃんには、しばし辛抱してもらおう。
運んで、運び終えて、四人揃って「いただきます」。この瞬間はやっぱり好きだ。いつも二人の食卓が、週に一度はにぎやかで、まちもいつもより楽しそうだ。
「昨日ライブでねぇ、初めておにぃ来てくれたんだぁ」
「まぁ、よかったわねぇ。衛ちゃんも、またどういう心境の変化かしら?」
「友達がまちのファンだったみたいで。……付き添い、みたいな」
厳密に言えば違うけど、ばあちゃんに「推しがどうの」と言っても通じる気がしない。
「ファン、なんて聞くと、本当、アイドルやってるって実感するわね」
「そうだよぉ。衣装着た写真あるよ、見たい?」
「ご飯、終わったら見せてね」
「うん!」
もう何度も見せてるけど、新しい衣装が出るたびにこんなやり取りをしてるんだ。
同じようなやり取りをして、同じように過ごして、二人はにこにこと笑顔のまま帰っていく。
料理の手伝いくらいで、家事のほとんどはしてもらっていない。最初の頃は「やろうか」「やるよ」と言ってくれていたけど、固辞していたらいつの間にか言わなくなっていた。
家のことだから、という気持ちもまぁ、まったくないわけじゃない。あんまりやってもらっても申し訳ないし、頼り切りになってしまうのが怖いというのもある。
けど結局一番の理由は、俺は家事が好きなんだよなぁ。家事が、というより、妹の世話が。
「まち、買い物行くかー?」
部屋でくつろいでいるであろうまちに、階下から大声で呼びかければ「いくー」と大声が聞こえる。
バタバタと降りてくる妹を玄関で迎え、揃って出て鍵をかけ、街に繰り出す。
俺達の住む街は、なんというか、昨日行ったライブハウスのある街と似たような印象だ。つまり田舎とも都会とも言えない、半端な。
近所のスーパーもそれなりの規模で、それでもまぁ、必要なものは十分に揃う。
そこまでの道も閑静な住宅街が続き、人通りも車通りもまばらだ。スーパーが近づくとにわかに人も車も増えだして、自然と会話の声も大きくなる。
「おにぃも和食うまくなったよねー」
「まぁ、ばあちゃんに色々教わってるしな」
「お味噌汁免許皆伝も遠くないかな」
「それはもうとっくにもらってるぞ」
「えぇ?」
もう教えることないわねぇ、なんて笑っていたのは中学卒業間際の頃だったか。それを免許皆伝と言っていいのかはわからないが、確かにそれ以来、あれこれ口を出されることがなくなった。
「まぁ、俺がたまに作ると、まだまちに気づかれるけどな」
「それは私がすごいからだよ。おいしいよ」
「はいはい」
「ほんとなのにぃ」
別に疑っちゃいないよ、と苦笑いすると、まちは察したように笑う。
「オムライスはおにぃが一番」
「そりゃどうも」
オムライスはまちの大好物。中身とろとろのオムレツみたいなのを、チキンライスの上に乗っけるタイプのやつだ。まちはあれをナイフで開く瞬間に幸せを感じるらしい。
なんつっても、一番練習した料理だからなぁ。
「じゃあ今日、作るかぁ」
「お、なんか大盤振る舞いだなぁ」
「推しとライン交換できたしな。報酬みたいなもんだ」
「おー。なーちゃんに感謝だ」
そうと決まればと材料を頭に思い浮かべる。
卵、玉ねぎ、人参、それから調味料は確かあったはず。あとはピーマンと鶏もも買えばいいか。
あとのメニューは、野菜とかを見ながらその場のノリで。
「よし、まち、俺が言うものをかごに放り込め」
「はぁい」
スーパーに到着。かごを手に取って、まちと一緒にまずは生鮮食品コーナーに。きょろきょろと辺りを見渡し、オムライスの味を舌に浮かべて、唸ること十秒。
「かいわれ、しょうが、ピーマン、キャベツ」
速歩きで目的に向かうまちを横目に、歩きながら改めてコーナー全体を見渡す。
休日のお昼過ぎ、さすがにそこそこの人手があり、歩く人立ち止まる人、それを縫って歩くのは気を遣う。そういう意味じゃ、人のいない場所で悩みながらまちを走らせるのは非常にやりやすい。
まちには悪いが、少しだけ使わせてもらおう。
「もってきた。いい悪いわかんないけど、いい?」
「なんでもよし。そうそう悪いものなんかないよ」
「そういうもんかぁ」
もちろんいいものに慣れた美食家に言わせればそうでもないんだろうけど、うちにそんな舌の肥えた人間はいない。
「あと鶏肉と、えーっと、牛乳もなかったっけ。それくらいだから、まち、おやつは?」
「いらない。おにぃ作ってくれるのでいい」
「なんだ、かわいいやつめ」
「えへへぇ。何より頻度がちょうどいいよね」
「正直なやつめ」
カロリー計算、なんて小難しいことはしていない。けれど、アイドルであるまちに過剰なカロリーは取らせられないと多少の工夫はしているつもりだ。
そうして歩き回っていると、横目に惣菜コーナー。あまりお世話になることのないその場所に、見知った顔があるのを見つけた。
「裕二」
「ん? おお、衛……と?」
「妹のまちです」
「……おぉ、噂の」
「うわさ?」
「お前がかわいいって話だよ」
「えー? まぁ、知ってるけど」
自覚は、そりゃあアイドルなんだから、なきゃおかしいわけだけど。それにしたって自信に満ち溢れたこの表情はどうだ。殴りたくなってくる。
「あ、そうだ。こないだの詫びをしようと思ってたんだ。どれ買うん?」
「え? 詫び? ……あー、あんくらいで詫びとか、相変わらず律儀なやつ」
「……そうか?」
「おにぃは律儀。くそまじめ」
「だよなぁ。口の悪さでバランス取ってるつもりらしいよ」
「笑っちゃうよねー」
君たち、初対面のはずだけど仲良いね。
「まーでも、そういうことなら受け取っとこう。……だが、ここまで来てスーパーの弁当じゃちょっと侘しいよな」
「そうか? うまそうじゃん」
「衛くん、僕、君の手料理が食べたいな」
「……うわぁ」
引くわ。なんならまちも引いてるわ。
「いやだって、お前の弁当、去年から興味あったんだよ。くっそうまそうじゃん」
「くっそうまいよ! 今日はオムライスなんだー」
「いいじゃん。それで手を打とう」
「……まぁ、まちがいいなら俺はいいよ」
「いいよぉ。食卓がにぎやかなのはいいことだ」
「よっしゃ。じゃあ、五時頃お邪魔するわ」
「おう。弁当間違って買うなよ」
「お前じゃねぇんだから」
そんなドジなイメージないだろ。律儀でくそまじめって、さっき言ったばっかりじゃねぇか。
呆れた視線を二対、浴びながらもまったく悪びれず、裕二は笑顔で去っていった。
「さっぱりした人だねぇ」
「まぁ、いいやつだよ」
「おにぃが言うならよっぽどだ」
そうか? 俺のいい人判定、結構ガバガバだと思う。
とりあえずそうなってくると材料を追加しなくちゃな。来た道を引き返し、買い物を再開する。
それにしても……。
友人を家に招くって、何年ぶりだろうなぁ。




