表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/57

きみにおくるうた。




 人気上昇に伴って、まちこは拠点をファミーユから移した。理由は単純で、キャパが足りなくなったからだ。純アイ主催の対バンライブをしたあの箱に移したわけだが、もはやそれさえも埋めそうな勢いで、最初は驚いたものだ。配信等々の数字からではわからない、生の実感――彼女の人気が本物であると、その熱気を感じて初めて実感できた。

 あの時の三組のアイドルを置き去りにしたまちは、それでも彼女達との交流を絶ったわけではない。何しろ元々がなぎさと同じ「ソロ気質」で、だからこそコラボした人達との縁は特に大切に思っているようで。

 それを施しだなんだと邪推するファンもまぁいなくはないけれど、それでも少しずつ伸びている三組は、やっぱり強かなアイドルなんだなぁと感心すらしてしまう。

 大切に思っている、というならファミーユだって例外じゃない。何しろ駆け出しの頃からずっとお世話になっているライブハウスで、スタッフの方々とだってそれなりに交流も多かった。小さなライブハウスらしいから、それこそ巣立っていくアーティストなんてのは山ほど見てきたのかも知れないけれど。

 ともあれ有名になってからの「凱旋ライブ」、なんてのも時折聞く話ではある。恩返しというか、里帰りというか、巣立った箱とはいえ思い入れも深いのだろう。

 まちこも、その凱旋ライブなるものをするらしい。

 もうすぐ彼女も二十歳になる。成人、というならもう既にしているけれど、それでもやっぱりその年齢には不思議と「節目感」のようなものがあって、それを前にいわゆる区切りをつける、というような理由だ。

 もっと言えば春、出会いと別れの季節。新しい門出に、エールの意味も込めて。

 ――というのが、表向きの理由だ。

 ずっと以前から応援してくれているファンは、このライブにどんな意味が込められているかよく知っている。配信なりライブなりで、まちこの兄、つまり俺が遠くに引っ越すことは既に周知の事実。何しろまちが生きてきた十九年と少し、二人遠く離れたことは一度だってない。旅行だのは除いて、ではあるけれど、そりゃあ並々ならぬ想いがあって当たり前だ。

 つまりこのライブは、おにいバイバイがんばってね、というただそれだけのものである。

 ブラコンアイドルは卒業したんじゃなかったのか、とは思うものの、それだけこのイベントが特別だってことだ。だからこそ「ファミーユ(家族)」で、だからこそ小さな箱で、そしてだからこその招待制ライブ。

 諸々の注意条項が記載されたサイトから、それに同意した人が応募し、さらにその中から抽選で選ばれたたったの百人。

 その注意事項の中には、まちこが以前どういうアイドルだったかを知っている、といった趣旨の記述もある。

 つまり、「今日のおにい」みたいなバカげたコーナーがあって、観客がそれに沸き立つ、あのシュールなライブをもう一度ってことだ。

 当然ながら俺となぎさはそんなサイトをすっ飛ばして招待されている。恐らくこのライブに訪れている観客も、俺達がまちこのなんであるかを知っているだろう。

 最初に見た時は――いいや、なんだったらブラコンアイドルを辞めると言い出したその時まで、ずっとこの空気感は慣れることがなかったけれど。ついていけねぇなぁ、というか無理だろうなぁ、なんて思っていたけれど。

 いざその輪の中に立ってみると、そして古参のファンに声をかけられたりしていると、なんだかこみ上げるものがあるんだよな。

 なぎさに至っては、既に目を潤ませている。

「お前のお別れライブじゃないだろ」

「だってぇ」

「まぁ、ちょっと実感湧いてくるよな」

「うん。ライブ楽しみなのにめっちゃ寂しい。感情バグってる」

「とりあえず、壁の方行くか」

 頷くなぎさの手を取って、向かうのは中央付近の壁際だ。

「……初めて一緒に行ったライブ、思い出すな」

「そだね。ここがおすすめだよって、あたしが」

 あの時はライブハウスそのものが初めてで、我ながら笑えるくらいの挙動不審だったに違いない。なぎさは呆れるでもなくあれこれと教えてくれて、おかげで初めてのライブを存分に楽しめた。

 あの時と同じようにドリンクはさっさと飲み終えて、俺達は雑談をしながらその時を待った。あの時と違うのは、手を繋いだままだってことくらいだ。

 やがてライトが消え、ステージの上で物音が立ち始める。いよいよ開幕だ。

 あの時と違う、といえば、やっぱりまちこを取り巻く状況そのものだ。何しろ今や人気アイドルで、この二年の間にたくさんのオリジナル曲を自分のものにしてきた。一ライブ辺り二十曲前後の内、半数程をオリジナルだけで回せるようになったほどだ。

 ステージの上、灯ったライトに照らされたまちこ。暖かな黄色のライトと落ち着いたトーンの前奏の中、柔らかく微笑む妹が、どこの誰を見るでもなく、皆を見ている。

 ぎゅう、と繋がれた手に力がこもる。

 一曲目は大事なつかみ。盛り上がる曲、インパクトのある曲、耳に残るイントロやリフ、とにかく客を惹きつける為に多くのアーティストが苦心するところだ……と、まちが言っていた。

 あえてのこの選曲。穏やかで優しく、包み込むようなバラード。

 春の訪れを歌ったシンプルな詞。町を歩く少女が街路樹に咲いた花を見つけ、ふと吹く風にその香りを感じる。

 まちこの歌声は柔らかく、花咲くようにライブハウスに広がっていく。

 出会いも別れもなく、ただ春に花咲くを歌っただけの、美しい歌。

 陽射しを思わせるライトはやがて柔らかな桃色に変わり、歌い終わると緩やかに暗転していった。

 隣に立つなぎさからため息が漏れた。それに倣うでもなく、自然と俺の口からも同じようにそれがこぼれる。

「一曲目、『花風に春』でした! みんな癒されてくれたかなー?」

 同意の声が上がる。さすがに古参の多い会場だけあって、よく訓練されているというか、なんというか。

「みんな何となく察してると思うけど、このライブは、何を隠そうおにいを見送るライブです!」

 もはや隠すつもりすらないまちこに、誰一人戸惑う様子もなく、なぜか上がる歓声。そんなシュールな光景にも、驚かなくなってもうどれくらいだろう。

 なぎさと一緒に何度も通ったライブ。何度かは、一人で行ったこともある。

「寂しいけどまぁ、なんといってももうおにいがいなきゃだめ! なんて年齢でもなくなっちゃったし」

 そんなことないよー、と声が上がるものの、まちは「あはは」と笑うばかり。

「なのでここは一つ、私にしかできないエールを送ってやろうって感じで、やっちゃった!」

 当然ながら、そんな職権濫用のようなライブでも、ここにそれを咎める者はいない。ライブハウスのスタッフ含め、むしろ好意的だっていうんだからありがたい話だ。

 では彼らにとって今のアーティスト路線は物足りないのか、という疑問はないでもない。

 けれど俺の為に開催してくれたこのライブを、そしてそれを見る為に集まってくれたファンも含めて、今は全霊でもって楽しまなくちゃ。

「じゃあ二曲目、聞いて下さい」

 そんなこんなで合間合間にMCを挟みながら、一曲一曲を丁寧に歌っていく。

 四曲目くらいで気付いた。セトリを見直して、確信した。

 切ないだとか悲しいだとか、そういう「負の感情」を想起させる曲が一つもない。彼女は歌唱力を売りにするアイドルであり、その表現力はプロの折り紙付きだ。であればオリジナル曲にもそういう曲はあるし、得意とするカバー曲の中にも当然ある。

 だから、今日はそれをあえて外してあるってことだ。

 人生色々、悲喜交々。いいことも悪いことも、全て含めて人生だ。全て含めて、それが人というものだ。

 ――なんて一般論は置いといて、今日は前向きに楽しもう。

 そんなまちのメッセージを感じる。

 ライブが始まった時から、いやもっと前から、奇妙な寂寞感が胸にあった。奇妙、というと少し違うか。その正体は、それを抱いた時からはっきりしてる。

 そりゃあもちろん、家族の下を離れて一人違う街に行くという寂しさもある。それから、まちがすっかり自分を必要としていない大人になった、プロフェッショナルになった、という実感も。それを後追うかのような自分の現状も含めて。

 それをなんだか、緩やかに融かされているようだ。

 曲調も様々、テーマも様々。けれどどれも前向きに元気をくれる曲ばかりで、まちの表情はずっと笑顔のまま。優しい微笑みも、弾けるような快活な笑顔も、どれも見慣れた妹の顔で。

 俺の手を握るなぎさの手が、静かに動く。もぞもぞと組み直されて、指を絡めていわゆる「恋人繋ぎ」に。ぎゅ、と力が込められると、なんともその密着感が癖になる。

 なんだかんだ長いこと一緒にいると、あれやこれやと見抜かれるもんだ。それがまた心地よくもあり、照れ臭くもあり。

 だから、俺もその手を握り返した。

 ライブは順調に進み、盛り上がりはじわじわと染み入るように、伝播するように高まっていく。「俺の為に」なんて言うけれど、だからと言ってまちこが他のファンを蔑ろにするような真似をするはずもない。

 半分を終えて折り返し、それでもなお冷めやらぬ熱。

 歌を終えたまちがスーッと息を吸い、始まる次のMCは。

「今日のおにい」

 出た。

 もう慣れたとはいえ、実に一年ぶりのそのコーナーは、やっぱり少し照れ臭い。

 盛り上がるファン――当然なぎさを含めて、そこから少し切り離されたような気分になるのも、相変わらずだ。

「今日のおにいは、言葉少なで、でもお昼ご飯を作ってくれたんだ。お父さんお母さんが帰ってきてから、二人が作ることも増えてきたけど、やっぱり私にとってお家の味っておにいの料理なの。いつもよりほんの少しだけ豪勢でね、『うまいか?』って、すごく優しい声で……」

 そこで少しだけ言葉に詰まったまちは、けれどそこで涙を流すようなアイドルじゃない。

「最初は私よりも緊張してたおにいも、もうすっかり慣れて普段通り。それがなんだか……ね、あはは。『私』と『まちこ』で分かれてたのが、なんだかやっと地続きになったっていうか」

 ああ、それはよくわかる。事実その通りだとも思う。

 ライブに通い始める以前は、「machico」という存在とまちが繋がっていなかった。どこか遠くで、よくわからない活動をしているアイドルで――

 今は違う。まちとまちこは融けて混ざり合って、それがどちらも彼女だと理解できる。

「まだおにいが家にいない、っていうのがまだ想像できてない、というか、実感できない、というか。ものすごく寂しくはあるけど、でもなんだかそれもふわふわしてて」

 十九年、ずっと一緒だったもんなぁ。

 好きを隠そうともしない可愛い妹は、もうすっかり大人の女性だ。それでもなおこうして「おにい」「おにい」と子供っぽいところもあったり、相変わらず可愛く思ってはいるけれど。

 一歩先を行かれている、という自覚はある。

 今なら彼女の気持ちがよくわかる。自分より大人に見える家族に、負けない自分でありたい。

 彼女が「自分」を貫いて努力を続けたように、俺も。

「でも大丈夫! なんといっても、今日もおにいはおにい、だったからね!」

 遅れようが先を行こうが、まちはまち、俺は俺。家族ということに変わりない。

 上がる歓声に戸惑うよりずっと、胸に湧き上がる何かがあって。

「よかったね」

 と笑うなぎさに、そうだなと笑い返した。

 続くライブ。盛り上がりは最高潮へ。

 近しい人への感謝を歌った『Thank you Any』。

 これぞアイドルソングという王道の、前向きなアップテンポナンバー。人生を楽しもうとエールを送る、見る人聞く人を元気にするような。笑顔は朗らかに、声色は高らかに、その身を軽やかに躍らせて。色とりどりのライトが、その彩りを多様に変えながらステージに華を添える――初めて見たライブの初めてのまちこの歌――『まちこがれ』。

 ありがとう、また会う日まで。

 そんなメッセージを込めた二曲で、ライブは締めくくられた。

 なぎさはもう言葉もないくらいで、俺の腕にすがりついている。

 俺はと言えば、なんだか心ここにあらずというか、ちょっとした放心状態だ。涙も出やしない。可愛い恋人の涙もなんだか遠くの出来事のようで、我ながら冷たいかななんて思ったりもするけれど。

 純粋に、アイドル「machico」の凄み(・・)のようなものを感じて、呆然としてしまっただけ。

 見せつけられた以上は、ああ、見せつけてやらなくちゃいけない。

 ステージ上のまちこ(・・・)に挑みかかるように視線を向ければ、不思議と彼女と目が合ったような気がした。

 にやりと悪い笑みを浮かべたまちこが最後のMCを終える。


「みんな、これからもよろしくねー! あ、おにいだいすきー!」


 ついでみたいに言うな。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ