表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/57

明日に向かう今日の。





 時折、こうしてなぎさの部屋のキッチンに立つ。

 世間の休日は、配信者にとっての稼ぎ時。土日は長時間配信をすることも多く、どうしたって宅配に頼りがちだ。それでもなぎさはしっかり者で、自分なりに野菜等々摂ってはいるようではあったけれど。

 やっぱり心配で、それとなれば作ってあげたくなるのが人情……なんてのは建前で、結局のところ俺という生き物は、人に飯を作って喜ばれるのが好きな性分なのだ。自己満足と言われようが別に構わない。俺が喜んで作れば、なぎさはうまいうまいと喜んでくれる。誰も損していない、ウィンウィンの関係だ。

 今日は少しだけ豪勢に。いつもの違うのは、隣になぎさが立っていること。

 フライパンを片手に、慣れた手つきで料理しているのは、俺が教えたオムライス。まちの大好物だ。

 俺が料理するのは生ハムとルッコラのサラダに、カキフライ。もう随分前になるけど、三人で行ったバイキングで言っていた、なぎさの好物だ。

 言葉はなく、ただ無心に料理に向かう。食べてもらう人のことを、なぎさのことを考えて。彼女はきっと、俺のことを考えてくれている。

 なぎさの子供舌は相変わらずで、味付けは濃い目の方がいい。とはいえ健康面には気を付けて、塩分や脂質は摂り過ぎないように。俺がそうやって気を付けるようにしていれば、彼女はきっと自分でもそうしてくれるようになる――なんて、淡い希望も抱いて。

 ああ、でも、心配だ。

 二十歳の春、俺は生まれ育った町を離れることになった。

 先生に紹介された製菓学校は運良く県内で、電車通学ながらも二年間きっちり通うことができた。いくつかの資格も取り、パティシエになるというだけなら可能、というところまでは来た。

 とはいえ、まだまだ足りないことだらけ。技術も知識も、それから資金もコネも。

 こういう言い方をしたくはないが、何より俺が一番欲しかったのは()だ。「箔がつく」の箔。

 なぎさもまちも、今も変わらず俺の夢に協力的だ。もし仮に個人で開店する日が来たのなら、その宣伝には惜しみない支援をと言ってくれている。

 あの日、ゲーム関係者とのコラボ以降、まちとなぎさの人気は伸びる一方。押しも押されぬ人気アイドル、人気配信者だ。トップ層、とまではいかないまでも、地上波テレビで取り上げられることもあったっけ。

 無名のパティスリーに、そんな人気者二人が惜しみのない支援をして、そのファン達は「じゃあこっちも応援します!」となるだろうか?

 そうはならんやろ、としか思えない。

 まちを推すなぎさ、という構図は、そりゃあ成功した。多少の批判はあったものの、おおよそ好意的に受け止められ、相互に数字を伸ばす結果になった。

 でも、それとは違う。

 当時から「表」と「表」だった二人に比べ、俺はあくまで「裏」――あるいは「影」の存在だった。

 まちこの兄。どうやら料理とお菓子作りが得意なシスコンらしい。

 なぎの彼氏。まちこの兄なのは確定情報。なぎの配信や写真投稿にも、たまに料理やお菓子が登場するようになった。

 あんまりにも応援する要素が乏しいだろう? だから、それに見合う箔が欲しい。

 そもそものところ、まちこがブラコンアイドルだったのも今は昔。彼女ができたというのも手伝って、高校卒業を機に、いわゆる「アーティスト路線」に舵を切ったのだ。だからこそ、俺の料理やお菓子が「まちのもの」から「なぎさのもの」へと移っていった――

 もっと大きな街に出て、「これぞ」と思ったプロの下で修業し、学び、実践し、そして得る。

 既に修行する店は決まっていて、先方とは色々と話し合っている。修行だ、十年下積みから――なんて時代じゃない、それぞれの生き方に合った道があるよ、ということらしい。ただし短ければ短いほど、それに見合った密度は必要になる。

 三年。それで済まそうと思うなら、それ以外のことを考えている暇はないと思った方がいい。

 即決した。どのみちなぎさもまちもいない街で、あれやこれやと考えているのは性に合わない。もちろん大きな街だから誘惑も多かろう、行ってみないとわからないことも多い。

 でも、昔からそうなんだ。今でこそ少しだけ外交的にはなったけれど、だからといって「まちの為」と生きてきた過去を後悔したこともない。あれはあれで、本当に楽しい時間だったんだから。

 じゅうじゅうと、卵を焼く音がする。漂う香りに油も混じり、どうにも食欲をそそる。

 オムライスは、なぎさが特に練習した料理だ。俺が最初に教えた料理で、なんといっても推しの大好物。もうまちが認める腕前で、「これは認めざるを得ない」なんて笑ってたっけ。

 そんな遠野家特攻のなぎさと、三年間のお別れだ。

 油のはじける音に混じって、ず、と鼻をすする音が聞こえる。順調に交際を重ねて、もうすっかり落ち着いた恋人の様相だ。遠野家の一員、のような空気さえ感じることもあり、こうしてキッチンに並んでいると、不思議としっくり来るというか、落ち着くんだよな。

 最後の晩餐、なんて悲壮なもんじゃない。そりゃあ毎日のように会って遊んで、恋人としてあれやこれやしたり、離れてる時間の方が少ないんじゃないかってくらいではあるけれど。それでも、お互いやるべきことをやるだけの、たったの三年間だ。

 なぎさは四年制大学を残り二年。メディア関係を学んでいる関係で、就職もそっち方面を目指すんじゃないかなーと軽く話していた。配信者としてのコネもそこそこに増え、正直、まるで心配するところがないのがうらやましいくらいだ。

 さておきそれもなぎさの努力の成果だ。だから俺も、頑張らなくちゃ。

「めっちゃ寂しいんだが」

「ついに言いおった」

 頑張らなくちゃと心の中で意気込んでいたというのに、その気勢を削ぐかのような絶妙なタイミングだ。

「三年だよ。高校入って出るくらいの時間だよ」

「そうだな。でももう付き合ってからの時間の方が長くなるぞ」

「確かに。いやだからこそでしょ。寂しい日はどうしたらいいんだ!」

「まちに会ってやれよ。喜ぶぞ」

「そこは嘘でも飛んでくるよとか言えよー」

「三年しかないんだ。よそ事は全部捨てる気持ちで臨めって言われてる」

「そりゃ、そうかもだけど。……ま、今時話す方法がいくらでもあるのが救いかなー」

 前向きな言葉とは裏腹に、その笑顔はやっぱり寂しそうだ。料理中でもなければ抱きしめたいくらいではあるけれど、料理中だからして、俺は浮かび上がってきたカキフライを菜箸でつついた。

「まぁ、本当にどうしてもって時は、休み取って会いに来るわ。つか、なんならちょっとした連休もあるらしいし」

「え、そうなん? ああいうお店って、そういうのないイメージだったけど」

「時代は変わったってことなんかなぁ。後は、売れてるから余裕があるとか?」

「はー、でもそれ聞いてちょっと安心した。……いやそもそもそれくらい前もって言っとけよー」

「ああ、うん、それはごめん」

 食欲をそそるきつね色。からっと揚がったカキフライを、キッチンペーパーを敷いた皿の上に載せていく。カサカサと軽快な音が、その見事な揚がり具合を耳に教えてくれる。うまくできたようだ――かじりつくのが楽しみになる。

 なぎさの方も見事なオムレツが出来上がり、ちょうどそれをチキンライスに載せるところだった。ホカホカと匂い立つ湯気が、彼女の頬にかかってくすぐった。

「あたしももう立派なオムライサーだなー」

「オムライサーってなんだよ」

「めっちゃうまそう。食べよ食べよ」

 お盆に載せたオムライスとカキフライ二人分、持って運ぶワンルームの中央。付き合い始めて――もっと言えば、この部屋によく通うようになってから買い替えた、少しだけ大きめのテーブル。並んだ料理は春先でも湯気が立つくらいで、その匂いも相まってなんとも、垂涎の限りだ。

 手を合わせて、「いただきます」。

 にぎやかなまま始まった食事は、それでも進めば進むほどに寂しさが尾を引くようだ。恐らくではあるけれど、この部屋で二人向かい合って食事をとるのは今日で最後。いくつか寝て起きれば、もう簡単には会えないくらいの距離が、二人の間に横たわる。

 ああ、本当に、一緒にいたんだなぁ。

 結局ずっと変わらない。変わり映えのしない、けれど新鮮な毎日が、湯気の向こうの笑顔に見える。

「俺はまぁ、電話せずともなぎさの顔はほぼ毎日見られるしな」

「それはまぁ。あ、じゃあなんかサイン決めとこーよ。あたしと衛だけに通じるやつ」

「それ、フラグにしか見えん」

 あ、っという間に視聴者に見抜かれ、はやし立てられるのだ。彼氏がいること、そして今日までその関係が続いていることは周知の事実で、もはや批判の声も消えて久しい。

「まぁでも、それも面白そうではあるな」

「でしょ? 遠恋もまー、初めての経験ではあるし。ちょっとくらい、楽しむ気持ちも必要だよね」

「だなぁ。たまに会う日が、また楽しみってこともあるかもしれん」

「それなー」

 別れに際して、未来への展望を語る。

 強がっている、というのはもちろんあるけれど、なぎさと二人の未来は、不思議と想像しやすい。

 二人話すたび、想像が膨らむ。修行中のこと、終えた後のこと、もっと先まで――

 ああ、そうだ、言わなきゃいけないことがあったんだ。渡さなきゃいけないものがあった。ちらりと横目に盗み見る、自分の鞄の中身を頭に思い浮かべて。


 カキフライを頬張った。ざくざく、じゅわぁ。

 口の中に広がる小麦の風味と海の味。出すはずだった言葉も一緒に飲み込んで、この日は楽しい時間を二人で過ごした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ