俺達の歩幅で。
夏休みに入り何度目かのデート。一般的な恋人っていうのがどんなデートをするのかは知らないが、繁華街に出てショッピングをしたり食事をしたり、公園に散歩に行ったり、まだまだ遠出とまではいかないけれど、およそ想像する普通のデートをしてきたつもりだ。
加えて言えば一番多いのはライブデート。まちのライブに行き一緒に楽しみ、近くの店で一服して帰る。
結局のところ付き合う前とさほど変わりはなく、もう今更ドキドキもしなくなってきた。
それでも不思議なことに、付き合う前と同じだとは少しも思っていない。関係が変わっただけで、やっていることは同じでも、まるで何もかもが違って見える。
手は繋いだり繋がなかったり、その日その時の気分次第だ。
夏になりすっかり薄着のなぎさは、それでも茹だる暑さにしっとりと手を湿らせる。それも少しずつ気にしなくなってきて、なんとはなしに、家族のような近しさを感じてみたりするのだ。
「あっちー。衛くんエアコンつけて」
「百年後くらいにはつけられるようになってるかもな」
ライブ終わり、ファミレスに寄った後に町を歩く。話に花が咲くとは言うが、くだらない会話に咲く花ってのはどんなもんだろうな。なんて、くだらない思考が頭をよぎる。
「今日もまちこのライブ熱かったー。おかげでもう汗だくよ」
「拭いたか?」
「拭いたよ。でも早くシャワー浴びたい」
「俺も。電車すら乗りたくないわー」
「え、じゃあ泊まる?」
「あかんやろ」
「あかんかー。まー、衛くんちはお父さんお母さんいるしね」
そう、家には両親がいて、俺とまちの帰りを待っている。俺となぎさの関係に諸手を挙げて賛成してくれている、とはいうものの、やっぱり泊まりとなると、というのが常識だろう。
「……ビビってるだけ、ともいう」
「正直だなぁ」
そりゃそうだ。何事も初めてだ、とはいうものの、恋人で泊まり、となれば意識せずにはいられない。何気なく話してる風に見えるなぎさだって、よくよく見れば少しだけ緊張しているのが見て取れる。繋いだ手から感じられる。
こういうことは男から、なんて前時代的な考えは、俺達の間にはない。そういう雰囲気になれば、なんてお互い言い合ってはいたけれど、案外とそうなることもなく。
難しいんだよな、そこら辺の塩梅が。おかげで進展らしい進展は、手を繋ぐ、というところまでだ。
一般的に言えば奥手という部類に入るんだろうか。進展が遅い?
気にしない。俺達には俺達のペースがある――なんて、口にするのは簡単だけど。
「あれ思い出すよね、コランダム」
「ああ、なぎさ解釈ね」
「それ。刺激ばっか求めちゃダメだよ。あたし、衛くんの安心感が好きなんだから」
「安心感ねぇ」
「あ、ヤバい、なんかめっちゃ高まってきた」
「好きって言うとなんか来るよな」
「うん。でもここで盛り上がっちゃダメだよね」
「さすがにな」
夜遅いとはいえライブハウスも飲み屋も多いこの町は、だからこそ人通りも盛んだ。初めての恋人で、まだまだ二か月ほど。人前でいちゃつく度胸は、まだない。何ならこの先身につくかどうかも怪しいくらいだ。
夜の町の、暗がりに輝く煌びやかな灯りがなぎさの横顔を照らす。視線に気づいた彼女がこちらを向くと、はにかむように柔らかく微笑んだ。
たまにではあるけれど、こういう仕草をするようになった。それが変わったことと言えば変わったこと。彼女の言う「高まってきた」時に出るその仕草が、頬が緩むくらいに可愛らしい。
ともかくこうして手を繋いで町中を歩いていれば、そりゃあもちろん俺達が恋人であることは見てわかる。まちのライブに来るファンがいるくらいだから、当然ながら「彼氏バレ」なんてこともあったけれど――
なぎさは宣言通り、配信中にサラっと言ってのけた。「あ、あたし彼氏できたんだよねー」と、本当にサラっと。
チャット欄はそりゃあもう、大変な盛り上がりを見せていた。一部荒れた視聴者も、いくらかは見受けられた。
あんまりにも脈絡なく、それも軽く言い放つもんだから、受け止めきれなかった視聴者も多かったんだろう。盛り上がりはむしろ配信終了後のコメント欄やSNSで最高潮を迎えた。トレンドに載る、というほどにはならなかったけれど、それでも「なぎ。」に関するワードで検索すれば、そのほとんどが彼氏の話題で持ちきりになった。
そして事実、数字は一時落ち込んだ。数百という登録者が減り、その後の同時視聴も見て取れるくらいに減っていた。
それは恋人ができたという事実よりも、放言そのものに対する批判も含まれていたように思う。
けれどいずれにせよ、なぎさはその道を選び、そして今も気にした様子もなく配信を続けている。元々が上がり調子だったのもあって、減った数字はあっという間に戻り、今では騒動前よりも多いくらいに落ち着いている。
まぁ、そんなもんだ。つまるところ、元々それで荒れるタイプの配信者ではなかった。ちょっとした不安に、解答を得たような安堵感があった。
とはいえ、減った数字をただの数字と捉えられればどんなに楽か。それはつまるところ自分の配信を見てくれていた人であり、離れていったファンの数である。
もちろんチャンネル登録なんてのは、ちょっとしたメモやブックマーク替わりでしかない、なんて人も多い。それが減ったところで、なんて考え方もあるけれど。
落ち込んだ様子もなく、楽しそうに日々過ごすなぎさを見ていれば、そこに嘘がないのはよくわかる。配信者を続けていれば、そして大きく成長すればするほど、それは自分で消化しなくちゃいけない問題だ。
なぎさ曰く――あえて数字って言い方をすれば、上下した意味の方が大事だよね、とのことで。
ここで減った数字は、減るべくして減ったものだ。恋人ができたくらいで「好きじゃなくなった」というのなら、それは自分とは「合わない」人間だったのだ、ということらしい。
「どしたの、駅着くよ」
「ごめん、ぼーっとしてた」
「あたしを放ってぼーっとするとか、いい度胸してんなー」
「ごめんて。電車すぐ来そう?」
「えーっと、七分後?」
「すぐだな。ホーム行くか」
「早く涼しいとこ行きたー」
一度手を放して改札を通り、また繋ぎ直してホームに続く階段を降りる。
繋ぐ時はやっぱり繋ぎっぱなしだ。電車に乗っても繋いでるし、降りても、改札を抜ける時に離しても、なぎさを家に無事送り届けるまでは。
それでもやっぱり離し難くて、手に馴染む汗は最早誰のものかもわからない。
たぶん、「高まった」ままだったんだろう。高まったなぎさを見て、きっと俺も高まってしまったんだろう。
そういう雰囲気はこれまでの歩みも無視するように突然に、至極あっさりと二人の間に落ちてきた。その中に飛び込むように、身体を寄せた。
時刻は午後九時。ライブに行けばいつもこの時間。電車内で少しだけ冷えた体は、熱く湿った空気にあっという間に火照るほどの熱を持つ。どこかぼんやりとしたなぎさの瞳を視界に捉え、目を閉じることさえせずに、無言のまま。
温かく濡れた、柔らかな感触。自分のそれとはまったく違うもの。痺れるような感覚が、そこから脳髄、背筋を震わせた。
触れるだけの短いキス。陶然とした瞳は、いまだ俺をとらえて離さない。
「……あたしこれ、好きかも」
「じゃあ、もっかい」
「ん」
もう一度、もう一度。
付き合う前の、最初のデートを思い出す。デートの終わりだからと、それでも付き合っていないから、額を合わせて笑うなぎさを。
こんな関係になるなんて誰が想像しただろう――なんてことを言うつもりはない。そりゃあ、推しであって可愛い女の子だ。想像の一つくらい、したって罰は当たらない。
想像を超える体験に、ちょっと思考が飛びそうなくらいだ。
「外だし、今日はこの辺で」
「歯止め効かなくなりそうで怖いわ」
「それなー。衛くん意外とやわこい」
「やわこいって」
どこの方言だ。
相変わらず軽いノリで言葉を交わしながらも、マンションの灯りだけでわかるくらいに顔が赤いなぎさ。たぶん俺もそうだろうから、あえてそれは指摘しない。
そんな気恥ずかしさも含めて、なんだかくすぐったい快感が身体中を走る。
「じゃあ、帰ろっか。なんか、このままだとね」
「だなぁ。スパッと別れなきゃ、帰れる気がしない」
「ねー。じゃあ衛くん、おやすみ」
「おやすみ」
手を振ろうとして、はたと気付く。そういえば手を繋いだままだった。
照れ笑いを交わして、俺達は互いに背を向ける。マンションの自動ドアが開く音を背に、夜闇に向けて歩いていくのが、少しだけ――いや、かなり寂しくはあるけれど。
尾を引くようなキスの余韻が、それを紛らわせてくれた。まだまだ続くなぎさとの未来を、なんだか約束されたような気がして。




