表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/57

俺達の歩幅で。




 夏休みに入り何度目かのデート。一般的な恋人っていうのがどんなデートをするのかは知らないが、繁華街に出てショッピングをしたり食事をしたり、公園に散歩に行ったり、まだまだ遠出とまではいかないけれど、およそ想像する普通のデートをしてきたつもりだ。

 加えて言えば一番多いのはライブデート。まちのライブに行き一緒に楽しみ、近くの店で一服して帰る。

 結局のところ付き合う前とさほど変わりはなく、もう今更ドキドキもしなくなってきた。

 それでも不思議なことに、付き合う前と同じだとは少しも思っていない。関係が変わっただけで、やっていることは同じでも、まるで何もかもが違って見える。

 手は繋いだり繋がなかったり、その日その時の気分次第だ。

 夏になりすっかり薄着のなぎさは、それでも茹だる暑さにしっとりと手を湿らせる。それも少しずつ気にしなくなってきて、なんとはなしに、家族のような近しさを感じてみたりするのだ。

「あっちー。衛くんエアコンつけて」

「百年後くらいにはつけられるようになってるかもな」

 ライブ終わり、ファミレスに寄った後に町を歩く。話に花が咲くとは言うが、くだらない会話に咲く花ってのはどんなもんだろうな。なんて、くだらない思考が頭をよぎる。

「今日もまちこのライブ熱かったー。おかげでもう汗だくよ」

「拭いたか?」

「拭いたよ。でも早くシャワー浴びたい」

「俺も。電車すら乗りたくないわー」

「え、じゃあ泊まる?」

「あかんやろ」

「あかんかー。まー、衛くんちはお父さんお母さんいるしね」

 そう、家には両親がいて、俺とまちの帰りを待っている。俺となぎさの関係に諸手を挙げて賛成してくれている、とはいうものの、やっぱり泊まりとなると、というのが常識だろう。

「……ビビってるだけ、ともいう」

「正直だなぁ」

 そりゃそうだ。何事も初めてだ、とはいうものの、恋人で泊まり、となれば意識せずにはいられない。何気なく話してる風に見えるなぎさだって、よくよく見れば少しだけ緊張しているのが見て取れる。繋いだ手から感じられる。

 こういうことは男から、なんて前時代的な考えは、俺達の間にはない。そういう雰囲気になれば、なんてお互い言い合ってはいたけれど、案外とそうなることもなく。

 難しいんだよな、そこら辺の塩梅が。おかげで進展らしい進展は、手を繋ぐ、というところまでだ。

 一般的に言えば奥手という部類に入るんだろうか。進展が遅い?

 気にしない。俺達には俺達のペースがある――なんて、口にするのは簡単だけど。

「あれ思い出すよね、コランダム」

「ああ、なぎさ解釈ね」

「それ。刺激ばっか求めちゃダメだよ。あたし、衛くんの安心感が好きなんだから」

「安心感ねぇ」

「あ、ヤバい、なんかめっちゃ高まってきた」

「好きって言うとなんか来るよな」

「うん。でもここで盛り上がっちゃダメだよね」

「さすがにな」

 夜遅いとはいえライブハウスも飲み屋も多いこの町は、だからこそ人通りも盛んだ。初めての恋人で、まだまだ二か月ほど。人前でいちゃつく度胸は、まだない。何ならこの先身につくかどうかも怪しいくらいだ。

 夜の町の、暗がりに輝く煌びやかな灯りがなぎさの横顔を照らす。視線に気づいた彼女がこちらを向くと、はにかむように柔らかく微笑んだ。

 たまにではあるけれど、こういう仕草をするようになった。それが変わったことと言えば変わったこと。彼女の言う「高まってきた」時に出るその仕草が、頬が緩むくらいに可愛らしい。

 ともかくこうして手を繋いで町中を歩いていれば、そりゃあもちろん俺達が恋人であることは見てわかる。まちのライブに来るファンがいるくらいだから、当然ながら「彼氏バレ」なんてこともあったけれど――

 なぎさは宣言通り、配信中にサラっと言ってのけた。「あ、あたし彼氏できたんだよねー」と、本当にサラっと。

 チャット欄はそりゃあもう、大変な盛り上がりを見せていた。一部荒れた視聴者も、いくらかは見受けられた。

 あんまりにも脈絡なく、それも軽く言い放つもんだから、受け止めきれなかった視聴者も多かったんだろう。盛り上がりはむしろ配信終了後のコメント欄やSNSで最高潮を迎えた。トレンドに載る、というほどにはならなかったけれど、それでも「なぎ。」に関するワードで検索すれば、そのほとんどが彼氏の話題で持ちきりになった。

 そして事実、数字は一時落ち込んだ。数百という登録者が減り、その後の同時視聴も見て取れるくらいに減っていた。

 それは恋人ができたという事実よりも、放言そのものに対する批判も含まれていたように思う。

 けれどいずれにせよ、なぎさはその道を選び、そして今も気にした様子もなく配信を続けている。元々が上がり調子だったのもあって、減った数字はあっという間に戻り、今では騒動前よりも多いくらいに落ち着いている。

 まぁ、そんなもんだ。つまるところ、元々それで荒れるタイプの配信者ではなかった。ちょっとした不安に、解答を得たような安堵感があった。

 とはいえ、減った数字をただの数字と捉えられればどんなに楽か。それはつまるところ自分の配信を見てくれていた人であり、離れていったファンの数である。

 もちろんチャンネル登録なんてのは、ちょっとしたメモやブックマーク替わりでしかない、なんて人も多い。それが減ったところで、なんて考え方もあるけれど。

 落ち込んだ様子もなく、楽しそうに日々過ごすなぎさを見ていれば、そこに嘘がないのはよくわかる。配信者を続けていれば、そして大きく成長すればするほど、それは自分で消化しなくちゃいけない問題だ。

 なぎさ曰く――あえて数字(・・)って言い方をすれば、上下した意味の方が大事だよね、とのことで。

 ここで減った数字(・・)は、減るべくして減ったものだ。恋人ができたくらいで「好きじゃなくなった」というのなら、それは自分とは「合わない」人間だったのだ、ということらしい。

「どしたの、駅着くよ」

「ごめん、ぼーっとしてた」

「あたしを放ってぼーっとするとか、いい度胸してんなー」

「ごめんて。電車すぐ来そう?」

「えーっと、七分後?」

「すぐだな。ホーム行くか」

「早く涼しいとこ行きたー」

 一度手を放して改札を通り、また繋ぎ直してホームに続く階段を降りる。

 繋ぐ時はやっぱり繋ぎっぱなしだ。電車に乗っても繋いでるし、降りても、改札を抜ける時に離しても、なぎさを家に無事送り届けるまでは。

 それでもやっぱり離し難くて、手に馴染む汗は最早誰のものかもわからない。

 たぶん、「高まった」ままだったんだろう。高まったなぎさを見て、きっと俺も高まってしまったんだろう。

 そういう(・・・・)雰囲気はこれまでの歩みも無視するように突然に、至極あっさりと二人の間に落ちてきた。その中に飛び込むように、身体を寄せた。

 時刻は午後九時。ライブに行けばいつもこの時間。電車内で少しだけ冷えた体は、熱く湿った空気にあっという間に火照るほどの熱を持つ。どこかぼんやりとしたなぎさの瞳を視界に捉え、目を閉じることさえせずに、無言のまま。

 温かく濡れた、柔らかな感触。自分のそれとはまったく違うもの。痺れるような感覚が、そこから脳髄、背筋を震わせた。

 触れるだけの短いキス。陶然とした瞳は、いまだ俺をとらえて離さない。

「……あたしこれ、好きかも」

「じゃあ、もっかい」

「ん」

 もう一度、もう一度。

 付き合う前の、最初のデートを思い出す。デートの終わりだからと、それでも付き合っていないから、額を合わせて笑うなぎさを。

 こんな関係になるなんて誰が想像しただろう――なんてことを言うつもりはない。そりゃあ、推しであって可愛い女の子だ。想像の一つくらい、したって罰は当たらない。

 想像を超える体験に、ちょっと思考が飛びそうなくらいだ。

「外だし、今日はこの辺で」

「歯止め効かなくなりそうで怖いわ」

「それなー。衛くん意外とやわこい」

「やわこいって」

 どこの方言だ。

 相変わらず軽いノリで言葉を交わしながらも、マンションの灯りだけでわかるくらいに顔が赤いなぎさ。たぶん俺もそうだろうから、あえてそれは指摘しない。

 そんな気恥ずかしさも含めて、なんだかくすぐったい快感が身体中を走る。

「じゃあ、帰ろっか。なんか、このままだとね」

「だなぁ。スパッと別れなきゃ、帰れる気がしない」

「ねー。じゃあ衛くん、おやすみ」

「おやすみ」

 手を振ろうとして、はたと気付く。そういえば手を繋いだままだった。

 照れ笑いを交わして、俺達は互いに背を向ける。マンションの自動ドアが開く音を背に、夜闇に向けて歩いていくのが、少しだけ――いや、かなり寂しくはあるけれど。

 尾を引くようなキスの余韻が、それを紛らわせてくれた。まだまだ続くなぎさとの未来を、なんだか約束されたような気がして。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ