時が巡ればすべてが進む。
転機は突然訪れる。
きっかけはなぎさの配信。三十年近くも前に発売された、3Dモデルもまだまだ未発達のレトロゲーム。勇者が魔王を打ち倒す旅に出るというシナリオの、これぞという王道ファンタジーだ。
イベントの中の一つに、酒場で踊り子の踊りを見るというものがある。重要なイベントなどではなく、ただ単純なお楽しみイベントだが、当時としては最新のグラフィックということでちょっとばかりの注目を集めた、とかなんとか。
なぎさの一言が流れを作った。
「これ、まちこだったらなぁ」
なんてことはない。今やなぎさがまちこ推しであることは周知の事実であり、踊りとアイドルを安易に繋げただけの、ちょっとした一言だ。
そしてその一言を、本人に繋げてしまうなぎさファンが存在する。
俺だ。
そしてまちこは、まちは、押しも押されぬブラコンで、俺が「お願い」と言えば叶えてしまうガチな子である。もちろん本人にやる気がなければやることはないが――
そうして配信サイトに上がった「踊ってみた動画」は、投稿当初はそこそこの再生数で、「まぁこんなもんか」くらいのものだった。なぎさは狂喜乱舞していたものの、他には当時のゲームファンが局所的にざわついていたくらいだろうか。
次の転換点が大きかった。
そのゲームを手掛けたプロデューサーが、その動画の感想をSNSに投稿したのだ。
三十年近く経った今も現役を貫くそのプロデューサーは、ゲーム業界、あるいはゲームファンにとってはかなりの有名人である。であればその影響力は計り知れないものであり、それに認められたとあればそれはもはや「公式」ですらある、といえた。
コメントは一言。「懐かしい、イメージ通りだ」と、ただそれだけ。
当時としては最新のグラフィック、とは言っても、今にしてみれば時代遅れも甚だしい。寸胴ボディにマッチ棒の手足、鍋のような頭――その動きはお世辞にも滑らかとは言えず、踊りとは言っても具体的にどう動いているかはある程度想像で補う他ないのが現実だ。
そしてまちは自分の想像でそれを表現し、見事にそのコメントを引き出した。
一躍時の人、というには少し足りないかもしれないが、それでも「バズった」と言うには十分過ぎる。いいとこ十万、程度だったこれまでの動画とは一線を画すその再生数は、すでに二百万を超えようとしていた。一分程度のショート動画だったこともその勢いを増す一助になっただろう。
元来実力十分だったまちの動画は、MVを中心に大きく伸びた。登録者数もうなぎのぼりで、これまでの数字を鑑みれば信じられないが、十万を既に超えている。
人気は水物。時に想像を超えて大きく変わる。世の中の「バズった」を色々と見てみれば、たぶんこの程度は大人しい変化なのかもしれない。
けれどそれでも、二年間の活動がようやく報われたような、箱の中でくすぶり続けた火にようやく風が当たったような――その解放感は、まちを一つ大きくした。大人にした。
今日は収録日らしい。新しいオリ曲、ではあるけれど、意味としてはもう少し大きい。
前述のプロデューサー繋がりで、同社の音楽プロデューサーから楽曲の提供を受けることになった。嘘みたいな話だけど、どうやら元々フットワークの軽い方々のようで、話題性のあるアーティストに楽曲提供をすることがままある、らしい。
それを教えてくれたなぎさときたらまぁ、大興奮も大興奮、この世の春と言わんばかりの笑顔で。
テンションが上がった彼女はうっきうきで我が家のドアをくぐり、そして凍り付いた。夏休みに入り何度かのデートを重ね、もう手をつなぐくらいじゃ緊張もしないくらいの関係は築いたものの――
両親への紹介となると、やっぱりハードルは高いようだ。
約束通りに日本に戻った両親は、これまた約束通りに祖父母の家に泊まっていた。けれど一つ大人になったまちはあっさりと意見を翻し、この家は十年ぶりに四人世帯となったのだった。
当然ながらなぎさはそれを知っている。そして両親もまた、俺が彼女と付き合っていることを知っている。だから挨拶くらいサラっと、そこまで緊張することはない……と、言うは易し。
予期せぬ遭遇になぎさがとった行動は。
「させねぇよ?」
「いやちょっと、待って落ち着いて」
「お前がな」
いつぞやかにまちを前にしたのと同じように、翻る上半身――その手を、すかさずつかんだ。
「テンパるとなんでいつも逃げるんだよ」
「テンパってるからだよ!」
「持ち前のコミュ力を見せてやれ」
「見せてやりたいよ!」
どうでもいいが、このやり取りも全部両親を前にしていることを、なぎさは自覚しているんだろうか。微笑ましくそれを見守る両親が、何ら隔意を示していないことまで含めて。
というか、帰ってくるなり人の彼女にケチつけるようなら、それこそ俺が祖父母の家に叩き返してやる。
そんなこんなですったもんだあったものの、落ち着きを取り戻したなぎさは、深々と腰を折った。落ち着きはしたものの、当然ながら緊張はまだほぐれていないのが見て取れる。
「はじめまして! 衛くんとお付き合いさせせいただきます、郡山なぎさです」
噛んだ。言い回しもおかしい。それから声量がブレブレだ。
耳まで真っ赤になったなぎさは、腰を折ったまま顔を上げられなくなってしまった。
そもそも、会わせるんなら俺だってもう少し準備を整えてからと思っていた。俺だってこんな風になぎさの両親に出くわしてしまったらと思うと、彼女のことを笑っていられない。
いや、そもそもそんなことを考えている場合じゃない。
「なぎさ、とりあえず深呼吸な」
両親となぎさの間に立ち、肩に手を置き、上半身を持ち上げる。少しばかり潤んだ瞳が、「たすけて」と訴えているようだ。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。俺がするようになぎさも倣い、少しずつ、少しずつ身体の力が抜けていく。
背後の両親はとりあえず放置だ。ここは一つ大人の余裕ってやつを見せてやってくれ。
「度胸があるんだかないんだかわかんないよな」
「ごめん……もう大丈夫」
「じゃあ改めて」
両親の方へ振り返り一歩横にずれ、なぎさと並ぶ。緊張はすっかり抜けて、朗らかに笑みを浮かべた彼女は、改めて挨拶をした。
そもそも最初の挨拶の時点で、両親が何とか慰めようとしてたのはわかってる。それでもしかしたらうまくまとまったのかもしれないけど、やっぱりなぎさにとってここは「アウェー」だ。だから俺が出しゃばって、まずは緊張を解してやりたいと思った。
功を奏したようだ。安心したような両親が、なぎさと親しげな会話を始めていた。
「衛から聞いてるよ。まちも、ずいぶんお世話になっているようで」
「いえいえ、こちらこそ!二人と知り合って、本当に楽しいことばっかりで!」
「そうか、何よりだね。まぁ立ち話もなんだから、よかったら上がっていって」
「ぜひ! お邪魔します」
靴を脱いでスリッパに履き替え、リビングにぞろぞろと入っていく三人に、後から静かに続いた。
とはいえ、そもそものところなぎさがなぜ家に来たかと言えば、今日がまちの新曲収録日だからだ。それに何の関係が、と問われれば、件のプロデューサーもとい音楽プロデューサーが楽曲提供にあたり、収録の様子を配信してみるなどと言い出したのだ。
いてもたってもいられないなぎさは電話口にわかるくらいテンションが上がってしまい、家に両親がいることさえ忘れてこの事態に直面した、というわけで。
もちろん両親もそれを知っている。家族三人、ノートパソコンまで持ち出して、その配信を今か今かと待ちわびていたところだった。
リビングのテーブルの端にノートパソコンを置き、揃って画面に見入る。母さんはキッチンに入って飲み物を準備しているけれど、配信は既に待機画面に移行しており、もう数分もすれば始まるところだった。
両親に彼女を紹介するという重大イベントが、まさかこんな形で行われることを、誰が想像しただろうか。
ここにいる四人全員、まちが大好きだ――ただそれだけの単純な事実。
「正直アイドルやるって聞いたときはどうなるかと思っていたけど、まさかここまでのことになるとはね」
「えぇ、本当に驚いた。もちろん動画も配信も、時間が合えばいつも見てたけど」
「確かに伸び悩んではいましたけど……でも、実力はありましたから。見つかれば後は時間の問題、だってあたし思ってました」
「ありがたいね、こんなにもいいファンに恵まれて。その上衛まで」
「衛くんもめっちゃいい人ですから! 見つかれば後は時間の問題だったでしょう!」
本当に、見つけてくれたのがなぎさでよかった。微笑む両親に会心の笑顔を見せるなぎさは、実に堂々と胸を張って誇らしげだ。
ああ本当に、好きに素直な子の、なんて魅力的なことだろう。その対象が自分だっていうんだから、その破壊力ときたら胸に衝撃となって叩きつけられるくらいだ。恋人になって二か月ほど――いまだ彼女からの「好き」には、慣れそうにない。
そもそも恋人である前から推しでもあった。好きの土台に、違う意味の好きがある。
ニコニコと嬉しそうな母さんが、手ずから淹れたコーヒーを四杯、テーブルに並べた。お礼を言うなぎさに、母さんの笑顔が一層深まる。
元々なぎさの話はしてあって、その時から結構な好感触ではあった。けれど実際に会ってみないことにはわからないことも多々あって、不安がなかったわけじゃない。
これなら、全く心配はいらないな。いい関係を築いて行けそうだ。そうなってくると今度の心配は、俺もいつかこうして、なぎさの両親に会う日が来るんだろうか――なんてことは、とりあえず頭の隅にでも置いておいて。
配信は、レコーディングスタジオらしき場所の、コントロールルームとかいう場所から。まち以外に男女一人ずつの大人がいて、インタビューのような形で始まった。




