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ほらね、やっぱり。





 漁業体験、魚さばき体験を終えれば、今日のプログラムは終わったようなものだ。あれやこれやと濃度の高い一日だったけれど、記憶に残っているのはなぎさに告げた一言ばかり。

 旅館の自室に戻り休憩を挟む。午後八時――その時間が迫るにつれ、胸の奥にじわりと重たい何かが募っていく。地に足がつかない、浮足立つ、なんて言葉がまさに、体感として感じられるような。鼓動が早く、どこか身体が熱を持つ。

 そんな、文字通りにそわそわとしている俺に、友人達は実に怪訝そうな目を向けた。

「たまってんのか」

「ぶっ飛ばすぞマジで」

「いい加減落ち着けよって。何となく想像はつくけど」

「マジで?」

「直也」

「まぁ、わかるわな」

 傍目から見ても、相当にわかりやすかったらしい。

「初めてだってんならしゃーないけど、余裕ねぇとモテねぇぞ」

「そうは言ってもなぁ。てか、別にモテてぇわけじゃないしな」

「まぁ、郡山さん次第ってとこはあるけど。そうだなぁ、お互いソワソワ落ち着かねー、みたいなのも醍醐味っちゃ醍醐味か」

「じゃあ、そういうことで」

「開き直んなよ。直也は今まで何人だっけ?」

「二人。言うて慣れてはない」

「俺一人。余裕なんてない」

「お前らな」

 とはいうものの、ゼロとイチでは天地が隔たるほどの差があるということも理解している。だから俺はこんなにも落ち着かないし、だから彼らの言葉には説得力がある。

「つーか、もう勝率九割みたいなもんだろ?」

「そうとも言えんだろ。そこまで自惚れられないな」

「いや、自惚れとかじゃないだろ。気付くか気付かないかだ」

「まぁ、嫌われてはないと思うけど」

「お前なぁ……いやでも、そういうもんか?」

「言うて裕二も俺も、郡山さんに触ったことすらねぇぞ」

「確かに。いやもう確定だろ」

「……まぁ」

 そういえば、距離感が近いとずっと思っていたけれど、なぎさが他の男子に接近するところをあまり見たことがない。

 思い浮かぶのは我が妹、まち。なぎさの推し。人懐っこく誰にでも仲良く話しかけるが、異性に対する身体的接触は驚くほどにハードルが高い。

 似たのか、寄せたのか。いずれにせよ、それを詰めたのが現状俺一人だというのなら、そんなにもうれしいことはない。思わずにやけてしまうくらいに。

「きっしょ」

「あぁ?」

 否定はできないが腹は立つ。広縁の椅子に座る俺は、布団で寝そべる二人に手出しができず舌打ちをした。

「その様子じゃもう呼び出したんだろ?」

「おう。八時」

「じゃあ、もう行くだけじゃん。よし、おじさんがコーヒーおごってやろう」

「わーい。ありがとうおじちゃん」

「いい子だなぁ」

「……殴りてー」

 何はともあれ裕二の言う通り。ここまで来たら後には引けず、行くしかない。

 部屋を出てコーヒーを買い、ロビーでのんびりそれをすする。ソファが埋まり、それでも立って駄弁る人がいるくらいには賑わっていて、それがかえって気持ちを落ち着けてくれる。ため息をこぼし、胸にたまる「何か」を吐き出した。

 仲間内だけで静かに過ごしてると、どうしたって頭がそれ(・・)一色になってしまう。これから起こること、これからやるべきこと。どうにかなりそうだ。

 コーヒーを飲みながら落ち着いてゆっくり、なぎさのことを思い出す。

 配信者「なぎ。」は俺の推しだ。それは今でも変わらないけれど、最初は画面の向こうの遠い存在で、憧れだった。手を伸ばしても届かない星のようで、けれど手を伸ばそうとも思わないほどに。

 それがこの四月、クラスに転入してきたってんだから本当、人生はわからない。遠い星が突然目の前に来たら、そりゃあ舞い上がって挙動不審になったって当然だ。そうならない方がおかしいってくらいで、俺も当たり前にそうなった。

 そして、なぎさも。

 まちを推してるっていうんだから、冗談にしたって出来すぎなくらいだ。あの時のなぎさは、今思い出しても笑えてくるほどだった。腰を抜かして、立ち上がったと思ったら逃げ出して。

 だから、妹を出汁にして推しに近づいた。もっと仲良くなっていこう、なんて調子のいいことを言ったけれど、そりゃあ本音は俺の方がなぎさに近づきたかった。

 まちこのライブに初めて行ったのもなぎさがきっかけだ。動画で見るのとは全く違う、全身全霊で歌い踊る彼女は、まるで俺の知る妹ではなくて、輝くアイドルそのものだった。

 なぎさとなぎ、それになーちゃん。三つの顔を持つ彼女は、そりゃあ多少作ったり誇張したりはあるけれど、どこまで行っても「なぎさ」で、「好きに素直な女の子」だ。

 ライブに初デート、デイキャンプにお泊り、料理を教えたりもした。なんとなく、今まで見向きもしなかった「青春」っていうものを、取り戻しているような。

 出会ってたった二か月。俺の生活は、俺の在り方は、すっかり彼女に変えられてしまった。そんなつもりもなかったろうに、手を引かれ背を押され、気付けば夢に追われて夢を追っている。今までの俺からしてみれば、この二か月はあんまりにも濃密で、惹かれるには十分すぎる時間だった。

 ああ、だめだ、考えれば考えるほど、なぎさで頭がいっぱいだ。

 空になった缶を手に立ち上がり、自販機横のゴミ箱へ静かに落とす。どれくらい考え事をしていたか、スマホを見れば時刻は十九時半を回っていた。周囲は相変わらず雑談の生徒達で賑わっていて、けれどどうしてか今度はひどく落ち着かない気持ちになってしまう。

 部屋に戻って歯磨きを済ませ、水を飲んでまた二人と話し、それから十分ほど。

「じゃあ、行ってくるわ」

「おぉ。気楽にな」

「なるようにしかならんからな」

「さんきゅ」

 そういえば、こいつらとよく話すようになったのもなぎさが来てからだっけ。後ろ手にドアを閉めてため息一つ、「うし」と声を出す。


 夜間の外出は基本的に禁止だけど、玄関先のベンチに座る先生の見える範囲ならオーケー、なんてアバウトなルールが設けられている。その先生が持っているファイルに記名すれば、後は自由だ。

 何しろ旅館の夜はジャージ姿で、学校指定のジャージにはでかでかと苗字が書かれている。玄関から見える範囲、つまり駐車場内くらいの距離なら、どこからでもそれを確認できるだろう。

 見張りの先生が一人だったらそれでも逃げる隙くらいはあるだろうけど、何しろ見張りに加えて見回りの先生までいるもんだから。

 だから大人しく、俺は玄関脇でなぎさを待った。

 海の見える駐車場隅は、人気のスポットだ。そりゃあもう、十組以上の男女が等間隔に並んで座って、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいに親密に語り合っている。たったの一学年、知らないだけでこんなにもカップルができてるんだなぁと妙に感心してしまう。

 海を見ながら、ってのはやっぱり、一番最初に考えたシチュエーションだ。けれどあれを見ちゃうと、どうにもあそこに混ざってっていうのに尻込みしてしまう。

 きょろきょろと周囲を見渡して、いい場所を探してはみるものの。

「……駐車場だなぁ」

「んだねぇ」

「うぉ」

「あたしだよ」

「……んだねぇ」

 いつの間にやら隣に立っていたなぎさに、色々な意味で心臓が跳ねた。にこーと笑うその顔が、めちゃくちゃに可愛く見える。郡山と書かれたジャージは、どうしてだろう、彼女が着るとちっとも野暮ったく見えないんだ。

「あっちじゃだめなの?」

 指差す方向は当然海の見える駐車場隅。

「いや……なんかさ」

「まー、わからんでもない。じゃーあ」

「うん?」

 くい、と袖を引かれる。ゆっくりと歩き出すなぎさの背を追えば、旅館の建物に沿っていく。先生の視線は感じたけれど、彼女だってルールは覚えてるはずだと気に留めずにおいた。

 駐車場隅、けれど海は見えない。代わりに、昨日登った山が月明りの中影のように立っている。ざわざわと風が鳴れば葉擦れが響き、ふもとの木々は昼間とは違いまるで人の侵入を拒むように暗闇をたたえている。

 でも。

「悪くないな」

「ね。旅館の灯りが映えるよねー」

 うっすらと照らされた山は、外から見ればその青が柔らかく見える。

 薄暗がりに薄明かり。なぎさの顔も、ほんのり暗く、ほんのりと明るい。

「紗奈達にめっちゃいじられたよ」

「中学生じゃあるまいし」

「まー、いくつになってもだよ。で、お返事だけど」

「まだ何も言ってねぇよ!?」

「おぉ、やべ、そうだった」

 よくよく見ればなぎさの顔が淡く色づいていて、「あはは」とごまかすように笑ったと思えば黙り込んでしまった。

 あぁ、なんだ。

 いつも通りだと思っていたら、なぎさも結構テンパってるんじゃないか。

 ライブの時、まちが言ってたっけ。自分より緊張してる人を見ると、かえって緊張が解ける、だったか。あれは、嘘だな。

 なぎさがテンパってるってことはつまり、もうそのつもりでこの場に来てるってことだ。もちろんそれはわかっていたことでもあるけれど、意識し始めるともう頭の中はそれ一色。「なぎさ」よりも「告白」の方が大きくなってしまう勢いで、思考が鈍るのを肌で感じるような心地だ。

 音がしない。身体の表側が熱いのに、芯が震えるように冷たい。呼吸が浅くなる。


「ちょっと、お話しよっか」


 ぽん、と肩に置かれた手。小さくて温かいそれに、俺はわずかにうなずく。






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