きらきら跳ねる彼らは。
この港町では、我が校の修学旅行期間中には多量の小型定置網を用意して、本業を縮小してまでそれに協力してくれているらしい。一隻につき十人ほど、十五隻を二度にわたって動かし、全員が体験できるようになっている。
三グループに加え、教員一名に漁師さんが三名。船上はそこそこに窮屈ではあるけれど、かといって気まずいってほどでもなく、海を眺める余裕くらいはある。
前日に行ったクルージングとはまた違い、名所らしい場所には行かないものの、それよりも少しばかり沖まで船を進める。クルージングもよかったけれど、やっぱり、船に乗った以上は沖に出てなんぼ、みたいなところはある。かえって今日の方が見応えがある、かもしれない。
船縁に右手をついて、潮風になびく髪を左手で押さえ、感嘆の声を上げるなぎさの隣で海を眺める。船が水しぶきを上げながら波を裂くと、その後ろには尾を引くように引き波が立つ。
ジャージの上にライフジャケット。色気もへったくれもあったもんじゃないけれど、ずんぐりむっくりとしたそのシルエットもまぁ可愛らしくも思えたりして。
「三日間海って飽きると思ってたけど、案外そーでもないねー」
「な。船なんか生まれてこの方乗った記憶もねぇし」
「あたしは何度かあったはず……だけど覚えてないしなー。めっちゃきもちー」
風もいい。景色もいい。音もいい。揺れは多少気にはなるけれど、酔ってしまうほどでもない。
そんなことを考えていたそばから、少し大きな波に乗り上げて船が揺れる。バランスを崩したたらを踏んだなぎさの方に一歩歩み寄り、その肩を軽く引き寄せた。
胸元に収まる小さな身体。小さな顔が、上目遣いにこちらを窺う。
「ありがと」
「おぉ、ごめん咄嗟に」
「ううん」
手を離し、一歩引き、船縁に手をついた。なんとなく照れ臭くて、なぎさの顔を見ていられなかった。そんな俺の頬をつつくか細い指が、彼女が今どんな顔をしているかを教えてくれる。きっとにやにやと、俺をからかうように笑ってるんだ。
「基準がよくわからんなぁ」
「……うるさいな」
「あはは。おっと、こうしてるとまた紗奈に怒られるな」
「今更だろ」
「まーねー。あっちはあっちで盛り上がってるし、こっちはこっちで」
裕二、直也に菊原さんは、船の先頭から行く先を眺めて楽しんでいる。昔の映画のワンシーンを再現しようとしたり、わぁわぁと騒がしく、そりゃあわかりやすく盛り上がっているようだ。
こっちはこっちで盛り上がろう、とはいっても、あんな感じにはどうしたってなれなくて。
「こういういい雰囲気になると大抵目的地についてなぁなぁになるよね」
「漫画とかだとな。というか実際そろそろだろ」
「じゃあ、一旦打ち切りだねぇ」
ああ、やっぱり今のは「いい雰囲気」でよかったんだな。なぎさもそう思っていて、満更でもない表情をするものだから。
もちろんそれだけじゃない。これまでの積み重ねだ。いつにしようか、ロマンチックな雰囲気が、と色々考えすぎていたけれど、それが積もり積もって決壊した。
菊原さん達のところへ連れて行こうとしたのだろう、俺の袖を取るその手を、反対の手で掴み返した。振り返るなぎさの顔が、驚きに揺れている。
「なぎさ、今日の夜、部屋抜けられない? 一人で」
「え……っと」
戸惑う表情。けれど手を振り解こうとはしなかった。止めようったって今更で、だからもう止められなくて、深呼吸を挟んで言葉を重ねた。
「八時、玄関先で。待ってるから」
「……うん、わかった」
なんとなく、いや、もうはっきりとわかってるだろう。真剣な表情でそれを受け止めたなぎさと、どちらともなく手を離し、海を眺めて黙り込む。
結局定置網のあるブイまで友達と合流することなく、二人で過ごした。
猟師さん達の手で……もちろん機械を使ってだけれど、引き上げられる定置網には、活きの良い魚達が音を立てながら飛び跳ねていた。水しぶきを上げながら陽光を受けて白く輝く彼らは、ともすれば美しいとも言えるほどの光景だ。船に乗り合わせた生徒達から小さな歓声が上がり、先生までも感嘆の声を上げている。
生きよう、逃れようともがいてるんだよなぁ、こいつら。なんてことを、罪悪感を抱くでもなく頭に浮かべる。
俺達の体験学習は、その中をタモですくって箱に入れていくというものだ。それを仕分けして水槽に入れるのは、また猟師さん達のお仕事ってなもので。
見慣れたものはといえば、アジにサバにイワシ、ブリ、それから少ないけどタイが何種か。見慣れないものもちらほらとあって、バラエティに富んでいて目に楽しい。
テレビなんかでとれたての魚をすぐに捌いて、なんてのを見たことがあるけれど、実際のところやめた方がいいらしい。一人の生徒の質問に、猟師さんがそう答えていた。
寄生虫がどうのというのもあるし、何より美味しくない。
血抜き等の処理をして、死後硬直が進むと旨味成分が増え始め、そしてそれが解けていくと細菌が入り込みやすくなる。つまり「新鮮でおいしい魚」っていうのは、死後硬直が進んだその瞬間のものをいうらしい。
美しい魚群も、おいしい魚も、結局のところ実態はなんとも生々しいものである。
もう後戻りできないという焦燥感。作業中もチラチラとなぎさを追ってしまう目線。そうすると時折目が合って、俺達は言葉をかわすこともなくそれを逸らした。
意識し始めればもう、いつも通りじゃいられない。ベタなラブコメみたいな一幕に、尚更気恥ずかしさが込み上げる。
怪訝そうな友達の視線をかわしつつ港に戻れば、船に慣れたせいか平衡感覚が少し狂っているらしい。じわりと地面が傾くような錯覚に、少しだけめまいがした。
「大丈夫?」
そっと腕に手を添え支えてくれるなぎさに、「ありがと」と小さく礼を言う。
「ちょっとそこ座ろ?」
「や、大丈夫大丈夫。もう良くなってきてる」
「そう? 次、魚さばくんだって」
「目つぶっててもできるぞ」
「そういやそっか。あたし初めてだけど、正直ちょっと怖いなー」
「まぁ、丁寧にやればそう難しいもんじゃないよ。教えるし」
「頼もしー」
笑うなぎさに、さっきまでのぎこちなさは感じない。本気で心配してくれたんだな、と思うと胸が温もるような心地だ。
「多少グロいのは大丈夫?」
「まぁ、大丈夫っしょ。こう見えてメンタル強いから」
「別に弱く見えたこともないけど……」
「一人でいるとたまに寂しくなることもあるよ?」
「なんで弱いアピールすんだよ」
「守りたくなるでしょ」
「そうだな」
「肯定された!」
そうして言葉を重ねれば、いつも通りの二人に戻ることができた。意識しすぎていつまでもあんなじゃ面白くないし、やっぱりこの方がずっといやすい。
ぞろぞろと移動する同級生の一団に混じり、雑談を重ねながらたどり着いたのは、ちょっとした広場だった。港の一区画に用意された大量のテーブルには、それぞれまな板と包丁、水を張ったボウルにキッチンペーパーが用意されている。既に生徒達がそれぞれ位置につき、包丁といじったり雑談をしたりと思い思いに過ごしているようだ。
適当な場所になぎさと並び、その前のテーブルには我らが友人が三人並んでいる。
「頼りにしてるぞ衛」
「せいぜい面倒見ろよ衛」
「ぶっ飛ばすぞてめぇら」
教えを請う態度ではない男二人をにらみつけ、そして笑い合う。軽口を叩きはしたものの、本気で困ってるなら補助することもやぶさかじゃない。
とはいえそれも請われれば。基本的には自分の分をサクッと済ませ、後は様子見だ。
内容はといえば、サバの三枚おろしだ。アジの開きに並ぶ、魚をさばく体験教室の定番というイメージがある。
配られたサバはついさっき揚げたものらしい。心なしかスーパーで見るものよりも張り艶があるように思う。
十数人ごとに職員の人がつき、見本を見せてくれる。俺の知るものと大差ない、ということはわかったけれど、なるほどさすがはプロだ。手早くきれいで、かつまな板の上も最低限の汚れで済んでいる。
これは負けられない。なんて無意味な対抗心を燃やし、自分のサバに手を付けていく。
「うひょー、ぬるぬるー」
「楽しそうだな」
「そういう衛くんはもう作業感パないね」
「まぁ、でもこういう場所でやるのは新鮮ではあるよ」
「言ってる間も手ぇ止まんないし」
「慣れかなぁ」
周りを見ていると、包丁の持ち方扱い方から怪しい奴らも多い。おっかなびっくりな手つきはかえってハラハラするくらいで、いっそ思い切ってやった方が怖くないのにと内心ごちる。
なぎさはといえば、この間のオムライスの時も思ったけれど、飲み込みが早い。腹を開く時に多少「うぇー」なんて言ってはみても、あっという間に慣れて手つきも良くなる。
ひとまず自分の分を終え、それを報告すれば「早いなぁ、うまいなぁ」なんて褒められるもんだから。
「衛くん顔がドヤってる」
「めっちゃ気分いいわ」
「でもやっぱ、料理できる子っていいよね。かっこいい」
「……めっちゃ気分いいわぁ」
「あはは。ちょっと待ってね、もうすぐ終わるから」
「教えること何もなかったな。うまいうまい」
「あ、そっか。教えてもらうイベントスルーしちゃったよ」
「ゲームじゃねぇよ」
あの日菊原さんにしたように、なんてことを、俺も期待しなかったわけじゃないけれど。
ひとまずは「これから」に期待ってことで、体験教室は特に波乱もなく幕を閉じた。多少歪なくらいは愛嬌ってなもんで、とりあえず裕二と直也には「食えりゃいいよ」とだけ言っておいた。
すっかり元通り。いつもの五人組、いつもの俺となぎさ。
それでもやっぱり、ふとした時になぎさを目で追っている。無意識に近いくらい何気なく、けれどやっぱり、彼女も同じようにこちらを見ていて――
時間は過ぎていく。ゆっくりと、けれど跳ぶように。




