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巡り巡ってまた戻る。





 朝、俺はいつも通りに目を覚ます。弁当作りの為の早起きがもう身体に染み付いていて、何なら目覚ましがなくとも誤差十分以内には起きるように出来上がっている。障子から薄っすら漏れる朝陽は室内を淡く照らし、友人達の顔を白く染める。

 にしても寝相悪いな、直也。掛け布団ははだけてるわジャージははだけてるわ、足は敷布団からはみ出してるわでもう、散々な有り様だ。裕二ももう一人も、それ比べればまぁ大人しいもんで。

 とりあえず直也の布団をかけ直し、三人を起こさないようゆっくりと立ち上がり、俺はジャージ姿のまま部屋を出た。早朝に部屋を出るのがルール上どうであったかは、知らん。

 部屋の外、廊下に人の気配はなく、どうやらロビーも無人のようだ。しめしめと自販機で温かい缶コーヒーを買い、隅に置いてある一人がけのソファに腰掛けた。

 無人の旅館。無人の静寂。自販機の駆動音だけが小さく響き、ちょっとした異世界感すら漂う。特別な時間に特別な空間を独り占めだ。六月とはいえ早朝は少し冷える――温かいコーヒーが、腹に沁みる。

 時刻は五時半。生徒の起床時間が六時半に設定されているから、先生はそろそろ起き出す頃だろうか。あるいはもう起きていて、今日の予定を再確認しているだろうか。いずれにしたって、人のまったくいない公共の空間ってのはなんでこう、ちょっと気持ちがふわふわとするんだろうなぁ。

 小さな缶コーヒーをあっという間に飲み終え、あまりの少なさにその容量を確認してしまう。百八十五、との表記を見て思わず眉をひそめる。

 そんな感じで一人贅沢な時間を過ごしていると、小さく足音が聞こえてきた。思わず身構えてしまったけれど、その姿を見て力を抜く。

 担任の先生だ。

「先生おはようございます」

「……堂々としてるなお前は、相変わらず」

「あれ、ダメでしたっけ」

「いやまぁ、ダメではないが。あんまり眠れなかったか」

「いえ、いつもこの時間です。まちの……妹の分も含めて弁当作らなきゃいけないんで」

「そうか、そうだったな。大変だろ」

「いえ? 妹がめっちゃ可愛いので」

「……そうか」

 何だその複雑な顔は。まちはめっちゃ可愛いだろうが。

 まぁ、実際この生活が大変だと思ったのは最初の数年だけだ。小学校も高学年に上がれば料理にも慣れ、手際よく進めれば本来そこまで早起きしなくてもいいくらいでもある。とはいえ手際よく進められるようになったからこそ、もっと美味しくもっと手間をかけてという面もあり。

 自販機で同じく缶コーヒーを買った先生は、隣に並んだソファに同じように腰掛ける。

「それ、百八十五CCしか入ってないんですよ。高すぎません?」

「ちょうどいい。何ならこういうのって缶の方が高いもんだからな。もはや缶を買ってるまである」

「なんすかそれ」

 あんまりな言い分を笑うと、先生もくつくつと笑う。

「会議的なのってもう終わったんですか?」

「ちょうどな。コーヒーでもと思ったら、まさか生徒がいるとは」

「大変すねぇ」

「お前な」

 学校と家を行ったり来たりの生活の中、俺は友人はもちろん先生ともじっくり話す機会はなかった。境遇的にちょっと真面目な話を何度かしたものの、雑談なんてこれが初めてってレベルだ。

 でも、思ったより普通に話せるもんだな。気安くて、話しやすい先生だ。

「楽しくやってるか?」

「そうすね。娯楽なくても案外いいもんですね」

「スマホ一台ありゃこういうとこでも、今の子は喜ぶからなぁ」

「まー……ってか先生もそこまで歳じゃないでしょ」

「バレたか」

 そんな先生もまだまだアラサーの範囲内。スマホが出てきたのはいつなのかは知らないけど、彼が修学旅行にそれを持っていなかったとは思えない。

 コーヒーをすすった先生が、遠くを見ながらため息をつく。

「たまには早起きもいいもんだなぁ」

「旅館ってのがまた」

「いいよな、このしーんとした感じ」

 考えることはみんな同じだ。大人も子供も関係ない。

 そんな事実になんとなくうれしくなって、ふと先生と生徒らしいことをと柄にもなく思ってしまった。

「先生、進路なんですけど」

「お、なんか考えたか」

「製菓学校とかの資料って、寄せられます?」

「なるほどな。まぁ、適当に見繕っておくよ」

「……あんまり驚いたり反対されたりしないんですよね。なんか意外というか」

「成績はいいし、真面目だし、器用だからなぁ。何なんだお前」

「いや何なんだって」

 理不尽な文句に抗議はしつつ、やっぱり褒められれば嬉しい。にやけて緩む頬を、先生に悟られないよう小さく俯いた。

「実際、お前がサボるところが想像できん。一歩踏み出すまではちょい時間かかるところはあるが、決めたことなら心配いらんだろう」

「……じいちゃんと同じこと言ってる」

「意外と見てるもんだろ?」

「はぁ、まぁ」

 誰も彼も、過大評価が過ぎると思う。俺はそこまで真面目じゃないし、器用じゃない。成績はまぁ、確かに上位の方ではあるけれど。

 とはいえ、評価なんてのは大抵自分以外の誰かがするものだ。自己評価なんてよっぽど自分を客観視できなきゃ当てにならないし、「客観視できる」なんてやつの言うことも同じくらいに当てにならない。

 だから俺は、じいちゃんと先生の評価を鵜呑みにして、浮かれてりゃそれでいい。

「ともかく資料の件は預かっとく。来週中には渡すよ」

「ありがとうございます」

「なんか希望あるか?」

「できれば近い方が。よっぽど劣悪ってわけじゃなければ、評判はあんまり気にしないんで」

「わかった。……正直ああいうとこは、先生次第ってとこあるぞ」

「わかってるつもりなんですけど。じゃあ、良さげな先生も教えてもらえると」

「はいよ。……マジで何も知らんところからなんだな」

「すみません。でも作った経験はそこそこあるんすよ」

「妹さんにか。変な癖がどうのとかってないのか、そういうのって」

「あー……確かによく聞く話ですね。独学のデメリットみたいな」

「まぁ、そういうのは入ってからか。先生の言うことは素直に聞けよ」

「素直の具現化って言われてるくらいっすよ」

「ははっ」

「何笑ってんだ」

 遠野兄妹の素直さときたら、なぎさ公認の事実だ。感情に素直なことと、人の言うことを素直に聞く、ということがまるで違うことはもちろんわかっている。

 ともあれ会話は一段落し、先生もコーヒーを飲み終えた。時間も、いつの間にか六時にかかろうとしている。

「じゃあ、一旦部屋戻ります」

「そうか。寝坊しそうなやつは起こしてやれよ」

「はい。じゃあ」

 手を挙げる先生に一礼を残し、部屋に戻る。もちろん三人ともまだ眠ったままで、俺は起こさないよう広縁にこもり時間まで海を見て過ごした。


 本日最初のプログラムは、町内の様々な場所で行われる体験学習である。

 朝食と諸々の準備を済ませ、点呼を含む説明会を旅館の広間で行った後、午前八時から行動開始。十時まで町内の様々な場所を巡り、「協力店」ののぼりが立った店を選ぶ。十時半に体験学習が始まる為、それぞれ移動するという流れだ。

 そりゃあもう、いくら小さな港町とはいっても、そこにある店は数多い。鮮魚店じゃあ魚を捌いたり、伝統工芸品の店じゃあ何かを作ったり、あるいは塩作りなんてものもあったりするらしい。町内マップには協力店、及びその体験内容が大まかに記されており、それを元に選べばいいとのことで。

 俺は、いや俺達はマップ片手に散策を始めた。

 朝の港町はそりゃあもう爽やかな快晴で、山の方からは鳥のさえずりが小さく響いている。説明会終わりの凝った身体を伸ばしてほぐすと、吐いた息が海風にさらわれ消えていった。

 気持ちの良い朝だ。心なしか、友達三人ものびのびとしているような気がする。

「なんか希望ある人ー」

 何かというとグループを牽引してくれる、リーダー気質の菊原さんが尋ねる。

「なし!」

「同じく」

「右に同じ」

「涙が出るくらい主張しないメンバーだね」

 がっくりと肩を落とし、嘆く菊原さん。どんまい。

「まぁ、適当に歩き回ろっか。そこまでバラけてないみたいだし、一時間も歩けば一通り見られるっしょ」

「だね。あ、でもいかにも勉強! って感じのはパスかなぁ」

「それは私も。じゃあ郷土資料館みたいなんは外しとこ」

「可哀想に……」

「遠野くんが行きたいって。なぎさもどう?」

「えぇ……さすがに釣られないよ……」

「嘘じゃん。冗談じゃん。一緒に連れてってよ」

「だっさ」

「こうはなりたくねぇな」

 ただ、可哀想だと思ったのは本当だ。行きたくはないが。

 四人で歩く港町は、やっぱり住み慣れた町を歩くのとはまるで違う。潮風の中、鳥の声と人のざわめき、車の流れる音が穏やかな喧騒を作る。港町の朝は早い、なんて勝手なイメージがあったけれど、まさしくその通りで――自然の中にある人の営みが、まさにここにある。

 俺達も、そんな喧騒の中の一部だ。賑々しく会話を重ねて、あっちで写真を撮ってはこっちでもぱしゃり。四人で撮ったりペアで撮ったり、あるいは自分だけの写真も自然だけのものも。なぎさが来てからこっち、まちばかりだったスマホのアルバムがどんどん埋まっていく。潤っていく。

 一通り協力店を見て回り、町中央の小さな広場でマップを広げて相談タイム。これまた小さな噴水がさらさらと音を立てるその脇で、ああでもないこうでもないと協議すること十五分。


「じゃあ、ここで決定!」





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