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夢物語。




 樺沢すみれ。

 まち、つまり『machico』が所属するレーベルに勤めるマネージャーであり、大雑把に言えば「仕事の管理」が彼女の仕事である。

 スケジュールの調整、管理。営業から現場への同行。プロモーションの管理なんかもそうで、あっちこっちを駆け回っているらしい。

 とにかく忙しい人だ。こんな時間までアイドルの送迎をしてる時点でまぁ察しはつくけれど、本当に寝る間もないほど。

 とはいえそんな境遇もなんのその、いつも朗らかに笑っていて、決してアイドル達に弱みを見せない強い女性だ。

 セミロングに斜めバングの、ダークブラウンの髪。怜悧な印象のキリッとした目は、けれど冷たいものを感じさせない。まちよりも一回り小さいのに、「できる女性」の雰囲気がきちんと彼女より年上の大人であることを教えてくれる。

「樺ちゃんおいしい?」

「美味しいです。本当、だからまちこちゃんの送迎ってやめられませんよねぇ」

「それ目当て?」

「……半分くらい?」

 リビングのテーブルで、まちの対面に座った樺沢さんは、フォークを加えて至福の表情を浮かべていた。

 今日樺沢さんのために作ったスイーツは、ココア杏仁豆腐。砂糖の含まれてないピュアココアを使った文字通りの杏仁豆腐で、夜食に食べても罪悪感はさほどない。

 何しろ我が家というのは、主要なスイーツの素材はあらかた冷蔵庫にそろっている。まちの為に、その日考えた物を即作れるように、ネット通販で頻繁に補充しているのだ。食事の素材にはさほどのこだわりを見せない俺も、スイーツの素材には結構なこだわりを持っていて。

 ただのココア、ただの杏仁粉といっても、まぁ、それなりに値の張るモノだ。

「あ、おにぃおかえりー」

「おかえりなさい。すみません、先に頂いてしまって」

「いえいえ、ただいま帰りました。今更ながらに手作りとか重いかなと思ってたところなので、喜んでもらえてるみたいで何よりです」

「何をそんな。この為にまちこちゃんの送迎を後回しにしてるくらいなのに」

「えー」

 ぶーたれるまちを笑い、まちが淹れたであろう紅茶を一口含むと、柔らかく吐息をこぼす樺沢さん。続けて食べるまちも、同じように吐息をついた。そんなまちの隣に座り、自分の分を目の前に持ってくる。一口食べて、俺もまた吐息を一つ。

 スイーツっていうのはやっぱり、心の栄養だよなぁ。疲れた心を癒やしてくれる。だからこだわってるし、だから喜んでもらえると何よりの励みになる。

「このくらい心も身体も健康的に、みんなやっててくれると助かるんですけどね」

「やっぱり皆さん、あれですか。ストイックというか」

「そうですね。睡眠時間を削ってレッスンしたり、アルバイトに精を出したり……単純に美容の大敵ですし、疲れも溜まります」

「でも、やっぱりウチは金銭的に恵まれてはいると思うので」

「そうですねぇ……そこは確かに、私達の力不足という面もあるので、申し訳ないところもあるのですが」

 アイドルが売れない理由は、何も本人の実力が足りないというだけではない。もちろん本人だって色々と営業をかけたりしてはいるだろうけど、やっぱり当人だけではやれることも限られていて。

 それを支えるのが彼らマネージャーであり、それもまた売れない理由の一端にはなってしまう。当然ながら双方懸命に頑張ってはいても、エンターテイメントなんてのは水物の商売でもあるわけだ。

 苦笑いの樺沢さんは、また一口杏仁豆腐を含み、「美味しい」と呟く。

「でもまちこちゃんは本当に、一気に伸びましたね」

「なーちゃんのおかげだよぉ」

「地力あってのことでしょう。サブスクの方も、ダウンロード視聴数共にぐんぐん伸びてますよ」

「わー。これは、次のオリ曲とかも考えちゃうなぁ」

「それはもう決定路線でしょうね。これからバンバン売り出していくと思います」

「おー……忙しくなりそう」

「アイドルの負担は極力増やさないよう調整はしますが……ある程度は、はい」

 期待と一緒に膨らむ不安に、なんとなく沈黙が降りる。

 まちは楽しんでアイドルをやっているが、元々スカウトされて始めた口だ。だから「ああなりたい」「こうなりたい」という強烈なモチベーションはなく、とにかく樺沢さん言うところの「地力」だけを伸ばしてきた形になる。

 とはいえまちの中で、アイドルは「なんとなく」だけでやってるわけじゃないってのはわかる。樺沢さんとも、俺の知らないところでたくさん話をしてきたはずだ。

 妙な世界観だ、と評したライブにしたってそう。それを受け入れてくれたファンは確かにいて、数字が増え始めた今だって、それほどの批判も拒否感も見られない。ゼロじゃないにしたってだ。

 理想と現実を秤にかけて、その中で釣り合うバランスを探っていく。何かを追い求めるに誰もがやっている、おそらく当たり前のこと。

「まちこちゃんに関しては、それでもさほど心配はしていません」

「そうなの?」

「支えてくれる方がいて、まちこちゃんはその方の言う事を素直に聞きますから」

「おにぃ大好きだから」

「うんうん。こんなお菓子作ってくれるお兄さん、そうそういないですしねぇ」

 毎度のことながら、俺に対する評価が激甘すぎて居心地が悪い。反面、褒められるのは素直に嬉しい気持ちもあり、複雑な感情に笑顔もどう作ったものやら、反応に困る。

 とはいえ、だ。

 スイーツの評価は毎度、誰に聞いても高い。そりゃそうだ、同年代の高校生に比べれば経験が違う。素材も違う。

 けれどそれは当然ながらにお金をもらっているわけではないし、そうであれば評価が甘くなるのも当然だ。

 気になった。「夢」がおぼろげながらに見えてきた今、俺の作るスイーツが、客観的に見てどのくらいの評価に落ち着くのか。それなりに数を食べてきたであろう大人の女性から見て、それはお金を払うに値するのか。

「……例えばそれ、お金を出して買いたいと思います?」

「……真剣なお話ですか?」

 俺の表情をひと目見て、その意図に気付いてくれたんだろう。樺沢さんも表情を改め、真剣な眼差しでこちらを見ている。

 コクリと頷けば、改めて一口、杏仁豆腐を含む。目を閉じてそれを味わい、飲み下し、ため息一つ。その対面、俺の隣に座るまちも、固唾をのんでそれを見守っている。

 考えてみりゃ、俺がまちの前で真剣な顔をするなんて珍しい。それこそまちが体調を崩した時、無理をしようとしてる時、つまりまちに関することばかりだ。自分のことでこうも真剣になったことが、俺にはない。

 その緊張が、多分まちに伝わっていて。やがて口を開く樺沢さんの言葉に、耳を傾ける。

「そこにあれば、普通に買うでしょうね」

「ほ……本当ですか?」

「はい。言っている意味はわかりますか?」

「そこに、あれば……あ」

「はい。つまり、そういうことです」

 一瞬喜びかけたが、発言の意図に気付けばそれも萎む。

 つまり樺沢さんはこう言っている。「わざわざ買いには行きません」。

「ただ、クオリティは間違いなく高いです。工夫次第、でしょうか。お菓子は専門外なので、ふんわりとしたことしか言えませんが」

「いえ、参考になりました。それで、その……」

「遅くはありませんよ」

 俯きがちだった顔が、その言葉に上がる。言い切った樺沢さんは、いつもの通りにふんわりと微笑んでいた。

 なぜ言いたいことがわかったのか、それは本当に額面通りの言葉なのか、色々考えることはあるけれど……その笑顔に、胸が軽くなる。

「そもそも飲食業界なんて、脱サラして独学で、みたいな人がザラにいますから」

「ああ、確かにテレビでよく見ますね」

「大半はまぁ、お察しではありますが……」

「えぇ」

「工夫次第、でしょう。なにより一番難しく一番大事な要素を、埋めてくれる人がいます」

 一番難しく一番大事な要素――それは、樺沢さんの視線が教えてくれた。

 まちを見ている。つまるところ、「周知すること」だ。

 アイドルにしろ配信者にしろ、大半の人間は、知られることなく挫折し辞めていく。直也が言っていた、「登録者千人で上位」という現実。それは恐らく飲食業界においても同じことで、たまたま歩いていて「じゃあ入ってみよう」なんてお店は、そうそうあるもんじゃない。

 まちはその視線に気付くと、珍しく真剣な顔で言う。

「おにぃがお店開いたら、まち、たくさん宣伝する。めちゃくちゃする」

「やり過ぎは逆効果ですよ」

「……てきどにする!」

 ぼんやりとした「夢」の段階。だというのに、ここまで言ってくれる妹に、目頭が熱くなる。こいつは切羽詰まると、自分のことを「まち」って呼ぶんだ。

「なーちゃんも絶対協力してくれるよ」

「それは……まぁ、でも今は」

「私はこう見えて、かつてはアイドルをしていました」

「え、そうなんですか?」

「はい。今は挫折してこんなですが……それでもアイドルに関わっていたくて、こうしてしがみついています」

 ぼんやりとしている、からこそ、それは迷いだ。樺沢さんはそんな俺の様子を見て、自らの身の上を話してくれた。

 彼女がアイドルを目指したのは高校生の頃。そもそもアイドルっていうのは主に若年女性の職業であり、一般的には十代、それでなくとも二十代がメイン層になる……はず。高校生となれば決して遅くはなく、そして彼女は見事にアイドルになった。

 はじめはグループから。五人組で、いわゆる王道グループとして小さな箱からスタートして、そして小さな箱で終わった。

 原因は、言うなれば温度差。小さな箱で客と近い距離でまったりやっていきたい、という人と、もっと大きくなっていずれはメジャーデビュー、なんて人とで軋轢が生まれ、そして修復できないまま心は離れ、解散となった。

 樺沢さんは、そのどちらでもなかった。正確に言えば、どちらの気持ちも理解できた。当時は言えなかったその本音は、「小さな箱で客と近い距離で、本気でやりたかった」というもの。今の環境の下、今以上の努力をしたかった。

 結局そんな意見は彼女の心の奥からどこにも出ることができず――その後ソロで活動を再開したものの、芽吹くことはなく――今もくすぶったまま「アイドルの関係者」にしがみつく理由になった。

「まぁ、そんな意見を言ったところで何が変わったとも思えませんが」

「でも」

「言えなかった、という事実だけがずっと、しこりになって消えません」

「……そうですか」

 夢と言うにはあいまいな、ぼんやりとした霧に立つ看板のような。

 浮き上がるようにぼやっと現れた分かれ道を前に、まず俺がすべきこと。

「言葉にしましょう。まずはそこからです」

「……スイーツを、作りたい。売りたい、です」

「はい。まずはあなたの夢がはっきりしましたね」

 それぞれの道に名前をつけることだ。それが道であるとはっきりと認識すること。

 その道にはたくさんの障害とたくさんの看板が立っていて、まだひとつ先のそれらも見えないまま。けれどそれは確かに道であり、歩むことのできる場所の一つであるとわかる。

「まぁ、これからゆっくりと考えることです。進路希望なんて、三年生の二学期に決めたっていいんですから」

「そういうものですか」

「勉強をサボってはいけませんよ。学校の教科にしても、お菓子作りにしても、それから経営にしても」

「……忙しくなりそうですね」

「はい。あなたの道ですから」

 そりゃそうか。俺はアイドルじゃない。こんなアドバイスをもらえただけ幸せ者だ。

「お菓子のお代と思ってください。……お願いします」

「台無しだよ樺ちゃん」

 頭を下げる樺沢さんに苦笑い。そもそもまちが世話になってるお礼で、金を取ろうなんて一度だって考えたことはない。

 けれどやっぱり大人にはメンツってものがあるんだなぁ、なんて場違いな感想を抱いてみるのだ。





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