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お泊り準備回。




 泊まりになる、ということで、なぎさは一度帰って荷物を持ってくることになった。どれくらいの荷物になるかわからないので、男手であるところの俺がついていくことになった。

 テンションが上擦ってどこか浮き立っているなぎさは、俺が話を振ってもどこか上の空でおざなりだ。まぁそりゃそうか、推しに「泊まっていく?」なんて言われて、平静を保てる方がどうかしてる。そんなこんなで推しが泊まりに来ることになってしまった俺の心情だって推して知るべしだ。

 さすがのなぎさも、パジャマ姿で配信をしたことはない。せいぜいが部屋着で、それだってコンビニに行くくらいなら平気でできてしまうくらいのものだった。今夜どんな格好で過ごすつもりかはわからないけれど、想像が捗って仕方がない。配信でも見せた部屋着か、かわいらしいパジャマか、あるいは……。

 住宅街の端と端、くらいの距離にあるなぎさのマンション。エントランスから階段を上がり、二階の角部屋。鞄から鍵を取り出した彼女が、ドアノブにそれを差し込んでカチリと回す。

 こちらに目配せ一つ、ドアを開いた。緊張する――なにしろ、女子の家に遊びに行くのは初めてだ。加えて彼女は一人暮らしで、いつ行っても親がいないことがはっきりしてる。

「お邪魔しまーす」

「どぞー」

 玄関はスッキリ整理されていて、出されている靴は一つだけ。そこに二つ加えて、俺はなぎさに続く形で部屋に上がった。トイレ、バスルームらしき扉の横を抜け、そこそこ広めのワンルームに通される。

 白とピンクを基調にした、意外にもシンプルな部屋だった。クローゼット、おしゃれな化粧台、ローテーブルにクッション、少し小さめのベッド。足元にはふわふわのファーラグマット。壁にはコルク板が飾ってあって、いくつかの写真が貼り付けてある。よくよく見れば、そのほとんどがまちこのチェキ会で撮られたものだ。

 それからやっぱりというか、まちこのポスターがデカデカと貼り付けてある。ステージでマイクを持って歌う写真。躍動感のある、弾ける笑顔のいいポスターだ。それからハンガーにかけられたまちこのオリジナルTシャツ。オリジナル缶バッジをつけたオリジナルキャップなどなど……まちこグッズが、壁一面の相当な面積を占めていた。

 そんな衝撃的な光景を差し置いても俺が一番注目したのは、一畳ほどのスペースを占有する大きな箱型の「なにか」。おそらくはこれが配信用の防音室ってやつだろう。扉は閉まっていて、中身がかなり気になるけれど――配信で見ている以上の情報は、たぶんないんだろうということはわかる。

「ごめんねぇ、ちょい座っててー」

「あ、うん。クッションでいい?」

「どこでもどーぞ」

 お言葉に甘えて、とクッションに座り込むと、ソワソワしていた気持ちが少しだけ落ち着いてくる。

 そうするといろいろと気づくこともあって、例えば部屋に漂う甘く爽やかな香りだとか、化粧台に並ぶ道具のいくつかに見覚えがあったりとか――なぎさの部屋だな、と実感させられた。

 あちこち動き回って引き出しを漁ったりメイク道具を漁ったり、手当たり次第に旅行カバンに詰め込んでいく。何か焦ってるとも思えるほどに急ピッチの作業で、ああ本当に楽しみなんだなぁと微笑ましく思う。

「あんまり焦って忘れ物するなよ」

「うん、だいじょぶー」

 最悪スマホと財布さえあればなんとかなる、とはいうものの、やっぱり化粧品だの着替えだのは個々人でこだわりがあるはずだ。ましてやなぎさとまちじゃ、ファッションその他の好みが違いすぎる。

 合わせてるだけで合うとは思っていない。いつだったかなぎさが言っていた言葉だ。

「あ、せっかくだからお土産」

「なんか高いものでいいよ」

「えぇ……あ、そういえばめっちゃ高いオリーブオイル使ってないけど、いる?」

「欲しいかどうかで言えば欲しいけど、さすがに受け取れん」

「使ってないんだけど?」

「……じゃあ、ありがたく」

 にっこりと笑うなぎさが、キッチンの戸棚かららしい(・・・)ボトルを取り出して鞄に放り込む。緩衝材か何か、とは思ったけれど、どのみち歩きで大して揺れることもないだろうと黙っておいた。

「それにまちこが食べてくれたほうが嬉しいしねー」

「ああ、なるほど。じゃあ、まちが喜ぶような料理に使うよ」

「そうしてそうして。ただ、一回か二回くらい使っちゃってるけど」

「それは全然。あ、じゃあビニール袋くらいには入れたほうがいいかも」

「あ、そっか。危ない危ない」

 改めてボトルを取り出し、ガサガサとキッチンでビニール袋で包むようにして再び鞄へ。

 料理は手を抜きがち、とは言ってたけど、やっぱり少しだけズボラな印象。けれど嫌な気持ちになるほどでもなく、キッチンを見ればまったくやっていないわけじゃないのはよくわかる。手入れの行き届いた清潔なキッチンは、その人となりを実によく表していると思うのだ。

 そうして準備完了。旅行カバンのチャックを閉め、にっこり顔で差し出されたそれを受け取り、今度は俺から玄関の扉を開く。

 鍵を閉め、ノブを何度か回して確認した後、二人並んで歩き始めた。



「推しの部屋、めっちゃアガったわ」

「お、そういや初めて人上げたな。防音室も見せてあげたらよかった」

「まぁ、また今度お願いするよ」

「次の約束をさり気なく……こいつは恋愛上級者」

「なんでだよ」

 胡散臭い恋愛指南サイトにありがちな「テクニック」に、なぜか驚愕の表情を浮かべるなぎさ。なんだか妙におかしくて、二人で笑った。

「推しの部屋に妹のグッズが大量にあるのは、なんかすごい光景だよな」

「確かに! まだまだ探せばいろいろあるけど、まぁグッズ紹介はまた改めて」

「いらねぇよ。まちが大体全部持ってるっつーの」

「……そりゃそっか」

 そりゃそうだ、と頷けば、少し残念そうななぎさの顔だ。

 推しを広めたい、推しを教えたい、とにかく推しを語りたい、という気持ちは大いにわかる。わかるけど、さすがに今回ばかりは相手が悪かったと諦めて欲しい。

 とはいえ、より『machico』を知っているのはたぶんなぎさだ。まちを知っているのは間違いなく俺だけど、アイドルとしての彼女を、俺はまだ二回しか見たことがない。

 兄として、それを知る必要はないと思っていた。それはむしろ枷になるとさえ思っていた。

 でも今は、純粋に知ってよかったと思っている。

「まぁ、なぎさから見たまちこの話は、いつか聞きたいかもな」

「ガチで?」

「いや、お手柔らかめに」

「わかった。二時間コースね」

「いやいやいや」

 そこまではいらない。なにしろこれまでのなぎさを顧みるに、それがまるで誇張だとは思えないんだよな。本気の目をしている。

「そういや部屋どうする? まちの部屋でもいいし、客間も空いてるけど」

「客間! さすがに無理!」

「ですよねー。……ただ、まちがなんて言うか」

「う……その時は、覚悟キメる」

 ずっと以前から『なーちゃん』を知っていたまちは、なぎさとしてもずいぶん親しみを感じているようだ。物理的な距離感が遠めのまちにしては、触れ合うまでにほとんど時間がかからなかった。チェキ会で慣れっこだから、というのももちろん、肌に合った、というのがたぶん適当だと思う。

 これを言ったらなぎさは喜んでくれるだろうか。それとももう気づいているだろうか。いまだ浮き立った様子の彼女を見ていると、どうにもそこまで気にしているようには見えなくて。苦笑いが漏れる。

「やばぁ、めっちゃドキドキしてきたぁ。朝のパジャマ姿の時点でやばかったのに、ガチでやばい!」

「語彙がやばいな」

「推しとお泊りだよ? 語彙とか死ぬっしょ!」

 テンションが定まらない。目の前の重大イベントに意識が全て持っていかれている。

 ああでも、なぎさが言ってた通りだ。好きなものを素直に語る人は、キラッキラしている。

「何して遊ぶんだろ。遊ばないのかな?」

「まちは基本アイドル趣味みたいなとこあるからなぁ」

「さすがだわぁ。日常からもうアイドルなんだ」

「まぁ、良く言えば?」

「じゃあ、あたしも配信の話ならできるかも」

「お、じゃあ登録者伸ばすコツとか教えてやってよ」

「もちろん! アイドルとゲーム配信者じゃ全然違うだろうけど」

 俺が言うことじゃないだろうけど、推しの助けになれるってのは嬉しいもんだ。笑顔の抑制がもはや効かなくなっているなぎさから、その喜びようが如実に伝わってくる。

 あの対バンライブ以降、少しずつではあるけれど、まちこの「数字」が伸びてきている。兄萌え、であることは配信のアーカイブを見れば一目瞭然、それでも減っていないということは、それを超える魅力が彼女にはあるということだ。

 必要なのは見せ方。どうやったらたくさんの人にその魅力を知ってもらえるか。

 俺の周りで、まちの周りで一番それを知っているのがなぎさだ。

 会話に慣れて、緊張に慣れて、こうして面と向かって長い時間話す機会に恵まれた。

「プロデューサー面厄介オタクになる時が、ついに来た……」

「それでいいのかお前」





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