意識はすっかり向こう側。
大きなイベントが終わりほっと一息。これでようやくゴールデンウィーク本番だ、と言いたいところだが、月曜を休めば次の三日間は登校日である。
ライブ終わりの月曜日。前日に少しばかり夜更かししてしまったのもあり、その日はのんべんだらりと兄妹水入らずで過ごした。ソファに座る俺の膝に、足を乗せたり頭を乗せたり、我が家の妹はやっぱり甘えん坊であった。あんなにもすごいライブを見た直後だったせいか、ギャップに少し戸惑ってしまうくらいだ。
ライブ前、ライブ当日に引き続き、その日まではカロリー高めの豪勢な食事を楽しんだ。うまいうまいと舌鼓を打つまちの姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。これだから作りがいがあるんだよなぁ。
それから二人で動画を見た。コレオス、ぱすてるジャム、純アイのMVや企画動画なんかを、合わせて二時間ほど。三組ともがまちこよりも登録者数は上であり、やっぱりどの動画も凝っていて見栄えがいい。コレオスはダンス、ぱすてるジャムはフリートーク、純アイはライブ映像――やはりと言うべきか、それぞれに特色に合った動画が伸びている様子だ。
とはいえまちだって負けていない。あのライブからたったの一日、登録者数が二割も伸びたのだ。千から千二百に。小さいようだけど、大きな一歩だ。なにしろ、あのライブの動員数が例えば三百程度だったとしたら、その三分の二が登録してくれたことになるんだから。
伸びたのはMV。まちの歌は、ライブに来てくれた人達の琴線に触れたようだった。
登録者数、動画の再生数。今までにない伸び方を見て、まちは飛び跳ねんばかりに喜んでいて、ああなんとも、我が身のように嬉しくなってしまう。
すっかり元気になった登校日初日、教室に着くと俺の席で女子会が開かれていて。じゃあいつも通り裕二か直也辺りに絡みに行くかと向かおうとしたところを、一人の女子につかまった。
「え、なに」
「日曜の夜、一緒にいたよね」
指差す先に、「ごめん」と手を合わせるなぎさ。
「いたね。ライブ一緒に見に行ってた」
「え、あっさり認めたけど」
「別にやましいことしてねぇしなぁ」
「夜中に男女が二人で出かけてる時点で結構やましいよ?」
「いやいや中学生じゃあるまいし」
へらへらと笑ってかわしてみるが、実際のところ心臓バックバクである。
なぜバレた。いや目の前のこの子がたまたま見かけたんだろうけど。
実際どこまで喋っていいやらわからない。こんなことならまちも含めて三人で話し合っておくべきだった。
まちがアイドルであるという事実。それをなぎさが推しているという事実。そしてそのなぎさを、俺が推しているという事実。そしてまちは自他ともに認めるブラコンで――
なんだか関係が絡み合って複雑だ。一つを喋ると、どこまでも喋ってしまいそうで。とはいえ、喋っても構わない明白な事実が一つ。
「なんなら、妹も一緒だったしな」
「あ、そうそう、衛くんの妹さんと、三人でね」
「……そうなん? あれ、でも居酒屋入る時は」
そこまで見られてたんかい。
なんだかめんどくさくなってきた。それに、正直そこまでして隠し通すものでもない気はしている。なにしろ配信サイトで全世界に大公開している事実でもあるわけで――
「……ライブってのが、妹のライブだったんだよ」
「え、なんかやってんの?」
「アイドル。インディーズだけど」
「マジ? 妹いる、ってくらいしか知らんかった」
「……そういや一年の時も一緒だっけ」
「今更かよ!」
道理で気安く話してくれると思った。
まちの友達といい、関わりの浅い「知り合い程度」の人間に対して、あまりに関心がなさすぎる自分が恥ずかしい。とはいえそこまで気にしている様子もなく、「まぁあんまり喋ったことはないか」と軽く笑い飛ばしてくれた。ありがたい話だ。
「じゃあ改めて自己紹介くらいしとこうかな。菊原紗奈」
「どうも。遠野衛と申します」
「そっちは知ってる」
「……ほんと申し訳ない」
マジで。
なぎさは「優しい」なんて言ってくれたけど、やっぱりそんなことはない。優しい人間は、クラスメイトの顔と名前を忘れたりしない。自戒しなくては。
茶色のミディアムボブ。なぎさと同類みたいな雰囲気とは裏腹に、ほんわかとした顔つきの温かな。さすがにこうなれば忘れたりしない。
「で、そのアイドルのライブに、なぎさはどうして?」
「推しだから!」
「はっきり言うなぁ」
俺がカミングアウトしたことで開き直ったのか、とてもいい笑顔で。俺が勝手に勘違いしてただけで、元々隠すつもりは全然なかったんだな。
「なぎさは推しで、遠野くんは妹だから。なんかすごい納得しちゃった」
「そういうこと。ついでに言えば、俺は『なぎ。』推しなんだよ」
「えー。なんかややこし」
「推しつ推されつ、ってやつだね。……三つ巴の推し……おしどもえ?」
「妙な言葉を作るな」
えへへと笑うなぎさに、呆れた視線が二対注がれる。
「じゃあ別に付き合ったりとかじゃないんだ」
「ないねぇ。いい人だなーとは思うけど」
「いい人だなーとは思うけど」
「……なんか逆に脈なしな感じ」
「いや、かわいいと思うよ?」
脈なし、と言われるのはさすがにちょっとはばかられる。俺からなぎさへ、というのはもちろん、なぎさから俺に、というのも、可能性くらいは頭の片隅に残しておいてもらいたい。
キープがどうのという話じゃなく、そもそもまったく異性として意識しないわけじゃないんだ。ただ今は、妹を介して仲良くなったという手前、ちょっとだけ遠慮が勝ってしまうというか。
「ゴールデンウィーク、なんか予定ある?」
「え、紗奈もしかして」
「うん。いいじゃん、妹さんも呼んでもらってさー」
「……なんか誘われてる?」
「休み入ってすぐ、えっと木曜日か。バーベキューするんだよ。まだ私となぎさだけだから、人集めたいなーって話してて」
「逆にいいの?」
「会ってみたいなぁ、妹さん。なぎさも喜ぶでしょ」
「めっちゃ喜ぶ。なんならそれだけでお腹いっぱい胸いっぱい」
「そういうことなら……あ、他に一人二人、男呼んでも大丈夫?」
「いいよぉ。二人呼んでくれたら男女比ぴったりじゃん……っていうか、誰呼ぶかもうわかってるけど」
「……交友関係狭いからなぁ」
「いいんだよ、衛くんはまちこ一筋で」
「一筋でもねぇよ」
いや、言い訳できないくらい一筋ではあったけど。
振り返ってみれば確かに、俺の生活はまちを中心に成り立っている。そのほとんどを「家事」の一言で説明できてしまうけれど、それでもそのほとんどを彼女を中心にして組み立ててるからだ。料理の好みであったり、衣類の洗濯、雑貨の選定などなど――彼女が喜ぶようにしてきた。
それはまったく苦ではなかったし、実際に喜んでくれればそれが何よりの励みになる。喜びになる。
ただ今更ながらに思う――俺って本当に、内向きの生活をしてきたんだな。まったく「外」に意識が向かっていない。
なぎさがこっちに越してきて、いろいろと出かけるようになった。それが思いの外楽しくて、思いの外まちも楽しそうにしていて、これまでの俺はどこか間違っていたんじゃないかと考えてしまう。
もちろんまちが喜んでくれることを疑ってるわけじゃない。でも、この年齢に至るまで甘えん坊な彼女を見ていると、一抹の不安を抱かないでもないわけで。
両親の話もある。変わる時期に来ているかも知れない、という予感が確かにある。
だからこのバーベキューの話にも、一も二もなく飛びついた。
「じゃあ、二人には遠野くんから声かけといて。あ、ライン交換しとこっか」
「おっけ。じゃあ、予定決まったらまた連絡するわ」
「詳しい話はそれからね」
「やば、俄然楽しみになってきた」
「私と二人じゃ不満かい」
「不満だよ」
「あぁ?」
それにしても君ら、一ヶ月の間にずいぶん仲良くなったね。
気安く言い合う二人に笑っていると、担任が教室に入ってきて「席につけ」と手を叩く。
ガタガタという椅子の音と共に少しずつざわめきが収まっていき、朝のホームルームが始まる。
結論から言えば、俺が誘う三人、まちと裕二、直也は全員参加と相成った。
女っ気がまったくないわけじゃないが、裕二も直也も恋愛経験はあってないようなものだ。女子三人とのバーベキューということで、わかりやすくテンションを上げていた。他に何の予定があっても、例え部活のでかい大会があっても参加すると豪語していて――アホかと一笑に付しておいた。
かく言う俺だって楽しみだ。そもそもバーベキュー自体、そんなに縁があるイベントじゃなかった。アウトドア飯、という体験そのものも、それからかわいい女子三人も、馬鹿なことを言い合える友人達も。そりゃあ、楽しみに決まってる。
ライブでいろいろと出し切ったまちは、それでももう元気いっぱいだ。数字が伸びたことはわかりやすく彼女の気力を引き上げて、なんだか俺と同じように、意識が外向きになってきているような。
友達が少ないわけじゃないけど、予定にしろ何にしろ「兄優先」だったまちも、これからきっと変わっていくだろう。そう思うと寂しい気持ちもあるけれど、喜ばしくも思える自分がいる。
いずれにせよ登校日を乗り越えてから。
木々と小川に思いを馳せて、俺達はその日の授業をなんとか乗り切ったのであった。




