007●セイレム魔女団《ウィッチズ》
007●セイレム魔女団
米国セイレム魔女団に所属する原潜トライトン号は、アマミを後甲板に載せて浮上した。
「あわまゆ、ぱちん」と泡繭の解除呪文をつぶやくと、彼女を包んでいた強固な結界の球体はパチンと弾けるように消滅し、両足は黒々とした鉄の甲板を踏みしめていた。
手首の防水時計を見ると、午後二時を少し回ったところだ。
フィィィィッと汽笛が鳴ると、見上げるばかりに大きな司令塔から潜望鏡が下がり、代わって各種アンテナや測的装置がするすると伸びていく。
特に大きなものは司令塔の中央から姿を現わした対空捜索レーダーで、七輪で魚を焼く時の網にそっくり……とアマミは思った。
巨大な焼き網がゆっくりと回転し、司令塔の後端近くに旗竿が伸びると、星条旗が翻る。
気が付くと、星条旗をバックに、忽然として一人の少女が佇んでいた。
清浄な青をベースに、エプロン風に純白のレースとフリルをふんだんにあしらったワンピース・ドレス。
スカートの贅沢な生地が、ふわりとはためく。
「……アリス?」
思わず、つぶやいてしまったアマミ。幼少のころに観たディズニーアニメの主人公とイメージがダブったが、こちらの実物はアニメの少女よりもずっと高級感のある衣装をまとっている。それに……
憎たらしいくらい、可愛くて美しい。
それが第一印象だった。
中1か小6か、に見える体形も仕草もローティーンの少女っぽいが、その宝石のような碧い眼差しは老獪なまでに、したたかな知性を放っている。
豊かな金髪がほどよい潮風に揺らぎ、初夏の午後の日差しに、きらきらと輝く。
「|すべては金色の午後のこと《オール・イン・ザ・ゴールデンアフタヌーン》」
アマミにも聞こえる肉声でルイス・キャロルの有名な著書の献辞の一行目を上品に唱えた美少女が妖精語に切り替えて続けた言葉は、残念ながら上品とはいいがたかった。
『そこの腹巻少女! あなたがアマミ?』
上から目線の呼びかけに、アマミは反射的にうなずいたが、その手はさっと動いてお腹に巻いていたバスタオルを取ると、パレオ風に巻き直した。超ミニスカだが、その恥ずかしさは腹巻よりはましである。
金髪少女は、ふふ……と含み笑いでほほ笑んだ。それがまた、一層憎たらしいほどに可愛い。
そして、ふわりと甲板に降り立った。箒なしで優雅に飛行魔法を操っている。
『あたしはキャロル・ディアリング、よろしく』
名前を告げると、握手の手を伸ばす。
アマミが握手を返すと、眉をしかめて自分の手を見つめ、握っては開いた。
長時間、泡繭で深海を行動していたアマミの掌はもとより全身がスクール水着ごと、湿気と塩分でべとべとになっていたのだ。
『それって、ニッポンのニンジャガールのユニフォーム?』とキャロルは尋ねた。『私たちも去年、姫路城でニンジャレンジャーの養成講座を受けたものよ』
『ひ、姫路城に?』と、唐突に出てきた国宝の名城に面食らったものの、アマミはすぐに思い出した。『あ、“ゼロゼロセブンは二度死ぬ”だっけ! 去年観た映画の中にあったよね。忍者部隊の訓練所』
じっちゃんが映画好きで、一緒に観に行ったのだ。田舎町の家族的娯楽と言えば、週変わりで豪華三本立て、週末はオールナイトでしかも客席の入れ替え無しというリーズナブルな映画館くらいしかないのである。
『そう、それそれ、映画だけじゃなくて、本当に秘密のトレーニングセンターがあるのよ。もちろん魔法の訓練施設だけど』と注釈してキャロルは問う。『あなたも魔法のくのいちかしら?』
『あ、違います。これはニンジャの制服じゃなくて、ただの学校水着なの』と、アマミは恥ずかし気に答えた。
『そうか、てっきり、ニンジャ用バトルスーツだと思った。ジュードーの赤帯を締めているのかと』
柔道に赤帯はなかったよね……と思うアマミだったが、全身がナマコ化したみたいなベトベト気分が恥ずかしくて赤面する。
そんなアマミに笑いかけると、キャロルは手をかざして魔法をかけた。
『水着なら、丸ごと洗浄オッケーね。ホットスプリング……スコール!』
ざあっ、と言うよりも、ドバッ、という印象で、あたたかい真水のシャワーが、アマミの全身を覆った。慌てたアマミが水中メガネをかけて上を見ると、自分の頭の上に、まるで日傘のように黒雲が湧いて、温水の雨を降らせている。ご丁寧にも黒雲の中にはチカチカと小さな稲妻が走り、まさに夏の夕立だ。
こりゃ即席の雨女かいな……と思ったところで、キャロルは『ウォッシュ&ドライ!』と続ける。
ボワッとばかりに、頭にシャンプー、首から下は肌に優しい石鹸の泡が沸き立つ。
わ、わ、わ、と戸惑っているうちに、内股も脇の下も、泡ブクにくすぐられる。
あまりの気持ちよさに水中メガネを取り、目を閉じてしまうアマミ。すぐに温水シャワーで綺麗さっぱり洗い流されると、今度はドライヤー並みの熱風がびゅっと渦を巻いた。
乾いたトルネードはものの数秒で湿気を取り去り、風呂上がりの気分で目を開けたアマミだったが、なお一層の恥ずかしさで全身真っ赤になった。
潜水艦の司令塔の上と、その根元の甲板に普通人らしい米海軍の兵員が鈴なりになって見物していたからだ。
“魔法の人間洗濯機”はさすがに珍しいらしく、みんな、にやにや笑っている。
金髪魔法少女のキャロルは目を細めてアマミを眺めた。アマミよりも額の分だけ背が低い。鼻を近づけてくんと嗅ぐ、その仕草がまた蠱惑的なまでに可愛い。
『お気に召して? ハリビア・オッセー御愛用のシャンプーとボディソープを使ってみました』
大量の男たちに面白そうに注目されて、なんともバツの悪いアマミだったが、全身のさっぱり感と、ハリウッドセレブに愛される超高級フレグランスの魅惑に取り憑かれ、羞恥心はどこへやら、もう竜宮城なみの幸せ感である。
……やっぱ、近所のスーパーで買う石鹸とは格もお値段もダンチなのよねえ……
ちなみに、肩から紐で提げていた防水の懐中電灯も、ピカピカに磨かれていた。
「GOOD!」
と、アマミの“全身洗濯”の出来栄えに満足したキャロルは、改めて手を差し出す。
『あ、ありがとうございます』ぺこぺことお辞儀して感謝を示し、握手を返したアマミ。しかし相手の名前がうろ覚えで、うまく出てこなかった。『ええと……キャロちゃん、初めまして、アマミです』
『キャロ……チャン』と、一瞬、きょとんとしたキャロル・ディアリング嬢。
まさにその刹那、しん……と沈黙の帳が下りた。
驚愕とリスペクト、どちらを選ぶべきかといった戸惑いに、あたりの兵士たちが硬直している。
え、何……あたし、なんかまずいこと、言っちゃったかな、すごく失礼な? ……と、内心ドキッと青ざめたアマミだが、キャロルはぐいと一歩前に出て右手を振り上げた。
平手打ち! と直感した一瞬後、キャロルの手はアマミの肩を気安くパシッと叩いて引き寄せると、くわーっかっかっか……とばかりに高笑いした。
『気に入った! 無知は無敵だな! アマミ、特別にタメ口を許可する!』
どっ、と兵士たちの緊張が解けた。みな、笑顔に戻る。
「総帥、キャロル・ディアリング!」
背後から肉声が聞こえ、振り向くと日本人の青年が立っていた。竹箒を手にしたままで、たった今、洋上を飛んできたところだ。妖精語で続ける。
『緊急メッセージを拝命し、日米安全魔法条約に従って参上いたしました。日本国魔法自衛隊の霊写技師、キュウと申します』
右手に持った箒の柄を傾けて額の右側面に振れる、魔法使いならではの敬礼だ。
爽やかな短髪の青年は色白で、やせ型の長身、歳は大学生くらいだろう。穏やかな笑顔が親切そうで、ちょっといい感じだとアマミは思った。
けれど、態度が格式ばったのに反して、服装はパッとしない。くすんだ青色のデニムパンツに、上半身は紺のTシャツの上にデニムシャツの前をはだけて、だらしなく着ている。靴は紐の代わりに短いマジックテープで留める半長靴だ。くたびれたビルの壁面を塗装している作業員がそのまま駆けつけてきたみたいな。
『おお、キュウ君、しばらくだったな。ご苦労をかけるが、貴国の協力に感謝する』と、じつは旧知の仲らしい日本人青年を親しく迎えるキャロル、『悪いが、貴公たちとアフタヌーン・ティーを楽しむのは帰還後に回すしかあるまい。今は一刻の猶予も無いのだ。すでに事故発生後七時間が経過した。直ちにカリフォルニアのヴァンデンバーグへ移動する』
『御意!』と恭しく応じるキュウ。
な、なによこの小娘、ずいぶんと偉そうな物言いじゃない? ……と、少しばかり眉を吊り上げたアマミの疑念を晴らすべく、キュウ青年は慌てて日本語で解説を加える。
「アマミさん、こちらにおわすのは、ただのお嬢様じゃない。アメリカ合衆国のセイレム魔女団を率いておられる総帥、キャロル・ディアリング元帥閣下その人だよ。米国の海空軍事力の三分の一と、そして核搭載大陸間弾道弾《ICBM》の全基の発射権限を手にしておられる……」
「……は? はにゃ? せいれむ……こまんだー……ええっと……あいしー?」
アマミは完全に意表を突かれた。鳩が豆鉄砲を食らったような。これは、生まれて初めて、彼女が世界最強の魔法軍事力の頂点に遭遇……それも、予期せぬ遭遇を果たした瞬間だった。
なんだかさっぱり事情は分からないが、どうもこの、小生意気なキャロちゃんは、とっても偉い魔女っ娘の軍人さんらしい!
といっても、どう対応していいかわからないアマミは、顔面を精一杯の愛想笑いで覆って言い訳する。
『あ、あの、ごめんね、キャロちゃん、あたしの方が、悪い子だったみたい……ええと……メンゴ!』
「Fu・ha・ha……ignorance is invincible!」とキャロルが呵々大笑した。そして妖精語で『まことに無知は無敵だ……あ、アマミ、貴公を嘲る意図ではないぞ、知らないことは恥でない。むしろ妾は感心しているのだ。政治や経済、狡猾なオトナどもの愚行とパワーゲームに翻弄されないアマミの純粋さこそ、20世紀のジャンヌ・ダルクたる資格と言えよう』