005●妖精語と、あの世とこの世の不思議
005●妖精語と、あの世とこの世の不思議
それは“妖精語”だった。
人類の中では、魔法使いだけが使える特殊な意思伝達手段。
脳のどこかにあるとされる“第六感覚野”が発信し受信する、超音波に載せた言語だ。耳で聞くのでなく、頭蓋骨の内側の反響などを利用して、脳から脳へ直接に伝える。
魔法を使えない“普通人”が話したり聞いたりする“喋り言葉”と大きく異なるのは、言葉の意味そのものがイメージで伝わること。
聞き手はそのイメージを頭の中で文字に翻訳する、たとえて言えば“外国映画を、吹替えではなく字幕で観ている”みたいな受信形態だ。なので、聴覚の障害があっても不都合なく聴きとれる。
日本語や英語といった言語の差異も関係無いので、国籍や民族の異なる魔法使い同士の会話にも便利だ。また、魔法が使えない“普通人”でも、霊感の強い人はある程度受信することができる。
“妖精語”は精神感応力のテレパシーと似ている。
しかし魔法能力としては、テレパシーの方が、より高度な別の種類となる。
妖精語の伝達媒体は超音波だが、テレパシーは超音波でなく電磁波を使うからだ。つまり電波。
テレパシーは自分の思考を電磁波に置換することで、思考の内容を送達したり、他者の思考を感知したりする。“妖精語”よりもはるかに速く大量の情報を扱えるし、送達できる距離もはるかに大きい。能力の強い魔法使いは、他者の思考に自分の思念を“混信”させて、催眠状態にさせることもできる。
ただし高度な技能なので、使いこなせる魔法使いはごくわずかだ。
そしてもうひとつ、“妖精語”には汎用性の高い、重大な機能がある。
霊界の存在と対話することができるのだ。
人類が総じて“あの世”と呼ぶ霊界は、大きく三つに分類される。
神様が住まう神界、幽霊が住まう幽界、魔物が住まう魔界だ。
この三つの霊界をまとめて“三大霊界と称する。
そして、神様と幽霊、そして魔物も含めて、たいていの相手には、この超音波言語ともいえる妖精語が通じるのである。
ときとして人間が「神の御声を聞いた」という奇跡が起きる。
十五世紀フランスの聖なるヒロインとして著名なジャンヌ・ダルク然り、1917年のポルトガルで三人の子供たちが聖母にまみえたという“ファティマの聖母”事件が代表格だ。
そして同じ1917年に英国の片田舎の二人の少女が妖精たちと会話し、写真も撮影したというコティングリー妖精事件というケースもある。
これらは、人間が霊界の存在である神様や妖精たちと、妖精語でコミュニケートできた実例であると解釈されている……。
そういったことを、アマミは中学一年の夏休みに、とある学習塾の夏期講座で習っていた。
駅前でなぜか自分だけが金色の無料招待券つき(塾でアイスクリームと交換してくれる)というチラシをもらい、『ぜひお越しください、ためになりますよ』と妖精語で優しく勧誘されたのだ。
“W&W学習塾”と看板を掲げたその塾を訪れると、特別夏期講習の十名にも満たない受講生はみんな魔法の素養を持つ少年少女だった。“W&W”は早稲田でも和歌山でもなく、ワシントンでも稚内でもなく、ウィッチクラフト&ウィザードリィであったことを、のちほど知った次第である。
そこでアマミは、魔法力の個別トレーニングのほか、普通人の学校では教えてくれない、一般社会には秘密にされている魔法界の制度や歴史などの基礎知識を得ることができたわけだ。
*
そして16歳の初夏の今、水深六千メートルの深海で、アマミは何者かに妖精語で語りかけられていた。
『あなたが……私や中松先生たちを、ここへ引き寄せたんですね』
アマミの確認に、その人物は答えた。
『すまないが、我々は知りたいのだ。だから、そなたと、そなたの仲間が乗る潜水艇が降りて来た時、霊力を振り向けて誘導した。失礼ならお詫びする』
その人物は五十歳あたりの男性で、厳めしい軍帽を被り、詰襟の軍服を着ているようだった。“ようだ”というのは、普通人には見えないほどかすかな光を伴って暗闇の海中にゆらめく、半透明のゼリーのような“濃淡”で構成された存在だったからだ。
アマミには直感できた。
霊界物質だ。
科学的には重光子という、この世のものではない、“あの世”の物質。
私たちが生きている“この世”には、もう一つの別世界である“あの世”が重なって存在している。
物理的にしっかりと“重なって”いるのに、ゴチャゴチャに混じり合わないのは、二つの世界の“固有振動の性質が異なるから”だと、アマミは教わっていた。
世界を構成する物質をどんどん細かく砕いていくと、分子から原子核や電子や中性子が分割され、さらに砕いていけば素粒子となる。そのおおもとは小さな小さな紐のようなものであり、いつもとどまることなく楽器の弦みたいに振動しているという。
振動って、エネルギーだ。それが無限大に近いほど大量に集まって一つの世界を構築しているのだから、世界全体も振動している。まるで超巨大な交響楽のように。
それが、“世界の固有振動”。
そして“この世”と“あの世”は、世界の固有振動の性質が異なるので、重なっていても、それぞれが別物として成立しており、こんぐらかって混線するようなことはないらしい。
そのような二つの世界を学術的に表現すると“位相差宇宙という概念らしいが……といっても、難しい理屈はアマミにはわからない。
自分が“非理系人間”であることは十二分に自覚している、数学と物理は英語と同じくらい苦手だから。あ、英語は文系だから、あたしゃただの万能劣等生か……と、身の程をわきまえるアマミだったが。
要するに、“この世”と“あの世”は、TVのチャンネルと同じようなものなのだ。
自宅の旧い白黒TVだって、チャンネルをガチャンと回せば、アーラ不思議、違う世界が映し出される。
どっちの世界も、電波に乗って同じ空間を伝わってくるのに、混乱せずに、一方は料理番組、一方は野球中継がちゃあんと映る。
“この世”と“あの世”の関係はそういうものらしい……と、アマミは理解している。
そして、“この世”と“あの世”の間には……
光だけが自由に行き来できるのだ。
“あの世”の存在が“この世”に現れるときは、筆の薄墨で書をしたためたとき、文字が半紙に染みていくように、じわりと空間に滲み出てくる。
最初、それは“この世”では質量を持たない純粋な光なのだが、やがて、その波でもあり粒でもある性質によって、“この世”の重力子やヒッグス粒子と作用して、独自の質量を持つ、“重い光子”……つまり“重光子”に変容する。
すると、普通人の目には、ゆらゆらとした陽炎のようではあるが、実体が認知できるようになってくる。
物理科学では“重光子”と名付けられているその物質を、心霊科学の世界では、霊界物質と呼んでいるわけだ。
そして“あの世”とは、すなわち神様と幽霊と魔物が住む“三大霊界”のことだ。
すなわち……
六千メートルの深海で出会った、霊界物質の人物は、幽霊。
人間の魂を構成する霊界物質、つまり重光子のまま“この世”にまだ残っている、いわゆる幽霊だ。
『いいえ、お会いできてうれしいです』
と、アマミは答えた。幽霊はわずかな例外を除いて、まず99.9999パーセントは人間に対して害をなすことはしない。わずかな例外とは、あまりにも怨念が強くて、悪霊となり、魔物に転身するケースのことだ。それはもう、れっきとした魔物であって、平和的な幽霊ではない。
しかしこの幽霊軍人は、明らかに平和的で、紳士だった。
アマミにこころよく返事されると、優しく笑みを返してくれる。口髭が少しユーモラスだ。小学生のころ、じっちゃんに連れられて街の映画館で観た『海底軍艦』に出てくる白い軍服の軍国主義のおじさんに、ちょっと似ていると思った。
一礼して挨拶する。
『真海水産高校一年生の磯貝アマミです』
『それは学校の体育の制服かね? 変わった帯だね』と幽霊紳士。
『あ、いえいえ、これは水着でして。ま、学校の水着ですから、制服みたいなもんですね』と、お腹に巻いたえんじ色のバスタオルを気にするアマミ。こんなことなら、ちゃんとしたセーラー服を着てくるんだった。