上玉エルフ
ヴィーネウスは国境の橋を越えると、そのまま北上し、エルフの集落がある地域に向かった。
税さえ支払えば皆平等であるクリーグとは異なり、イエーグにおいては平原族、いわゆるヒト族は、岩窟族や森林族よりも上流階級とされている。
なので、イエーグの国境付近では、ヒト族に見えるヴィーネウスにちょっかいを出してくるような愚か者はほとんどいない。
いたとしても全てヴィーネウスが返り討ちにしてしまうのだが。
ヴィーネウスが訪れたイエーグエルフの集落については、昨年発生した大規模な山火事により、森林が大打撃を受け、集落全体が困窮しているという情報を既に得ていた。
それならば商売はやりやすいであろう。
ヴィーネウスはイエーグエルフの集落に到着すると、傍若無人な振る舞いで、集落内を無言のままに闊歩していく。
その姿をエルフたちは、ある者は物陰から、ある者は窓の隅から、そっと窺っているだけ。
「ふん、不作だな」
ヴィーネウスは鼻を鳴らしながら、己の感覚を研ぎ澄ませていく。
するとしばらくの後、集落の奥から伝わる存在が、ヴィーネウスの感覚をちくちくと刺激し始めた。
彼は感覚のままに小さな小屋の前に立つと、扉を無造作にノックした。
「単刀直入に言おう、娘を俺に売れ」
ノックの音に恐る恐る扉を開けたエルフの男は、突然の目の前の男が発した命令に言葉も出ない。
そもそも、なぜこの男は俺に娘がいることを知っているのだ?
「いるのだろ? 娘が」
怯えきった表情ながらも、エルフの男は、何とかヴィーネウスに答えた。
「確かに娘はいる。が、売れとはどういうことだ?」
「言葉の通りだ。代金はこれでどうだ?」
ヴィーネウスは懐から小さな袋を取り出すと、エルフに向けて放り投げた。
それを受け取ったエルフは、ヴィーネウスの視線を気にしながらも、袋の紐を開けて中を覗いてみる。
「ひっ!」
そこには、銀貨五千枚に相当する、金貨約五十枚が無造作にしまい込まれていた。
貧しいエルフの村では、銀貨一枚あれば三日は食べて行くことができる。
なので辺境では十枚で銀貨一枚に相当する銅貨が、最も多く流通しているのだ。
一方で、こんな辺境では金貨にお目にかかることなど、ほとんどない。
「ありがたいお話なのですが、この集落で金貨を両替することは叶いません」
そう言いながらも袋から手を離せないでいるエルフ男に、ヴィーネウスは助け船を出してやる。
「安心しろ、それはお前の娘が持つ価値を俺が評価しただけだ。娘を売る覚悟ができたのなら、馬車を用意しろ。俺が街まで両替につき合ってやるからな」
小屋の奥で、父親とは正反対の毅然とした姿勢でヴィーネウスを睨みつける娘の姿を眺めながら、彼はにやりと笑った。
「すまんビーネ、集落のためだ」
父からの詫びに娘は気丈にも胸を張っている。
「大丈夫よお父さん、私も頑張って生きるから、お父さんたちも頑張ってね」
毎度のごとく繰り返される親子の別れには何の関心も示さず、ヴィーネウスはビーネと呼ばれたエルフ娘を品定めをするかのように見つめている。
森林のごとき濃緑色の流れる髪に、幼さと妖艶さが同居する切れ長の目、蒼く輝く勝気な瞳。
うっすらと紅を引いたような唇。
上玉だな。
ヴィーネウスは満足すると、ビーネの手を取り、エルフの集落を後にした。
イエーグの街で両替を終え、父親に支払いを終えた後、ヴィーネウスはビーネを連れてクリーグへの帰路に就いた。
「ねえ、私はどこに売り飛ばされるの?」
「不安か?」
「これで不安にならなかったら、逆に性格的な問題があるとは思わない?」
かわいらしく口をとがらせているビーネの表情にヴィーネウスは苦笑しながらも、ビーネの機知に満足する。
肉親から身売りされた娘どもは、大抵はふさぎこむか、諦めの無表情になるか、無理に明るく振る舞うかのいずれかとなる。
ところがビーネは、そのいずれでもなかった。
彼女からは素直に現状を受け入れたうえで、前を向く気概が感じられる。
見込んだ通りだ。
と、ヴィーネウスはほくそ笑んだ。
後はこの娘に作法と房中術を教え込み、依頼主の貴族に売り渡すだけ。
その後のことなど知ったことではない。
しかし、いつものようにヴィーネウスはそれからのことについて考えを巡らせ、ありうるかも知れない未来に思いを馳せ、そんな想像をしている自分自身を馬鹿にするかのように、小さく鼻を鳴らした。