泥仕合
クリーグ国軍総司令官であるログウェル卿による号令の元、クリーグ国軍はザーヴェルとの国境に陣を構えなおした。
陣の最前面に防魔処理を施した方形楯を並べ、楯の隙間から長槍を配置した密集防魔陣形は、魔術を駆使するザーヴェル軍の迎撃に特化した陣形だ。
しかしながら、そのような陣形をクリーグ側が採用することは、ザーヴェル軍でも当然のことながら想定されている。
ザーヴェルの対クリーグ攻撃は、創生魔法で生成された傀儡、特にザーヴェルにおいては、人形と呼称される様々な魔法生物を最前線に送り込み、補助魔法で援護しつつ、力技で敵の防衛線を突破するのが定石となっている。
パペットが相討ちであろうと敵最前線の密集防魔陣形を突破できれば、後は魔術師たちの独壇場となる。
ザーヴェルの魔術師達は、前線を崩され丸裸にされた敵兵達に遠距離から直接攻撃魔法を一気に降り注がせて、殲滅を図るのだ。
ところが今回のザーヴェル王軍は様子が違う。
本来ならば魔術師とパペットは対になっていなければならない。
ところがザーヴェル王軍には、無数のパペットしか確認できない。
そこには魔術師達の気配が感じられないのだ。
パペット達の最後方に陣取る異形の「かたち」から発せられる強烈かつ複雑な気配以外には。
無言で迫りくるザーヴェル王軍に対し、守りを固めるクリーグ国軍。
徐々に彼らの距離は縮まっていく。
クリーグ国軍に向かって、様々な素材で形成されたパペットどもが、まるで挑発するかのように、ゆっくりとした歩みで近づいていく。
クリーグ軍では緊張が高まり、防護体制を一層強固にしていく。
ここで不意に緊張が一気に崩れた。
なぜならばパペットどもが突然加速し、勢いに任せてクリーグ軍の中央突破を図ってきたからだ。
突然猛スピードで迫りくる人形どもに不意を突かれたクリーグ兵は、人形の一体に楯へと取りつかれてしまう。
それを引きはがそうと、楯を横斜めに傾け、人形を槍で突こうとした瞬間に、轟音とともにそれは起きた。
楯に取りついた人形が突然爆発したのだ。
爆発に巻き込まれ、数人のクリーグ兵が命を落とし、その場で最前線に穴を開けてしまう。
「ばかな! 火薬人形だと!」
クリーグ軍の後方で陣を張っていたザーヴェル亡命軍から、驚きの声が上がった。
「ちょっと、あの物騒な人形は何だい!」
魔族であるサキュビーも、さすがに今の爆発に驚き、慌てて亡命軍にそう問いかけた。
「あれは禁呪だ! すまんが遠距離攻撃ができる者を大至急集めてくれ!」
ザーヴェル亡命軍を指揮する皇太子の怒声に呼応するかのように、サキュビーはログウェル卿の陣と介護院にすぐさま伝令を送る。
すると、すぐにログウェル卿を筆頭に、主だったものがザーヴェル皇太子の元に集まった。
その間にも最前線では無作為な爆発が起こり、密集防魔陣形に穴を開けていく。
皇太子は焦る気持ちを自ら落ち着かせるように深呼吸をした後、皆に伝えた。
「パウダーパペットは攻撃すれば爆発する。やつらの特徴を説明するから遠距離からの個別撃破を行ってくれ!」
火薬人形とは、その名の通り自爆する人形だ。
敵陣に貼りついて爆発するという、非常に強力なパペットなのであるが、実は操るには非常に厄介な代物でもある。
最大の問題は、爆発の燃料がパペット制作者の精神力だという点にある。
しかも、爆発の際に消耗する精神力の調整が効かない。
ようするに術者の精神力を根こそぎ爆発させてしまうのだ。
そのため爆発の威力は術者の残存精神力に比例し、爆発後は術者は精神力枯渇となり、行動不能になってしまう。
もう一つの問題は、外部からの刺激で簡単に暴発するという点。
敵からの攻撃で爆発するため、密集陣形で進軍中に遠距離攻撃で個別に狙われると、自軍を巻きこんで爆発してしまうという、厄介なパペットなのだ。
こうした点から、本来は奇襲に使用すべきパペットなのだが、ザーヴェル王軍には無造作にこのパペットが混じっているように見える。
おそらく知の覇王による意思の支配では、支配した魔術師たちが生成するパペットの種類までは指定できなかったのであろう。
ザーヴェル皇太子によると、パウダーパペット以外にも、なぜこいつらが軍隊に交じっているのか?といった非戦闘系パペットも混じっているらしい。
「パウダーパペットの特徴は艶のある黒色の表面色にある。黒いパペットを投槍でも投擲でも弓でも魔法でもいいから、遠距離から狙い撃ちにしてくれ!」
こうした伝令が兵士達に伝えられ、クリーグでは珍しい弓兵や投擲兵、魔術兵達がパペットを視認し、黒色の人形を狙い撃ちにしていこうとする。
しかし他のパペット達による猛進に圧迫され、思うように狙いを定めることができない。
その間にも次々とあちらこちらで爆発が起こり、前線を蝕んでいく。
そうした状況にログウェル卿と皇太子達は焦りの表情を浮かべている。
するとそこにサキュビーが素朴な疑問を向けた。
「ところで、パウダーパペットに水をかけたらどうなるのかしら」
夢魔からの問いかけに皇太子は一瞬はっとするも、再び首を左右に振った。
「確かにパウダーパペットは水で無力化できる。しかし、水銃や激流では、その攻撃力が引き金となり、爆発させてしまうだろう」
「ならば水に攻撃力がなければいいのね?」
「理論上はそうだが、戦場で呑気に水を撒く訳にも行くまい」
そういぶかる皇太子をよそに、サキュビーはログウェル卿の耳元で一言囁くと、ログウェル卿もにやりと笑い、次の伝令を飛ばしていった。
ログウェル卿からの伝令が前線に行きわたったところで、それは起きた。
戦場に優しく儚げな歌が響いていく。
歌声はクリーグ兵達の心に沁み入り、彼らの落ち着きを取り戻させていく。
同時にその歌声は戦場の空を徐々に陰らせてゆく。
ぽつり。
小さな水滴が兵士の鼻先を優しく濡らした。
それを合図としたかのように、戦場は霧のような雨に包まれていく。
無音で全てを濡らしていく霧のような細かな雨。
それは兵士を濡らし、密集防魔陣形を濡らし、敵のパペット達をも濡らしていく。
他のパペットに混じった黒色のパウダーパペットも、霧雨にその肌を湿らせ、次第に艶を失って行く。
「反撃開始!」
続くログウェル卿の号令に、クリーグ兵達は討って出た。
彼らの槍に突かれたパペットどもは糸が切れたように崩れていく。
それはパウダーパペットも同様だった。
霧雨に身体を湿らせたパウダーパペットは暴発することもなく、その場で湿った砂のように崩れていった。
冷静に反攻を開始したクリーグ軍の背後では、水の魔族である歌姫のセイラが、霧雨召喚を歌い終わると、そっと空を仰いでいる。
彼女の歌を聞き届けてくれた空に感謝するように。
しかしクリーグ兵達は無数のパペットどもに討って出ていくが、思うように攻め勝つことができない。
すでに黒色肌のパウダーパペットは霧雨に肌の艶を失い、ただの木偶と化している。
しかしその他にも様々なパペットが、そのおかしな能力により戦場を混乱させているのだ。
緑色のパペットはその身体から植物の蔓のようなものを数十本張りだし、兵士たちに取りつき、その自由を奪って行く。
錆色のパペットは槍ではダメージを与えられず、両の腕に生えた斧を振り回しながら敵味方構わずに叩き折り前進していく。
黄土色のパペットは攻撃を受ける度にその身体を泥化させ、兵士たちの武器や防具をその身体に咥え込んでいく。
それはまさしく泥仕合の様相を呈してきた。
乱戦となっているため、クリーグ兵達は日ごろの訓練で身につけた連携攻撃を思うように仕掛けることができない。
しかも相手は感情のないパペットのため、いわゆる対人攻撃では効果的なフェイントなども通じない。
膠着状態。
これは本来であれば守備側が有利な状況のはず。
しかし、今回は勝手が違う。
なぜならこちらは生身の人間であるのに対し、相手は疲れ知らずのパペットだから。
「このままではまずいな」
そう呟くログウェルに、ウルウェがそっと囁いた。
「民間に助力を請いますか?」
「あれを民間と呼んでいいのかわからんがな」
ログウェル卿はあきれたような表情でウルウェに目をやると、一息ついてから使者の準備に取り掛かる。
ところが、時を同じくして轟音と共に空を閃光が切り裂いた。
「あれは!」
クリーグ軍の兵士たちは思わず戦の手を止め、動揺とともに、彼らの街へと振り返ってしまった。
光子鎚がミリタントに向けて放たれたのだ。




