王の選択
ザーヴェル軍がクリーグに向かって進軍しているとの情報を南の国境から得た同国では、王命により直ちに大臣を始めとする貴族たちが王宮に召集された。
既にクリーグ軍総司令官であるログウェル卿から、シュタルツヴァルト大陸における他国家の異常について通知を受けていた貴族たちの反応は早く、速やかに王都防衛組織が貴族たち本人及びその信頼できる家族や部下達によって結成された。
現時点で西のイエーグには新王が立ち、クリーグに停戦の申し入れを行ってきている。
南西のヒュファルは正式な宣戦布告がなかったこともあり、クリーグはヒュファルにて吹き荒れている革命の嵐に対しては傍観を決め込んでいる。
また、革命の中心となった聖女が、これ以上戦火が広がらないようにとその身を引き、一般市民としてミリタントでひそかに生活を送っているという情報も、王家および上級貴族達には彼女の後見人としての立場をとっているローゼンベルク卿から、既に伝えられている。
ならば脅威は南のザーヴェルだけ。
しかし、近接戦闘を得意とするクリーグが、魔術による戦闘を得意とするザーヴェルに正面から仕掛けるのは愚の骨頂なのだ。
玉座の王はそうした状況を考慮した上でクリーグの全貴族にこう命じた。
「防衛せよ」
続けて王は全貴族に聞こえるように、ログウェル卿へとこう命じたのである。
「ザーヴェルの件はザーヴェルにまとめさせよ。我が国はあくまでも援護に徹するのだ」
王の真意を事前に確認していたログウェル卿は、全貴族が見守る中、一旦王の御前にて跪いて勅命を拝した後、皆に見送られるように広間から無言で退出した。
無言で出ていくその後ろ姿は、事情を知らない貴族たちから見れば、王に無理難題を吹っ掛けられた哀れな責任者に見えたであろう。
しかし既に限られたメンバーによる事前の打ち合わせは終わっている。
ログウェルは、広間の扉が閉じられるのと同時に、そっと彼の背後につき従った細身の影にこう語りかけた。
「これはお前達一族にとっても契機になろうだろう。さあウルフェ、これから忙しくなるぞ」
ログウェルは左手を自らの後方に差し出し、その手のひらを掴む感触に満足すると、そのまま王宮から前線へと向かっていった。
クリーグとザーヴェルの国境は大混乱に陥っていた。
いや、混乱しているのは国境に詰めていたザーヴェル軍だけかもしれない。
なぜならば、彼らの背後から近付いてくる軍隊は、彼らの「王の軍」であったから。
ザーヴェルの前線司令官は何が起きているのか全く理解できないでいる。
王が突然シュタルツヴァルト大陸の覇権を我が物にすると宣言したことは聞いている。
ザーヴェルの優位を大陸に轟かせることができるであろう王の宣言は、ザーヴェル貴族や国民たちにとっては、憂いよりも期待を先んじさせるものであった。
なぜなら、これまで探求してきた「知識」を、戦の場でいかんなく発揮できるであろうから。
しかし彼らの期待は脆くも崩れ去った。
いや、ある意味期待通りだったのかもしれないが。
王は西の国境でヒュファルの神兵どもが、狂乱軍団によって赤い光に包まれながら前線を突破しつつある光景を、水晶球を通じ、玉座で眺めていた。
王の側近たる文官魔術師達は、水晶球に映るヒュファル兵の状態から、それがバーサークレギオンによるものだと看破し、王に魔導部隊の再編成を提案した。
バーサークレギオンを正面から受け止めるのは愚策中の愚策。
ここは一旦前線を後退させ、岩石人形らによる消耗戦を図りましょうと。
しかし王の耳に届いたのは「後退」の二文字のみ。
そしてこの二文字は王の狂気に炎を放った。
「後退など許さぬ」
続けて王は自らの胸に光る「知識の宝珠」から禁呪の一つを解放した。
「狂乱軍団が相手ならば、こちらもそれ相応の統率が必要だろう」と呟きながら。
「我が国民よ我が肉体となれ。我が国民よ我が精神となれ。我が国民よ我が意思となれ」
王の詠唱は続く。
「我に従え。我は『知の覇王』」
王の呪文が完成したとき、王宮内で意思を持つ存在は皆無となった。
厳密に言うと意思を失ったのではなく、彼らの意思が王の意思に上書きされたのである。
続けて王は側近たちから何人かの文官魔術師を王の元に呼び寄せ、順番に彼らのこめかみを右手で掴み、彼らの魔力を糧として、もう一つの禁呪を唱えた。
「我らを照らす天の宝珠よ、我の命に従いその光を収束させよ。『光子鎚』」
数人の文官魔術師を木乃伊と化した後、王はため息をつきながら次の準備に入った。
いっときの怒りに我を忘れ、フォトンハンマーによって、ヒュファル兵とともに自らの民をも壊滅させてしまったことを省みながら。
「やはり、民は大事にせねばな」
数日の後、王は再び「ノーリッジ・オーバーロード」唱え、首都ツァオベラーの全市民を彼の意思下に置くと、彼の新たな意思を具現化させた。
王は市民たちにそれぞれの魔力に応じて様々な「人形」を用意させたのだ。
さらに王宮に残った貴族たちは上書きされた王の意思に従い、その肉を王に捧げ、王のために、ある「かたち」を成した。
「やはり皇太子姫が必要か」
王は目の前の「かたち」を凝視しながら不満げにそう呟くと、一転して楽しそうに笑い始めた。
「自らの手で完成させるのも一興よの」
こうして王は、無数の人形を伴い、「かたち」とともにクリーグの国境に向かったのである。
だからこそザーヴェルの前線司令官は混乱したのだ。
人形が軍を構成しているのまではわかる。
蛮族を個別に叩きつぶすのには、これが最も有効な魔術である。
しかし、本来ならば同行してしなければならないはずの「人形の操者」たちの姿が見えない。
さらにその背後に存在する異形の「かたち」と、そこから伝わる異様な魔力。
それらが一層司令官を混乱させる。
「かたち」から伝わる魔力には、彼らの主たる貴族の気配も含まれていた。
さらに、にわかには信じがたい、とある魔力の気配も感じられた。
それは前線にはありえない気配であるのだ。
なぜならそれは「王の気配」であったから。
南の地平線にうっすらと見えるザーヴェル増援軍の姿に臨戦態勢を取るクリーグ側であるが、そこで彼らにも予期せぬ事態が発生した。
なんとザーヴェル側の司令官自らが、これまで対峙してきた兵を引き連れ、白旗を掲げながらクリーグ側に投降してきたのだ。
混乱しながらも最低限の礼を失せず、クリーグ軍司令官に面会を真摯に求めるザーヴェル前線司令官を、フリードリヒとヴィルヘルムの二人が代表して兵舎に迎え入れた。
ここで彼らは前線司令官からザーヴェルの援軍が異常であることを聞き、すぐにカサンドラたち蜜蜂族を使い、ウルフェを通じてログウェル卿に速報を送ったのである。
「ザーヴェル王自らが進軍中」
「ザーヴェル王は『知の覇王』を国民に使用している」
「ザーヴェル王は『バケモノ』の中に身を潜めている」
これらの報告を受け、クリーグは直ちに動いた。
魔術に覚えがある貴族たちは、万一の光子鎚に備え、その対抗魔法である反射鏡にて首都ミリタントを包む。
直接攻撃魔法防衛には、要所に土壁を設置し、副産物の穴には、あらかじめ水流で水を貯めておく。
市民達も彼らの働きをサポートするかのように、土壁に梯子を張り、ため池に渡し板を用意していった。
周囲が喧騒に包まれる中、介護院の庭で、先日のフリードリヒ邸訪問の際に金髪の美しいお姉さんから教えてもらった魔法を、一生懸命練習している少女がいた。
「もっと集中するの」
兎耳の少女が叱咤する。
「おへそのあたりを意識するのがコツです」
耳元に可愛らしい角を生やした少女が優しくアドバイスを送る。
「呪文を唱えている間に三回は首を刎ねてしまえるの」
おかっぱの少女が鎌型に変形させた腕をふるいながら脅している。
「それじゃ次はこれね」
彼女たちよりもほんの少しだけ年上に見える少女が、指先から発した糸を器用に操り、身近な岩を糸先に縛ると、器用に少女の前へと持ち上げてみせる。
金髪の少女はもう一度心の底から念じてみる。
風の流れを感じながら。
種族の力を蓄えながら。
両親の愛を想いながら。
「えい!」
「お見事!」
成功した魔法に、四人の少女は手を叩いて金髪の少女を褒め称え、五人で無邪気に喜び合った。
それはそれは楽しそうに。




