狂える王
ザーヴェルの王は、目の前に置かれた水晶球に手をかざした。
その内部にまず映し出されたのは、無数の穴が穿たれ、動くものはもはや無き大地の光景。
「やりすぎたか」
その光景はザーヴェルとヒュファルとの国境。
穿たれた穴は、王自らが文官魔術師数人の魔力を搾り取って撃ち放った、光子鎚によるものである。
降り注ぐ光の束による攻撃で、国境を越えようとしたヒュファル軍は文字通り壊滅した。
王の周りに控える文官魔術師達の精神力を全て絞り取り、ザーヴェル軍守備隊と、国境付近の罪なき民を巻きこみながら。
「無に帰すのも一興」
王はそう呟くと、水晶球の画面を切り替える。
次に映し出されたのは、皇太子とその妻。
そして彼らの娘。
「やっと尻尾を出したか」
これまで変装により発見できなかった親子の姿をクリーグ南の地に捉えた王は、含み笑いを浮かべながら玉座から立ち上がった。
「迎えに行くとしよう」
この後、王は十数年ぶりに王都ツァオベラーから足を踏み出すことになる。
無数の伴を引き連れながら。
王の出陣を、王都は無言で見守った。
そう、無言で。
◇
ここは連射花火亭に隣接する雑貨店、線香花火。
いつものように港湾労働者どもを引き連れて商品の搬入に訪れた海豹族のシルクが、店番の娘を見かけ思わず声を上げた。
「あれ? レイちゃん。いつの間に帰ってきたの? っていうか、クリーグに帰ってきちゃってよかったの?」
「うん。ヴィーネウス様に『適当に復讐したら、とっとと戻ってこい』と言われていたから、ダンカンさん達と一緒に帰って来ちゃった」
レイはヒュファルにて、「望郷」を旗印に民衆の決起を促した。
屈強な岩窟族達を従え、ヒュファル兵たちを赤光の呪いから次々と解き放っていった彼女は、いつしかヒュファル民達により「聖女」と称えられていった。
革命の旗印となり、民衆とともに王都を包囲し、ついには教皇打倒を果たした彼女を、ヒュファルに残された有力者たちが放っておくはずもない。
シンボルとなった少女の利用価値は計り知れないのだ。
ヴィーネウスはこうなるであろうことを事前に見越し、彼はレイに魔法を仕込む前に、あらかじめ彼女と、こんな問答を交わしていた。
「レイ、お前は教皇になりたいか?」
突然のヴィーネウスからの問いに、レイは一瞬質問の意味がわからなかった。
確かに彼女は教皇の手から逃れるために一度死んだ。
いつか生き返ってやるために。
しかし彼女は考える。
「生き返る」とは何を意味するのか?
復讐? 打倒? 報復?
レイは穏やかにヴィーネウスへと向かい合った。
「ヴィーネウス様、私は平和が欲しいのです」
「それでいい」
ヴィーネウスはダンカンを始めとする連射花火傭兵団のメンバーにもレイの想いを伝え、頃合いを見てクリーグに連れて帰るように言い含めていたのだ。
「権力者どもから聖女などと祭り上げられても、ろくなことにならないからな」
ヴィーネウスの揶揄に、団員たちは面白おかしげに一通り大笑いする。
「違いない!」
その後、彼らはレイの目的を達成させた上で、無事に彼女をクリーグに連れて帰ることを、互いの盟約としたのである。
「ふーん、大変だったんだね」
「でも、おかげさまで故郷が平和になりましたから!」
そんなレイの笑顔にシルクはちょっと意地悪をしてみたくなった。
「でもさ、レイも実は故郷に帰りたいんじゃないの?」
「あら、シルクさんも北の海岸に帰りたいですか?」
「うーん、たまの里帰りだけでいいかなあ」
「でしょ? 私もミリタントでの生活が楽しいの」
「言われてみればそうよね」
と、意地悪のつもりが、逆に納得させられてしまうシルク。
するとそこに少女たちの集団がなだれ込んできた。
「あれ? レイがいるの!」
ぴょこりと立った二本の長耳が、驚いたようなしぐさでひらひらと動いている。
彼女は月兎のルヴィ。
「このお店の酪は美味しいです。上等な人肉の次くらいに美味しいです」
などと物騒なことを可愛らしく訴えているのは、黒のおかっぱ頭も可愛らしい蟲獣希少種・蟷螂族の少女イース。
さらには三人目。
彼女はルヴィに手を引かれ、金髪にアーモンドを思わせる碧の瞳を輝かせながら、物珍しそうにきょろきょろと店内を見回している。
「メリュジーヌはお買いものは初めてなの?」
すると、ルヴィにメリュジーヌと呼ばれた少女は目を輝かせながら、ルヴィとイースに向かって交互に頷いた。
最後に少女のなりで既にバツ2の娘がやってきた。
彼女は自称ヴィーネウスの愛人である蜘蛛娘のアリア。
「さあ、今日はお姉さんが奢っちゃうわよー!」
彼女たちは皇太子姫であるメリュジーヌを、介護院から連れ出していたのだ。
当然ながら皇太子夫妻には内緒で。
ちなみにサキュビーたちにも内緒のつもりではあったが、それは無理なこと。
怖いお姉さまたちにはバレバレの上、ルビィは小遣いまで持たせてもらった。
「お買い物を済ませたらラム姉さまのところに遊びに行くわよー!」
ラム姉さまとは、フリードリヒ・ヴィッテイルの世話係のこと。
とはいっても、彼女は当主のヴィッテイル卿も認める女性であり、何事もなければ将来はフリードリヒの正妻となるであろうと噂されている。
なにより当のヴィッテイル卿がさっさとフリードリヒに家督を譲って隠居を決め込みたいと色々と画策している計画に、フリードリヒとラムの婚姻も含まれているのだ。
ラムはメリュジーヌがラミアの取替子であることを知り、いてもたってもいられなくなった。
なぜなら、チェンジリングとはいえ、今となっては絶滅寸前となってしまった数少ない同胞であるからだ。
だからビーネ達には内緒でアリアを焚きつけたのだ。
妹分たちを連れてヴィッテイル卿の屋敷に遊びにいらっしゃいなと。
「ラム姉さまはお酒飲みだってサキュビー姉さまが言ってたの」
ルビィの報告にイースが付け加える。
「ははさまがお酒には干肉があうとおっしゃっておりました」
「お酒? ジャーキー?」
ルビィとイースの会話に首をかしげているメリュジーヌの背中をアリアはやさしく押した。
「メリュジーヌ、細かいことはいいから、適当に欲しいものをカゴに投げ入れなさいな!」
こうして線香花火の店内は一気に活気が溢れだし、しばらくの後に、店番をエイミに代わってもらったレイも巻き込んで、少女集団はヴィッテイル邸の門番に笑顔を振りまいたのだ。
一方でザーヴェルの亡命貴族達は落胆していた。
なぜなら、旗印となるべき皇太子に、王位奪取の覇気が全く見られないからだ。
それどころか、ザーヴェル貴族の身分を返上し、クリーグに税を支払いミリタント市民の地位を得ようなどと口走ったりしているのである。
全ては娘のため。
そう彼は繰り返す。
しかしそれは真実ではない。
彼は恐れているのだ、狂った王を。
彼は逃げ出したいのだ、狂った父から。
「皇太子は王の器ではない」
そうあきらめた亡命貴族達は、皇太子に代わる王打倒の口実と旗印を得るまでの亡命生活を覚悟した。
しかしながら亡命生活も長くは続かなかった。
なぜならば王旗を掲げたザーヴェル軍が、クリーグとの国境に姿を現したからだ。
無言の軍隊が。




