小さな暗殺者
弓の国イエーグの東方軍司令官は焦っていた。
何故ならつい先ほど、クリーグからの使者として現われた人狼族の女性が、彼に何を言っているのか、全く理解できなかったから。
「司令官殿、もう一度申し上げますね」
二人の護衛を伴った白毛の女性は、ほんの少しの微笑みとともに、司令官に対して再度の申し入れを行った。
それは、たらればの話。
そんな馬鹿なことがと、あきれる自身と、万一そうなった場合はと、次の事態に備える自身がせめぎ合う。
司令官は混乱した。
そうした彼の動揺を見透かすかのように、女狼は言葉を繰り返した。
「私たちが得た情報によれば、おそらくイエーグ王家はこれから存亡の危機に立たされるでしょう」
「それは何度も聞いた」
「なれば、私たちが貴殿にご提案差し上げている、停戦協定の意味もお分かりいただけるでしょう?」
「それがわからんのだ!」
ウルフェは確かに丁寧に説明はしている。
しかし司令官はそれを鵜呑みにはできない。
なぜなら、クリーグの情報通りだとしたら、今後不利になるのは我が国のはず。
それなのに、有利なはずのクリーグが、なぜイエーグと停戦協定を結ぼうとするのか?
すると、ウルフェは何かに気付いたような表情を見せ、再び笑みをこぼした。
「これはこれは、私の言葉が足りておりませんでした。停戦協定を締結するのは、貴国と我が国ではございません。あくまでも、この前線で対峙する兵士たちにとっての協定だとご理解ください」
いよいよ訳が分からなくなる司令官に、ウルフェは言葉を重ねていく。
「クリーグとて、イエーグ、ヒュファル、ザーヴェルの三国を同時に抑えられるとは考えておらないのです。できれば貴国の問題は貴国で処理してほしいのです」
しかし。
と、いまだ腰が引ける司令官にさすがにいらついたのか、ウルフェは護衛の一人に箱を一つ持ってこさせた。
護衛が両手に抱えてきた木箱を一旦ウルフェは目の前に置くと、それをすっと司令官の前に押し出していく。
「それともこちらの方がお好みですか?」
美しい瞳で彼の眼を冷たく見つめるウルフェの前で、司令官は恐る恐る木箱を開けてみる。
次の瞬間、彼は無言のまま大きく目を見開いた。
そこには、彼の前任者である前東方軍司令官の首が、塩漬けとなって置かれていた。
◇
「それでは休戦協定に従い、民間人の通行を許可していただきます」
ウルフェはそうイエーグの司令官に告げる。
それに対し司令官は硬直した表情で、民間人たちを凝視している。
「本当に我が軍とは交戦しないのだな?」
「それは私がお約束しますよ」
司令官はウルフェを信じるしかなかった。
何故なら彼は、奴らとの戦闘だなんて考えたくもなかったからだ。
イエーグ軍東方軍司令官の目の前を、長柄槍斧を担いだ岩窟族に先導された一行が陽気に通過していく。
それは司令官だけでなくイエーグ軍の兵士たちも同様のようだ。
実は彼らの中には、南方から配転された兵士も配属されている。
そう、彼らは目の前の一団が何者なのか、そして南の国境で奴らが何をやらかしたのかを知っているのだ。
「どこが民間人だよ、下手な軍隊よりたちが悪いじゃねえか」
イエーグ兵士たちの不満げな愚痴もどこ吹く風とばかりに、連射花火団の一行はレイを伴い、堂々とイエーグ領を南下していった。
さて、その日の晩。
蜥蜴姿のサラと蜘蛛姿のアリアは、イエーグの王宮に侵入していた。
王宮に幾重にも張り巡らされている防護装置も、小さなトカゲとクモにまで反応するようには調整されていない。
「こっちだよ」
「サラ姐さんってホント裏道を見つけるのが上手だよね」
「蛇の道は蛇さ。今は蜥蜴だけれどね」
などと軽口をたたき合いながら、サラとアリアは王宮の壁を伝い、屋根を渡り、隙間に侵入して行った。
「アリアに頼っちゃって悪いね」」
「いいの。私もあいつらにはいつか仕返しをしてやろうと思っていたから」
目的地に到着した二人は、まずはアリアが極極細い糸をゆっくりと伸ばし、その先を獲物に向けて垂らしていく。
続けてサラがアリアの糸をゆっくりと噛みしめる。
すると、とろりとした赤い液体がサラの牙から染み出してきた。
赤い液体は糸に導かれ、獲物がだらしなく開けた口元にぽたり、ぽたりと落ちていく。
「遅行性だけどね。麻痺毒だから苦しみはしないだろうさ」
サラはそう言い残すと、アリアとともに王宮を後にした。
イエーグ東方司令官の元に「陛下崩御」の一報が入ったのは、その翌日のこと。
王は、それはそれは安らかな寝顔で絶命していたという。
◇
翌日にはしれっとした表情で、サラとアリアは国境で待つウルフェたちに合流した。
「それじゃあたしは北の村に状況を伝えに行ってくるよ」
サラはそう言い残すと、すぐに彼女の故郷に向かってしまう。
「私もこの国は好きじゃないし、早く帰りたいな」
アリアはイエーグで嫌な思いした事があることもあり、この国を毛嫌いしている。
「そうだな、我らの役目はここまでだ。あとはイエーグの自浄作用に期待するとしよう。
そう呟くと、ウルフェは愛馬の背にアリアを乗せ、サムライハウンドとともにクリーグへと戻っていった。
その数日後、イエーグからクリーグ王家に対し、正式な停戦協定およびヒュファル討伐への協力要請を求める使者が派遣されてきた。
これはイエーグの新たな王からの親書によるものである。
クリーグ王家は協定を受け入れ、申し入れ通りイエーグ軍への協力を行うことにする。
しかしそれは無駄に終わった。
なぜならばクリーグがイエーグを通じてヒュファルへと軍を派遣する前に「ヒュファルにてクーデター発生」の一報が入ってきたからである。




