狂信者
イエーグ軍南方担当司令官は、目の前で起きている惨状に目を見開いていた。
それは以前、部下の兵たちと驚愕とともに目の当たりにした光景と重なる。
しかし、そのときの彼らはただの傍観者だった。
彼らがかつて目を見開いたのは、国境を挟んだ対岸で繰り広げられた、クリーグの傭兵団によるヒュファル兵たちに対しての一方的な殺戮に向けてだった。
しかし今は違う。
今の彼らは当事者となってしまった。
司令官の眼前では、とても戦とは言えない、無節操な殺戮が繰り広げられている。
そう、赤光を纏った数十人のヒュファル兵が、狂気とともに国境を越え、彼らイエーグ軍守備隊に襲いかかってきたのだ。
◇
「ヒュファルは狂った!」
イエーグの偵察から戻ったサラは、荷物の整理もそのままに、開口一番でイエーグではなくヒュファルについて口を開いた。
「サラ、順を追って説明してくれる?」
連射花火亭の奥には、ビーネによって関係者達が既に緊急で集められている。
サラはまずクリーグとイエーグの国境を超え、北方にある自らの出身地で今回の戦争に関する聞き取りを行った。
イエーグではお決まりの徴兵が行われ、辺境の部族は正規兵である弓兵の楯となるための歩兵として戦場に駆り出されているとのこと。
ただ、村の長老が言うには、徴兵に来た領主代理や中央からの官吏達も、なぜ急に王が全面戦争を決意したのか理解できていないらしい。
そんな状況なので、イエーグは逸る王を側近の貴族がなだめすかし、まずは東のクリーグ国境と南のヒュファル国境に軍を固めた。
体裁上は軍を集結させ、王にいつでも進軍できるような状況を構築するとの言い訳をすることで、一旦は王を納得させたそうだ。
これで少なくともクリーグとイエーグとの国境は落ち着いた。
なぜならクリーグ側は守備を固めるだけで攻めこむつもりは全くないし、イエーグ側も取り合えず軍を国境に配置しただけで、領主たちに攻め込む意思はないのだから。
ところがイエーグの南側は全く異なる状況に陥ってしまった。
なんとヒュファルが国境を越え、イエーグに対し問答無用の戦を仕掛けてきたのだ。
「これで一気にイエーグ側の前線は崩壊したらしいよ」
サラのため息を伴う報告に、ウルフェが素朴な疑問の声を上げた。
「イエーグとて弓の国。前線を徴発した重装歩兵で固めた上での正規兵による迎撃はお手の物のはずだろう?」
するとサラはウルフェをちらりと見やり、次にビーネの方を向いた。
「ヒュファルは禁断の魔法を使用しているらしいよ。そう、『狂乱軍団』をね」
「ちょっと待って、あの魔法は私の夫くらいしかまともな使い手はいないはずよ!」
驚くビーネを遮るようにリルラージュが言葉を挟んだ。
「まさか、自滅攻撃を?」
「リラの言うとおりだよ。だから『ヒュファルは狂った』と言ったんだ」
ヒュファルはイエーグに対しとんでもない攻撃を仕掛けてきた。
それはいくつもの隊がバーサーク・レギオンでイエーグ守備軍に突撃し続けるというものだ。
バーサーク・レギオンは攻防のバランスを無視してしまう。
同魔法の影響下であれば、攻撃側数十人で防御側数百人の命を奪うことも可能。
ただし攻撃側も確実に全滅してしまう。
ダンカンが使用するバーサーク・レギオンは、あくまでも相手方との戦力比を事前に分析した上で行われる。
さらに効果範囲の最前線は、無限とも思われる体力を持つダンカンをはじめとする、屈強なベテランの岩窟族で構成されている。
それでも相手を先に全滅させなければ、魔法効果が切れた時点でダンカン以外の兵は、過度の疲労によって身動きができなくなってしまい、ほぼ無抵抗な状態で生き残った相手に殺されてしまうだろう。
「それがまさしく南の国境で起きているんだよ」
そう、ヒュファルの兵はバーサーク・レギオンで敵陣に突っ込み、多くの敵を巻き添えにした上で、最後はイエーグ兵に討ち取られているのだ。
そこに次のヒュファル兵が新たな赤光に包まれて突っ込んでいく。
この繰り返し。
「最低だな」
ウルフェの呟きに全員が無言で頷いた。
「ところでヒュファル兵が南西にも現われたそうだな」
「ええ、ヴィーネウスさまから聞いているわ」
ウルフェとビーネのやり取りに今度はサラが驚いた。
「まさか中央を乗り超えてきたのかい?」
「そうらしいわ。そいつらは蟷螂婦人が片付けてしまったけれどね」
「マンティスはどうしているんだい?」
「今は介護院でくつろいでいるわ。ザーヴェルとの国境を守るお手伝いをしてもらうためにね」
ビーネはため息をついた。
「そんな状況ならヒュファルへの潜入は諦めた方がいいわね」
「ここは作戦の練り直し。できればザーヴェルとヒュファルの国境がどうなっているかも知りたいわ」
リルラージュの要望にカサンドラが呼応する。
「国境の偵察だけなら我らが行ってこよう」
ザーヴェル国内、特に王都近辺は幾重もの魔法の結界が張られているのは周知の事実。
しかしそれらが辺境の上空まで張られているのは魔力的に無理がある。
なので空からの偵察は可能だと思われる。
「やばいと思ったら引き返させてね」
「それくらいの分別はわらわの娘たちも持っているさ、ビーネ」
カサンドラの申し出を皆が了承した所で、女たちの会議は一旦閉幕となった。
◇
翌日、南南西の空から、太陽の爆発もかくやという閃光と、後に続く振動を伴う轟音がクリーグ国民を驚かせた。
その後、クリーグとザーヴェルの国境は大混乱に見舞われることになる。
クリーグ軍と対峙し、国境に構えるザーヴェル軍に向かって、その背後から覆いかぶさるようにクリーグへ向けて土煙が押し寄せてくる。
彼らはザーヴェルからの難民であった。
ザーヴェル軍が何事かとうろたえている間に国境を越えた難民たちは、クリーグ兵たちに助けを求めながら口々に泣き喚き叫び嘆いた。
「狂人が攻めて来た!」
これはヒュファル兵のことであろう。
総司令官からヒュファルの狂気について事前に情報を得ているクリーグ兵達にとって、それは想定済みのこと。
しかし続く言葉にクリーグ兵たちは声を失い、自身の耳を疑った。
「我らの王も狂ってしまった!」
実は、ザーヴェルの難民たちはヒュファルの攻撃から逃げてきたのではなく、自らの王から逃げてきたのだ。
南の空を覆った閃光。
それはザーヴェル王が西の国境で自殺攻撃を繰り返すヒュファル兵たちに向けて放った禁呪であった。
ザーヴェルの王都ツァオベラーから直接召喚された光の束は、赤光を纏ったヒュファル兵どもを根こそぎ焼きつくしたのだ。
ヒュファル兵と交戦していた多くのザーヴェル兵をも巻き添えにして。
その日ヒュファルとザーヴェルの国境は壊滅した。
文字通りの「焼け野原」となって。
◇
ザーヴェルから逃げてきた難民について前線指揮官から報告を受けたログウェル卿は、王家に状況を報告するとともに、難民保護は民間主導で行うことを王家に提言した。
なぜならクリーグはザーヴェルから宣戦布告を受けているので、国として敵国民を受け入れる筋はない。
それどころか難民に巻き込まれるようにして国境を越えてきた兵士がいると疑い、彼らを皆殺しにしてしまっても構わないのだ。
敵国からの難民は便衣兵だと疑われても仕方がないのだ。
しかし報告では、ザーヴェルからの難民は自らの王が狂ったと恐怖しているとのこと。
それは民だけでなく、辺境から徴兵され、前線に配置されていたザーヴェル側の兵たちにも同族によって伝わり、ザーヴェル軍は混乱しているという。
ならばここは彼らに対し人道的な措置をとり、今後の施策が有利になるように布石を打つべきだとクリーグは判断した。
ログウェル卿は王弟のもとを訪れると、ビーネたちに託された情報収集のための資金を難民救済にも使用したいと申し出、王弟はそれを快諾した。
「ならばリルラージュにも民間の立場で協力させよう」
「シルクにも平時の通りローゼンベルク卿のご息女に従うよう伝えておく」
その場に同席している民族同化大臣と貿易担当大臣も、当たり前のようにそう申し出た。
リルラージュとシルクに大臣たちから指示が飛び、ウルフェが連射花火亭に早馬を飛ばしたのは、その直後のこと。
そのころヴィーネウスは、自らにまとわりつく蜘蛛娘のアリアに「お前がマンティスの娘を面倒見てやれ。お姉さんなんだからな」と優しく囁き、調子に乗ったアリアに小遣いを握らせた。
「そうよね、月兎のルヴィには小さい子の面倒はまだ重荷だよね!」
と、隠れ家から調子よく飛び出した蜘蛛娘の背中を見送ると、ヴィーネウスはそっと隠れ家の扉に外から鍵をかけた。
「面倒だが仕方がない」
そう独り言を残して。




