深窓の円卓
イエーグ、ザーヴェル、ヒュファルの三国から同時に宣戦布告を受けたクリーグは、まずは引きこもり戦術を採用することにした。
具体的には西のイエーグ、南のザーヴェルとの国境に守備隊を配置し、まずは守りを固めるというものだ。
同時にそれぞれの国境付近では、各国から脱出もしくは強制送還されてきたクリーグ国民、主に彼らは商人であるが、の保護を始めるとともに、彼らからの情報収集も開始した。
他国から逃れてきた商人たちが口を揃えるのは、各国ともにそれぞれの国民自体が混乱の極みにあるということ。
突然の他国に対する宣戦布告は、なにより各国の軍組織と警察組織を混乱させているそうだ。
宣戦布告が計画的なものであれば、まずは自国に紛れ込んだ他国の諜報をあぶり出すために、何らかの指示が出たであろう。
その一方で相手国の情報を得るための諜報活動も活発化させるだろう。
ところが三国とも、揃ったように軍備増強の指示が優先されたのだ。
他国の者は捨ておけというばかりに。
だからこそ他国に滞在していたクリーグ国民たちは、運の良い者は財産とともに脱出し、運の悪い者も財産没収の上での強制送還で済んでいるらしい。
避難民からの情報はおおむねこうしたものであるが、それらを突き合わせてみると、おかしな共通点があることにクリーグ軍総司令官であるログウェル卿は気づいた。
それは、各国からの避難民たちの多くが口々にした「支配層が他の三国に同時に宣戦布告を行った」という情報である。
「ウルフェ、お前はどう思う?」
「狂信の国ヒュファルはともかく、イエーグやザーヴェルまでがそんな無謀なことを始めるとは、にわかには信じがたいですね」
ウルフェの疑問に当然だとログウェルは頷いた。
「何か裏がありそうだな」
クリーグ王の言葉ではないが、ログウェル卿にも他三国の支配者達は気が狂ったとしか思えない。
そうはいっても、三国とも真正面からいたずらに戦闘を開始するとも思えない。
怖いのは一時的な同盟により四国の戦力のバランスが崩れること。
今のところイエーグもザーヴェルも攻めてはこない。
クリーグの対角に位置するヒュファルが、この二国と交戦を開始したという情報も入ってきていない。
「三すくみならぬ四すくみか」
ログウェル卿のため息に、ウルフェが少し表情を緩めてしまう。
「ビーネも同じことを申しておりました」
へえ、という表情を見せたログウェル卿にウルフェは続ける。
「すると、ヴィーネウスさまがビーネにこう申しておりました。三すくみならば運もあろうが、四すくみなら、いくらでも手はあると」
しばらく考え込んだログウェル卿だが、何かに気付いたような表情になると、やれやれとばかりにソファに沈み込んでいく。
「女衒の言う通りだ。しかし我らには、「それ」を見抜く手段がない」
「だからこその、ビーネからの情報待ちかと」
「そうだな。我々はその時に備えて牙を研いでおくことにしよう」
「その際は我らサムライハウンドに先陣のご命令を」
ログウェル卿はしばらく待つことにした。
当面、彼の使命は、他国に隙を見せないことだとばかりに。
◇
ここはクリーグの王都ミリタントのど真ん中で、昼もランチ営業で繁盛している、それなりに高級な酒場。
最奥の個室では数名の女性たちが和気あいあいと談笑し、その横では数名の男性たちがつまらなそうに水をちびちびと飲んでいる。
少しの後、白鳥族のオデットが、さもランチを楽しむかのような足取りで店にやってきた。
「いらっしゃいませ!」
出迎えた蜜蜂族の少女に、オデットは、いつもの女子会よと告げ、奥の部屋に案内されていく。
店の入口から奥の部屋までのカウンター席やボックス席は、ランチを楽しむミリタント市民で繁盛しているが、今では誰もオデットに注目することはない。
彼女は先王弟の側室であるというのにだ。
なぜならこの店に通う彼女の姿は、これまでも日々彼らが目にしてきた、珍しくもない当たり前の光景だから。
それにこの店の常連たちには、暗黙の了解となっている。
店の奥で開催されている女子会に参加している女性たちが、それぞれ何者であるかということを。
別にオデットだけが特別である訳ではないのだ。
そんなメンバーがこの店に集結する理由も、常連客たちは勝手にこう推測している。
実はこの店はミリタント中の酒場の中で、王城を除けば最も安全だと市民たちから認識されている。
それもそのはず、この店には、店と同じ名を持つ傭兵団が用心棒代わりに常駐しているのだからだ。
クリーグ最強の誉れとクリーグ最恐の悪名を併せ持つ傭兵団がである。
なのでこの店では、喧嘩などの諍いはもちろん、誘拐などの犯罪行為は、ほぼありえない。
店の常連たちはこれまで何度も目にしてきたのだ。
この店のヤバさを。
例えばこんなことがあった。
他の客に絡みだしたチンピラが、女主人による号令のもと、蜜蜂族を始めとする店員の女性たちに容赦なくフルボッコにされた揚句、店外に放り出された。
次にそれを口実に店を脅しに来たその筋の連中どもは、店に入ることもできず、店頭で傭兵たちに完膚なきまでに叩きのめされた上、その身ぐるみを剥がれた。
その後、このままでは面目がたたないとばかりに、街の黒幕が女主人を誘拐しようとしたが、次の刻には彼の組織は傭兵団の手によって壊滅に追い込まれてしまったのだ。
花火のように打ち上げられた黒幕本人の首を合図にするかのように。
こうしたことから市民たちは、連射花火亭を「この店は深窓の令嬢も王族の側室も安全に楽しめる酒場」だと、勝手に解釈している。
この店は自らが問題を起こさない限りは安全だという注釈付きで。
実際、この店の奥で貴族の子弟たちが定期的に宴会を楽しんでいたりするのもよく見る光景なのだから。
当然ながら各国からの諜報も、この店にクリーグの高貴な女性達が集まるといる情報は把握している。
それに彼らもこの店の最奥が危険地帯だと既に認識していた。
なぜなら、初期にこの店の最奥で盗聴を試みた全ての諜報員が問答無用で始末されたからだ。
諜報員を捕えることも、そこからカウンター情報を得るための拷問すら行わない問答無用の殺戮に、各国の諜報は、とにかく彼女たちの命が最優先なのだろうと理解した。
さらに市井からの評判とすり合わせ、彼らはこう誤解した。
奥の間で開催されているのは高貴な身分の女性たちによる単なる女子会だ。
当然そこでは姦しい会話がなされているのであろう。
例えば連れ合いとの夜の部を語り合うとか。
だからこそ、彼女たちと共にする男たちは、彼女たちから漏れ出でているであろう己の性癖を外部に漏らさぬために、彼女たちの女子会に近づくものは、委細構わずことごとく皆殺しにしているのだろう。
君子危うきに近寄らず。
本国からの諜報指令が突然弱まったこともあり、クリーグに潜入している他国の諜報たちは、連射花火亭の深窓を調査対象外の場とした。




