突然の動乱
その日、大地が鳴動した。
かつて覇王の手により十字の裂け目に穿たれたシュタルツヴァルト大陸は、地揺れとともに湧き上がる大地の隆起によって国境が埋められ、以前の姿を取り戻した。
時を同じくして、各国の支配者は同じ声に囚われた。
弓の国イエーグでは王家の正当性を示す「統制の矢」を通じて。
魔法の国ザーヴェルでは知識の集大成である「知識の宝珠」を通じて。
信仰の国ヒュファルでは教皇の象徴とされる「聖なる冠」を通じて。
「我の仲裁を拒否し袂を分かった愚者どもの子孫よ。汝らの祖先によってもたらされた争いに終止符を打つ時が来た。さあ、戦士よ、狙撃手よ、魔術師よ、司祭よ、誰が最も優れた愚か者であるのかを我に示すのだ」
三人の支配者は圧倒的な声の圧力によって、己の使命を魂に刻み込まれた。
早速支配者たちは戦の準備に取り掛かっていく。
何かに憑かれたかのように。
時を同じくして、剣の国クリーグにおいても同じ声が響いた。
ただしそれは現王の間近ではなく、王宮の奥に設けられた宝物殿のさらにその最奥でのこと。
歴代の王から放置され、忘れさられ、埃をかぶった「力の剣」は、その声を伝える者を得ることができないままに、ぼんやりと光り、やがてその光をうっすらと消していった。
◇
各国の国境を物理的に築いていたクレバスが大地の隆起によって埋まってしまい、四つの国がかつてのように全て陸続きとなってしまったことは、すぐに大陸中の人々が知ることになった。
それだけならば国境付近に住む人々はともかく、それぞれの王都やそれを取り巻く市街に住む者たちにとって、それほど影響があることではない。
国境付近でも、せいぜいがクレバスに落ちて命を落とすリスクが減り、密入出国がちょっと楽になるくらいなもの。
しかし事態は一転して深刻なものとなっていく。
なぜなら、イエーグ、ザーヴェル、ヒュファルの三国が、それぞれ他国に宣戦布告を行ったからだ。
大地の隆起によって繋がってしまった各国の国境は、クレバスに代わって睨み合う両国の軍隊となり、形だけ残った橋梁は閉鎖され、たまたま反対側にいた隣国民は、強制送還もしくは隷属の選択を迫られることになってしまった。
そうした事態に最も動揺したのはクリーグの王である。
なぜなら、唯一覇王の声を聞いていない彼にとっては、三国の支配者たちが突然全方位に対し宣戦を布告するのは、彼らの気が狂ったとしか思えないからだ。
だが、クリーグ王家には三国から宣戦布告状が届けられ、イエーグに連なる西の国境と、ザーウェルに連なる南の国境が一方的に封鎖されたのは事実。
しかしながらクリーグ王家は、いい加減ではあるが腑抜けではない。
覚悟を決めた現王は貴族たちを招集し、事態の調査及びクリーグを生き残らせるためのあらゆる手段について検討に取り掛かった。
当然のことながらクリーグでの会議は混乱した。
まずは各国の思惑が全くもってわからない。
クリーグから見れば西のイエーグと南のザーヴェルに加え、国境を接していないヒュファルまでもが同時に宣戦布告をしてきたことが驚きだが、各地に忍ばせている諜報によれば、三国が手を組んでクリーグ一国に挑んできている訳でもないらしいなのだ。
少なくともどこかの国同士が手を組んだとの情報は入ってきていない。
「総司令官のところに何か情報は入って来ておるか?」
王の問いかけにもログウェル卿は無言で首を左右に振るばかり。
クリーグ軍から各国に放たれた諜報からは、各々の国が国境を固めたという情報しか入っておらず、各国の目的が何なのかはいまだ不明である。
結局、長時間を費やした会議の結果、クリーグも他国と同様、南と西の国境に守備隊を配置し、他国の出方について様子を見ることになった。
一方で貿易担当大臣であるヴィッテイル卿とその配下の役人たちは混乱を極めていた。
何しろ、普段から諍いが絶えない西の弓国イエーグはともかく、政治はともかく経済では良好な関係を築いてきた南の魔導国ザーヴェルまでもがクリーグに対し宣戦布告をしてきたのだ。
農業国であるクリーグは、戦争下にあっても、当面の糧食に困ることはない。
しかしイエーグから仕入れている石炭や材木等の燃料や、ザーヴェルに頼っている鉱石などの調達が滞ってしまう。
これは長期的に見ればクリーグにとってかなり手痛いダメージとなっていくであろう。
一方でイエーグとザーヴェルからみれば、クリーグの豊富な農水産物は、まずは押さえるべきものなのは間違いない。
民族同化大臣のローゼンベルク卿にとってもこれは頭の痛い事案となっている。
愛娘リルラージュの勧めもあり、彼は王家主導ではなく民間主導で、僻地の異種族をクリーグ国民として受け入れてきた。
その穏便な政策は全ての種族から好意的に受け入れられ、彼らもクリーグの法に従い納税を進めている。
その結果、クリーグの国力は徐々に強化されていったのだ。
しかし戦時下では、王都民はともかく辺境の部族にまで、納税の対価である国民としての権利を保障するのが難しくなってしまう恐れがある。
そうなれば、場合によっては反乱につながってしまうこともあるだろう。
それだけは絶対に避けねばならない。
その晩、ログウェル卿、ヴィッテイル卿、ローゼンベルク卿は密かに先王弟の屋敷に集まった。
理由は二つ。
一つは大人数で議論しても収拾がつかないであろう今回の大問題について、少なくとも利害の一致している三家で改めて議論すること。
もう一つは、敵国から送られているであろう諜報の目と耳を回避するため。
少なくともこの三家が敵国と通じている恐れはない。
なぜなら三名ともがプライベートの秘密を共有しているからだ。
それは互いの部下や家族という建前の愛人を見せびらかせあう、楽しい楽しい食事会という秘密。
正確には先王弟を加えた四名ではあるが。
「とにかく情報が欲しい」
ログウェル卿のため息に他の三名も同意する。
「しかし、王家の貿易網は断絶されてしまったからな。商人どもに忍ばせていた諜報員も国外退去の憂き目に遭っている」
ヴィッテイル卿もため息をついた。
「ここは別の情報網も張り巡らせるべきか」
ローゼンベルク卿の提案に全員が頷く。
「情報網の新設に貴殿ら三名が表に出るわけにはいかないであろうからな。ここは儂が私費で情報網の費用を賄うとしよう」
先王弟の決断に、三名の貴族は改めて敬意を表し頷いた。
「で、誰に依頼するのだ?」
一転して楽しそうな表情となった先王弟からの、答えが決まりきった問いかけに、三名は自信を持って声を揃えた。
「路地裏の女帝でしょうな」
◇
「ということなの。この仕事、受けてもらえる?」
ここはそれなりに高級な酒場「連射花火亭」の奥にしつらえられた個室。
そこでは二人の女性が対峙していた。
一人は白鳥族。
もう一人は森林族。
「別に構わないですけれど、リルラージュじゃなくて、何故私なのかしら?」
森林族であるビーネの素朴な疑問に対し、白鳥族のオデットは優雅に笑いかけた。
「リラは貴族だから今回の件で表に出るわけにはいかないわ。軍属であるウルフェもね。付け加えると私もよ」
そう言われてみれば当然よねと同意するビーネにオデットは言葉を続けていく。
「サラやアリア、場合によってはサキュビーやレイの力を借りることにもなるでしょうし、それに何より、あの連中を顎で使うには、あなたが最適でしょ?」
「それもそうね」
そのころ、あの連中呼ばわりされた男どもは、別室でだらしなく酒盛りに興じていた。




