慟哭の跡
クリーグからの攻撃あり。
との一報を久しぶりに受けた砦では、主である東の楯は兵を引き連れ前線に向かった。
父からの「お前はリオと孫を守っておれ」との指示により、ヴィルヘルムは砦の守備隊、妻のリオと赤ちゃん、そして私とともに砦に残ったの。
リオは砦の守備が心配だから、彼女の部族を守りに加えるために砦へと招き入れたいと、ヴィルヘルムに提案したの。
リオを愛していたヴィルヘルムは、彼女の申し出を素直に受け入れ、竜人族を守備隊として砦に招き入れたわ。
こうしてその晩、地獄の釜が開いてしまった。
雷鳴響く豪雨の中、砦に招かれた竜人族たちを筆頭に、徴兵されていた少数部族の下級兵士たちが反乱を起こしたの。
最初に守備隊の騎士や上級兵士たちが不意打ちで命を奪われ、領主に仕える召使いたちは、平原族は皆殺しにされ、少数部族出身者は主を裏切り、反乱に加わったわ。
何が起きたかもわからないまま、ヴィルヘルムと赤ちゃんを抱いたリオ、そして私は奥の間にまで追い詰められれてしまった。
「何だ貴様ら! どういうつもりだ!」
ヴィルヘルムからの必死の問いかけに答えたのは、迫りくる竜人族たちではなく、隣にいるリオだった。
彼女は泣きそうな、全てを恨むかのような歪んだ表情でヴィルにこう言い放ったわ。
「我が部族からの復讐よ、東の楯へのね」
そう、全ては計画されていたことだった。
長期にわたる眠れる刻を経ながら。
竜人族はヴィルの優しさにつけ込み、それを利用した。
リオは始めからヴィルを堕とすために送り込まれた刺客だった。
彼との間に子を育み、東の楯に隙を作らせることまでもが、彼らの恐るべき計画だったの。
続けて一斉に竜人族たちはヴィルヘルムに襲いかかったわ。
絶望に捕らわれるヴィル。
どうしていいかわからない私。
「ショコラ、赤子を頼む!」
不意にかけられたヴィルの叫びに我を取り戻した私は、リオの腕から赤子を奪い取り、ヴィルの指示に従って、奥の間に飛び込んだの。
扉が閉まる瞬間、まず柔らかな白い光が扉を包み、その光が止む直前に、今度はおぞましい黄色の光が一瞬だけ漏れ伝わってきた。
そうして扉は閉ざされたわ。
赤ちゃんは既に息をしていなかった。
多分リオが毒を飲ませたのだと思う。
でも、赤ちゃんの表情は安らかだったわ。
恐らくはせめてもと、苦しまずに済む毒を用いたのかも。
リオも多分犠牲者だったのでしょう。
だって、あのとき私は気づいたもの。
私が赤ちゃんをリオの腕から奪い取ろうとしたとき、彼女は赤ちゃんを傷つけないように自ら手を離したことを。
あのとき私ははっきり見たもの。
リオが真っ赤な血の涙を流しているのを。
私は確かに聞いたもの。
リオが「ごめんね」と呻いたのを。
雷鳴が止むころには、喧騒も止んでいたわ。
私は扉を開けようとしたけれど、外から鍵を掛けられたのか、扉が開くことはなかった。
私は妖精。
その気になれば悠久の時をこのまま過ごすこともできる。
赤ちゃんは身体が朽ちた後も、その魂を私の腕に残したわ。
多分ヴィルとリオの想いに囚われて。
ヴィルと私との約束に縛られて。
その後のことは、部屋から解放された後に女衒から聞かされた通り。
竜人族に理不尽にも殺されたヴィルは、その怒りと愛情により「霊鬼王」となり、強力な結界によって扉を塞いてしまった。
ワイトキングの瘴気に蝕まれた竜人族たちは、死後も朽ちることを許されず、王国軍に滅ぼされた後も、屍竜人となって、砦を徘徊することになってしまった。
こうして砦は遺棄され、竜人族の復讐は達成されたの。
誰も何も得るものがなかった復讐がね。
◇
ヴィルヘルムはショコラの胸で聞かされた昔話に涙した。
同じ名を持つ男の運命を悲しみ、その志に同情した。
一方で不謹慎ながらも素朴な疑問がわき上がる。
「ねえショコラ。ショコラはなぜヴィルヘルムと結婚しなかったの? 妖精だから?」
「そんなの求婚されなかったからに決まっているでしょ。言わせないでよ恥ずかしい」
先程の重い空気からベッドの中は一転する。
「じゃあさ……。何でもない。お休み」
ショコラの胸に顔を埋め、照れ隠しにさっさと眠ってしまおうとするヴィルの頭を撫でながら、ショコラは想う。
あのヴィルにとって、私は姉だった。
ところで、この子にとっては私は何だろう?
ふふっ。
この国はクリーグ。
イエーグと異なり、何でもありの国。
だからというわけではないけれども、ヴィルには内緒にしておこう。
ハイブラウニーは人族と子を育むことができることを。
子を育んだブラウニーは連れあいとともに老い、人種が寿命をまっとうするのと同様に、やがては生まれた場所や道具に再び召されることを。
ショコラは寝息を立てているヴィルの髪をもう一度撫でると、ベッドの暖かさの中で目を閉じた。




