家妖精の追憶
「やめろショコラ! やめてお願い脱がさないで一人でできるから!」
「遠慮しないでいいのヴィル! 下着も洗濯しちゃうからね、ほーら!」
「ヴィルじゃなくてヴィルヘルムと呼んでよ! って、やめてー!」
「はいはいヴィルヘルムさま! 早くお風呂にも入っちゃいましょうね!」
ここはリューンベルク公の舘。
両親を亡くし、部屋に引きこもっていたヴィルヘルムは、ハイブラウニーからの手荒い激励?により、すっかり立ち直り、世継ぎとして日々成長している。
彼は感謝していた。
押しかけ姉さんのようにやってきて、あれこれと彼の面倒を見てくれる妖精に。
彼が落ち込む暇もなく、常に笑顔を絶やさないでいてくれる美しい女性に。
毎回毎回パンツまで脱がそうとするのはたまに傷だけれどさ。
そこで不意に彼は一つの疑問を持った。
家妖精のショコラは、僕のところに来る前は、どこでどうしていたのだろうか。
それは今まで自分の人生だけで精いっぱいだった少年が、他人の人生に興味を持った瞬間。
ショコラはいつものようにベッドをしつらえ、ヴィルヘルムにおいでおいでをした。
このときばかりはヴィルヘルムも無言でベッドにもぐりこむ。
これは執事にも内緒のこと。
ヴィルヘルムはショコラの胸に抱かれ、髪を撫でられながら夢に落ちるのが、一日最後の日課となっている。
しかし今日はいつものように眠ることができない。
その理由を確かめるために、彼は勇気を振り絞った。
「ねえショコラ。ショコラはここに来る前は何をしていたの?」
突然のヴィルヘルムからの問いに、ショコラは驚いた様子で彼に視線を合わせる。
そのときヴィルヘルムは気づいた。
一瞬見せたショコラの悲しそうな瞳に。
しかし続けてショコラはいつもの愛らしい笑顔に戻ると、何かをふっきるかのようにヴィルヘルムの耳元で囁いた。
「ヴィル、これは昔々のお話よ」
◇
私たち家妖精は、人族の想いが込められる場所や道具に、魂を宿すことによって生まれる存在。
私はね、とある砦を守る城門を支える、霊木でしつらえた閂に魂を宿したの。
砦の主による「守る」という想いに寄せられて。
想いの主は愛する妻との間に一人の男の子を授かったの。
大喜びの主は自分自身に誓ったわ。
この子が成人するまで俺が全てを守り通す。
その後は砦の守備をこの子に託すと。
私は彼の想いに答えるため、男の子を陰ながら見守ることにしたの。
男の子の名前はヴィルヘルム。
そう、キミと同じ名前。
私は常にヴィルヘルムと一緒にいたわ。
赤子の彼が初めて両足で立ったときも、彼が初めて両親に「パパ・ママ」と呼びかけたときも。
そのときヴィルは、私にもこう呼びかけたの。
彼の大好きなおやつの名前で。
「ショコラ」って。
ヴィルヘルムに名付けられた私は、誰からも見える存在となってしまった。
彼の母親は精霊使いの心得があって、すぐに私が何者かを見破ったわ。
私を生み出した父親も、私の存在を見破った母親も、私にヴィルを託してくれた。
「どうかこの子を守ってくれ」とね。
ヴィルヘルムはすくすくと成長したわ。
妖精の私から見ても、彼は優秀だとわかった。
父親からは剣術と世俗学、母親から精霊術と神学を教授された彼は、それらをみるみるうちに吸収して行ったの。
ただ、知識を得、社会を知るということは、見識も広げてしまうということ。
そう、無知なうちには気づかなかった社会の矛盾や、素朴なうちには知ることがなかった搾取のシステムなどについても彼は知ってしまった。
彼の父親は隣国からの攻撃をことごとく跳ね返し、国中から「英雄・東の楯」と称えられた人。
でも、彼が砦を守るために取った手段は、ヴィルにとっては必ずしも納得できるものではなかった。
東の楯は「砦の守備」を遂行するために手段を選ばなかったわ。
周辺の少数部族からは容赦なく徴兵と徴税を繰り返し、戦時には敵軍を疲弊させるために、国境近くの村では毒を井戸に撒いたり、川に流したりもしたの。
少数部族たちがやっとの思いで開拓した土地が疲弊してしまうことなんて、まったくお構いなしに。
東の盾は敵兵を生かしたまま串刺しにし、前線に並べさせたりもしたわ。
敵の士気を堕とすためにね。
泣きわめき慈悲を乞う敵兵を串刺しに仕上げる作業も、少数部族から徴兵された下級兵士の仕事だったわ。
東の楯とその部下である平原族の騎士や上級兵士たちは、少数部族から成る下級兵士たちが嗚咽をこらえ残虐な行為に手を染めている間、それを肴に酒を交わしたりしていたそう。
ヴィルは私にいつもこう話してくれたわ。
「僕は父がこれまで築いてきた成果には敬意を表している。でもねショコラ。砦を守る手段は他にもあると思うんだ」
ヴィルが十六歳になったとき、彼は東の楯の世継ぎとして、正式にイエーグ王家から叙勲された。
このころにはクリーグからの攻撃も少なくなっていたから、東の楯もヴィルへ徐々に跡を継がせていこうと、彼が選ぶ行動を尊重し、認めるようになったわ。
ヴィルは周辺の村を回り、徴兵と徴税を徐々に和らげ、少しずつ領土の回復を図ろうとしたの。
その途中、ほとんど壊滅状態だった竜人族の村で保護された孤児の娘を、砦に迎え入れたのも彼の慈悲から。
竜人族の娘は「リオ」という名前。
ヴィルに救われた彼女は、私とともにヴィルヘルムに仕えるようになったわ。
私は妖精。
リオは人種。
私にはわかった。
ヴィルが徐々にリオに惹かれていくのが。
でもね、妖精の私もヴィルを……。
いえ、何でもないわ。
彼にとって私は姉、リオは異性。
青年期のヴィルヘルムが思春期のリオを身ごもらせるのに、長い時は必要なかったわ。
当然彼の父も母も、最初はヴィルヘルムとリオの婚姻なんか認めなかった。
なぜならあの国は平原族の国だから。
貴族、しかも砦を預かる領主の妻が竜人の少数部族だなんて、普通は認められないものなの。
でもね、やっぱり孫は可愛いものなのね。
リオが産んだ男の子は、ヴィルヘルムにそっくりな、優しい表情の男の子だった。
子には母が必要。
ヴィルヘルムの父と母は、側室ならばと、リオを正式な家族の一員に迎え入れたわ。
その後、ヴィルヘルムを中心に、幸せな日々が過ぎて行った。
私もこれまで通り、ヴィルたちを見守ってきた。
でもね、ある日唐突に悪夢の日が訪れたの。




