家妖精
城ごと消え去り、すっかり見晴らしが良くなった国境を背に、ブラウニーの少女とヴィーネウスは馬車に揺られている。
ブラウニーの少女は興味深そうにヴィーネウスへと尋ねた。
「ねえヴィーネウス、あなたは私をどこに売り払うつもりなの?」
「さあな、まあお楽しみだ」
ぶっきらぼうなヴィーネウスに、少女はさらに食いついていく。
「私の能力はあなたも知っているのでしょ? 私は誰にも束縛されないわ」
「俺もお前を売り飛ばした後のことなどに興味はない。逃げたきゃ逃げろとまでは言わないが、まあ好きにしろ」
まさかの逃走肯定発言に少女は不思議そうな顔をした。
「逃げてもいいの?」
「さあな」
「変な人」
その数日後、ヴィーネウスは、とある屋敷にブラウニーの少女を連れて訪れた。
彼らを迎えたのは、館の執事。
「お待ちしておりました、ヴィーネウスさま」
「ああ、待たせたな」
「そちらの方が?」
「そうだ」
執事は驚いたような表情で少女を見つめた。
続けて疑問を口走ってしまう。
「あの、家妖精というのは、もっとこう、小人のような妖精だと記憶しておりましたが」
執事の疑問には妖精の少女がコロコロと笑いながら返事をした。
「家妖精にもいろいろな子がいるからね」
その回答に、ヴィーネウスも、にやりと笑いながら続けた。
「先代の注文を満足させるには、これくらいの上玉じゃないと無理だからな」
そういうものですかと執事はつぶやきながら、いったん奥に引っ込み、すぐに大きな袋を抱えて戻ってきた。
「お約束の金貨二百枚です」
「確かに受け取った。それじゃあ俺は帰る」
ヴィーネウスが屋敷から出て行ってしまった後、執事は丁重に少女を最奥の部屋に案内した。
「こちらでございます」
妖精は扉を開けることもなく、すっと部屋に入り込むと、くるりと部屋を見回してみる。
汚いわね。
この散らかりっぷりには燃えるものがあるわ。
そう心が躍る少女の目に続けて映ったのは、部屋の隅にうずくまる小さな塊。
ふーん。
少女は忍び足でそこに近づくと、不意に後ろから塊に抱きついた。
「うわっ! 誰っ!」
部屋の隅に固まっていたのは、一人の少年だった。
年のころは八歳くらいであろうか。
「だーれだ?」
「そんなの知らないよ! 勝手に部屋に入ってこないでよ!」
背を向けて丸まったまま、少年は少女に向けて叫んだ。
しかし少女に少年の怒りは全く伝わらない。
「そんなこと言わないで、お姉さんと遊ぼうよ」
「知らない! 僕は誰とも会いたくないんだ! 早く出て行ってよ!」
少女は少年に背後から抱きついたまま、彼の耳元で囁いた。
「そうなの? つまらないなあ」
「いいから出て行ってよ!」
ところが出て行けと言われると出て行かないのがブラウニーの真骨頂でもある。
「私の名前はショコラ。あなたは?」
「なんで名乗らなきゃならないんだよ! 早く出て行ってよ!」
「教えてくれないとこうだぞ!」
ショコラと名乗った少女は、少年の両脇に後ろから無理やり両手を差し入れると、強引にくすぐり始めてしまう。
突然の背後からの攻撃に、少年は思わず身をよじりながら叫んだ。
「やめて! 死んじゃうからやめて!」
しかしショコラのくすぐり攻撃は容赦なく続く。
「名前はなんていうのかな?」
「ヴィルヘルム、ヴィルヘルムだよ! だからもうやめておかしくなっちゃう!」
「仕方がないなあ、ヴィル。くすぐるのは許してあげるから、私と遊ぼうよ」
少女は楽しくなった。
そして心に決めた。
懐かしい響きを名前に持つこの少年を、とことんからかってやろうと。
◇
「何をにやけておるんだヴィーネウス、気色悪いぞ」
髭達磨のドワーフがグラスを傾けているヴィーネウスの前に座った。
「ああ、ちょっと思い出し笑いをな、ダンカン」
「なんだ、俺にも聞かせてみろ」
「実はな」
ここは街の、それなりに高級な酒場。
ヴィーネウスが先代に依頼されたのは、引きこもってしまった息子を何とかしてほしいというものであった。
妻を亡くした後、先代は妻の分もと息子の教育に励んだが、どうもそれが裏目に出たらしい。
しかも自身も不治の病を患ってしまった。
「金に糸目はつけない。手段も選ばない。何とか息子を一人前にしてやってくれ」
これがヴィーネウスに先代が残した依頼であり遺言であった。
「そこに高位家妖精をあてがったのか!」
ダンカンも思わず吹き出してしまう。
なぜなら、ハイブラウニーが気に入った少年に向ける「構い性」は、尋常なものではないからだ。
さらにはダンカンの知る限り、ヴィーネウスから聞いた引きこもりの少年は、ハイブラウニーのツボをすべて押さえている。
「引きこもりの坊ちゃん、今頃プライバシーを全部ハイブラウニーにはがされて泣いているだろうぜ。下手をすると死ぬまでハイブラウニーに付きまとわれるな、坊ちゃんは!」
ダンカンの笑いに合わせるかのようにヴィーネウスもにやりと笑い、お楽しみの絶頂にいるであろうハイブラウニーの方向に向けて、グラスを掲げてやる。
「な、ショコラ。お前がそこから逃げ出すわけがないだろう?」
くしゅん。
ショコラは小さなくしゃみをすると、ヴィルの衣服を下着まで無理やり脱がせて風呂に連れ込む作業に戻っていった。