もう一枚
ヴィッテイル卿は、ログウェル司令官を通じて知り合った岩窟族の漢と、かつてリューンベルク家の執事から紹介された平原族の男を屋敷に招き入れていた。
その後ろには下男であろうか、みずぼらしいフードをかぶった小男が控えている。
「ところで今日は何用かな」
ヴィッテイル卿も目の前の岩窟族のことは当然把握している。
クリーグ有数の傭兵団をまとめ上げ、凄腕の傭兵、裏の処刑人などとも噂されているこの漢のことは。
「提案が二つあるのじゃ、ヴィッテイル卿」
ダンカンに続いてヴィーネウスが嫌らしい笑みを浮かべた。
「卿よ、これを買わないか?」
同時にヴィーネウスは後ろの小男に、前に出るようにと促す。
いきなり小男を買えと持ち掛けてくるヴィーネウスの真意がわからないヴィッテイル卿は、明らかに不満げな表情を浮かべている。
「脱げ」
ヴィーネウスからの冷たい指示に、小男はぴくりとすると、フードを自ら脱ぎ、足元に落とした。
姿を現したのは、小男ではなく、海豹族の娘。
海豹特有のくりくりとした目が愛らしい。
しかしそれは、しょせん愛玩でしかない。
「ヴィーネウス殿、これは何の冗談だ?」
「卿もパートナーを欲しているらしいと聞いたものでね」
ヴィーネウスのぞんざいな物言いに、ヴィッテイル卿は明らかに不快そうな表情を示した。
確かにあのときは他の三人が羨ましかった。
しかし目の前の海豹娘では正直言って物足りない。
茶の毛皮に包まれた姿は可愛らしい。
でも、これではあの軽やかな羽毛にも、流れるような白銀にも、透き通るような柔肌にも勝てない。
するとそんな卿の不満を見透かしたように、ヴィーネウスは言葉を続けた。
「シルク、もう一枚だ」
ヴィーネウスの指示に再びびくりと身を震わせると、シルクと呼ばれた海豹娘は、茶色の毛皮をおずおずと脱いでいく。
そこに現れたのは、リルラージュもかくやというばかりの、透き通るような肌を持つ乙女の姿。
そう、世間ではほとんど知られていないが、セルキーの女性はあざらし皮の下に、乙女の姿を持つ種族なのだ。
ヴィッテイル卿は思わず身を乗り出した。
「金貨三百枚」
ヴィーネウスの言い値にも、卿はただただ、無言で頷くばかりだった。
◇
今は芸術に生きる先王弟が、白鳥族のオデットと果物を楽しんでいる。
クリーグ国軍総司令官が、腹心の部下であるウルフェに紅茶を勧めている。
民族同化大臣が、愛娘であるリルラージュから差し出されたケーキを満足げに口にしている。
そして貿易担当大臣は、茶色の毛皮に包まれた、くりくりとした瞳が可愛らしいアザラシの口元にデザートを運んでやる。
「これはまた可愛らしい娘さんだな」
熟女が好きな先王弟は、形式的に茶色の娘をほめてみせる。
「これはこれはコロコロして愛らしいですな」
精悍な女性が好みな総司令官も、愛想笑いとともに娘をほめてみせる。
「背格好はリラ……、リルラージュと同じくらいかの?」
民族同化大臣は少し興味を抱くも、すぐに愛娘の透き通った肌の方が上だと余裕の笑みを浮かべた。
「いえいえ、仕事のためですからね」
などと貿易担当大臣は、六人の前で謙遜してみせる。
この席における海豹族シルクの立場は、ヴィッテイル卿の配下で、海運に携わる労働者たちの取りまとめ役というポジションである。
これはダンカンが海豹族の川面での俊敏な動きを見越しての、ヴィッテイル卿に勧めた組織編制であった。
名づけて港湾労働者組織、海豹組
目の前の貴族たちに謙遜しながらも、ヴィッテイル卿はほくそ笑んでいる。
この三人はシルクの正体を知らない。
茶色の毛皮に隠された真の姿を。
卿は心の中でそっとつぶやいた。
ざまあみろ、シルクは俺だけのものだ。
◇
夜の介護院に歌姫セイラの歌声が響いている。
「私も歌を歌いたいの」
楽しそうに歌う、青い看護師服の姿に刺激されたのか、新調してもらった白い看護師服に身を包んだ白兎が身を乗り出すのを、桃色の看護師服をまとった哭鬼が慌てて止めた。
「だめよルビィ、お爺ちゃんたちが死んじゃうから」
「残念なの」
「また今度ね。それじゃ一緒にお留守番をしていましょう」
出かけて行った院長を待ちながら、介護院の夜は更けていく。
◇
「いよいよ私の介護院も、あなたのところに負けず劣らず化物屋敷になってきたわ」
「あなたも大変ね」
ここは深夜の酒場。
ほのかな明かりの下で、夢魔と草原族がグラスを交わしあう。
「これで新たに一つ情報網が増えたんじゃないの? 主に海運関係で」
「何のことかしら?」
サキュビーのカマかけにビーネはしらを切ってみせた。
「ふふっ」
サキュバスとエルフは、どちらともなく笑顔をこぼしあった。
少しばかり黒っぽい笑顔を。




