レイネの白うさぎ
街の一日が順調に過ぎていく。
連射花火亭もランチタイムを終え、今はメインである居酒屋タイムの準備に大忙し。
するとそこに一人の女性が息せき切って駆け込んできた。
「ビーネ、サラ、お願い助けて!」
必死の形相で店に飛び込んできたクレムを、酒場の女主人と共同経営者は何事かと迎え入れた。
「ルビィがいなくなっちゃったの!」
それはつい先ほどのこと。
ルビィはクレムと二人で街を歩きながら、介護院での入用物を様々な店で買いこんでいくうちに、ずいぶん街や人々にも慣れてきた様子を見せてきていた。
ルビィの特等席であったクレムの背中から、大きな背嚢によって押し出されてしまった少女は、いつの間にかクレムの左手をとり、並んで歩くようになっている。
ずっと無言で、クレムからの問いかけに一言二言返すだけだった少女も、昼食で露店に寄るころには、「クレム姉さま、あれは何ですか?」などと、自らしゃべりだすようにもなった。
こうなるとクレムも母性本能が刺激される。
しかも「姉さま」と来たのだ。
クレムは張り切って街を案内し、ルビィも次々と目にする新たな情景に心を躍らせていった。
買い物の最後はレイネ川の港の一角にある魚市場。
ここで今日の夕食にする新鮮な魚を購入すれば、買い物は終わり。
介護院の爺さんたちが魚に舌鼓に打つ表情がクレムの目に浮かぶ。
「よし、生きがいいのを仕入れなきゃね」
そう気合を入れなおしたクレムは、ついルビィから目を離してしまった。
魚の目を見るのに夢中になってしまったがために。
さて、一方のルビィであるが、レイネ川の湖畔に何やら変な姿の連中が並んで寝そべっているのに興味を惹かれてしまう。
「何をしているの?」
すっかり街に慣れてしまったルビィは不用意にその集団に近づいてしまった。
「日向ぼっこだよお嬢ちゃん」
ルビィの問いに、集団の一人が上半身を持ち上げながら気だるそうに答えた。
「働かないの?」
ルビィが無邪気に放った次の質問は、彼らの逆鱗に触れてしまう。
彼らはレイネ川北の河口から集団で出稼ぎにきた海豹族である。
元々彼らの村はレイネ川河口の汽水域で採れる豊富な水産資源によって生計を立てていた。
ところがレイネ川は年々汚濁していき、特にここしばらくの間に一気に水質が劣化していったた。
その結果、漁獲高は水質の汚濁と比例するかのように落ちていき、村人たちは漁業だけでは納税が困難になってきたのだ。
クリーグにおいて納税は唯一絶対の国民義務。
滞納者の末路は貴賤の区別なくそれはそれは酷いものである。
そのためやむなく彼らは出稼ぎのためにミリタントの港へとやってきたのだ。
しかし新参者にほいほい仕事が与えられるほど、港も潤っているわけではない。
だからと言って陸で働こうとしても、海豹族の彼らは陸上ではその能力を十分に発揮することはできない。
なのでこうして日向ぼっこをしながら、聞き耳を立てていたのである。
何か海の仕事の募集がないかと。
そんな切実な事情に、塩を塗り込めたのがルビィの容赦ない質問。
さらにルビィの無邪気な口撃は続いた。
「働かざるものは食うべからずって、サキュビー院長さまに教わったの」
この一言が海豹族のプライドにクリティカルヒットしてしまった。
「そうかいそうかいお嬢ちゃん。それでは俺たちも働くことにしよう」
「お嬢ちゃんも協力してくれよな」
青筋がビキビキと音を立てるような表情を浮かべながら、海豹の男たちはゆっくりとルビィを取り囲んだ。
「何を考えているのよ、やめなさい!」
一回り小柄な海豹が殺気立った集団を止めようとするも、既に手に負える状況ではなかった。
「うるせえ、こうなったら地下に潜るしかないんだよ!」
「金だ金! この娘を金に替えればいいんだ!」
そう喚いた集団は、きょとんとした表情のルビィを瞬く間に川底へと引き込んでしまった。




