女狼の矜持
しかし次の瞬間には、ヴィーネウスに襲い掛かった人狼族の全員が全員、悲鳴をあげながらその場でのたうちまわることになってしまう。
「おい、何をした!」
姐さんとやらの絶叫をあざ笑うかのように、ヴィーネウスは嫌らしい笑みを浮かべている。
「風の刃で四肢の腱を切っただけだ。死にはしないが、このままだと同業者から格好の獲物にされるだろうけれどな」
「全員の四肢を魔法で切っただと?」
姐さんと呼ばれた存在にははっきりと伝わってくる。
目の前でおぞましい笑みを浮かべている男のやばさが。
彼女の本能が、この場を離れろと警鐘を打ち鳴らす。
しかし彼女は部族の長である。
部下を残してこの場から逃げ出すわけにはいかないと彼女の理性が足を止めさせる。
すると不意に男が彼女に尋ねた。
「おい、狼女。お前の名は何と言う?」
その圧力に狼女は抗することができず、反射的に答えてしまう。
「私はウルフェ。見ての通り人狼族だ」
「ウルフェ、仲間を助けたいか?」
笑みを浮かべたままの男からの問いに、ウルフェは虚勢を張りながら答えた。
「当然だ」
「ならばお前を俺に売れ」
ウルフェは混乱した。
この悪魔のような男は何を言っているのだろう。
だからつい心の奥底に持つ想いを男に向かって叫んでしまう。
「私にはやらねばならぬことがある」
「構わんぞ。俺はお前を売り飛ばした後のことに興味はないしな」
「え?」
何を言っているのだこの男は?
もしかしたら私の心を読んだのか?
ウルフェの疑問を無視するかのように、ヴィーネウスは担いだ袋を降ろすと、中身をウルフェに見せてやる。
「銀貨五千枚。まあ、小役人一年分の俸給と言ったところだ。これでお前を買ってやる」
「ずいぶんと私も舐められたものだな」
「そういえば、さっき犬を舐める趣味はないと言ったが、お前ならば別だ」
ウルフェの不快感を無視するかのように、男はクスクスと笑った。
「この金でお前を買う。そうしたらお前はここから俺に銀貨千枚を支払え。それでこいつらの腱を俺が全て治癒してやる。どうだ? 悪い条件ではないと思うがな」
残念ながら今ここでウルフェが選択できる他の手段はない。
彼女は無言で頷くと、彼らの流儀なのであろうか、身体を震わせながらもヴィーネウスの前に歩み寄り、彼の足元にその身をゆっくりと伏せ、かしずいてみせた。
◇
「お前たち、私はこの男に身を売った。これからはお前たちだけで生きてくれ」
ウルフェはヴィーネウスが治癒した狼獣人たちにそう告げると、ヴィーネウスから支払われた銀貨の袋を彼らの一人に託してやる。
「怪我は治癒されたといっても、体力は戻っていないだろう。だからしばらくは、それを使って食いつなぐのだ」
男からの余りの仕打ちとウルフェのやさしさに混乱した獣人たちは、再びヴィーネウスに牙を剥こうとするも、ウルフェに止められる。
「このお方は私の主だ。無礼は許さぬ」
「そんな……」
すると、獣人たちの落胆をつまらなそうに眺めていたヴィーネウスが言葉を続けた。
「別に俺はウルフェの主人ではないさ。こいつは大事な商品だからな」
「商品だと?」
ヴィーネウスからの無情な宣言に獣人たちは絶句する。
「そうだ、ウルフェは大事な商品だ、お前らと違ってな。だからお前らは自由にするがいいさ」
◇
「ようヴィーネウス、こりゃまた上玉を手に入れたな」
ヴィーネウスが連れ帰ったウルフェを見やると、ダンカンはうらやましそうに笑いかけた。
ダンカンの称賛を無視するかのように、ヴィーネウスは無表情に答えた。
「貴様に支払う仲介料は一割でいいな。それとこいつの躾に、三か月もらうぞ」
ヴィーネウスが提示した条件にダンカンは当然とばかりに頷いた。
「依頼主には三か月後の引き渡しと伝えておこう。その娘の器量とお前のお墨付きなら、金貨百枚は下るまい。よし、それでは小遣い稼ぎをさっさと済ませるとしよう。お前ら、休憩は終わりだ!」
ダンカンの指示で部下の護衛たちもてきぱきと休憩道具を片づけると、何が起きたのか理解できない御者だけが、混乱したまま街に馬車を走らせた。
そう、ヴィーネウスとダンカンの目的は女狼の捕獲だったのだ。
キャラバンの護衛は彼らにとって、撒き餌ついでの小遣い稼ぎでしかなかったのである。
◇
「ご主人さま、わたしはどうすればいいのだろうか?」
ヴィーネウスの隠れ家で、薄絹一枚にされたウルフェがおずおずと彼に尋ねた。
「お前は乙女か?」
何を馬鹿なことをと誤魔化そうとするウルフェだったが、男の視線に突き刺されると、嘘を言えなくなってしまう。
無言でウルフェは首を縦に振った。
ヴィーネウスから、処女を小馬鹿にするような目で見られるであろうとの羞恥心に捉われながら。
だから続いたヴィーネウスの言葉に彼女は面食らった。
「そいつは最後の武器にとっておけ」
混乱したまま、ウルフェはベッドに横たえられる。
「それじゃ子犬ちゃん。身体の開発はしておいてやるからな」
ウルフェの真っ白な髪にヴィーネウスの指が流れる。
全身を覆う毛が、優しく櫛けずられる。
露出した下腹部をゆっくりとヴィーネウスの指がなぞる。
彼女はその後、ヴィーネウスによって全身に甘美な電撃を打たれ続けた。
三ヶ月後、ウルフェはヴィーネウスの手によって、見事な淑女に仕立て上げられたのである。
◇
ここは売買の席。
立派な体格をした中年男が、艶やかなウルフェの姿に感嘆しながらも、眉をひそめて見せた。
「容姿はダンカンの報告以上じゃな。しかし俺は愛玩犬を注文したつもりはないが」
すると、ウルフェはドレス姿のまま、一瞬のうちに中年男の後ろに回り込むと、彼の喉笛に己の爪を押し当ててみせた。
「いかがでしょう、ご主人さま。もしかしたら、爪より牙のほうがお好みでしょうか?」
ウルフェにご主人さまと呼ばれた男は、喉笛に彼女の爪を押し当てられたまま、満足そうな表情とともに、召使に金貨百五十枚を用意させた。
ここで初めてヴィーネウスが口を開いた。
「司令官殿はダンカンと懇意らしいからな。こいつらはおまけだ」
そう告げながらヴィーネウスは席を立ちあがると、無造作に窓を両開きにした。
「あ……」
その先に広がる光景に、ウルフェは思わず嗚咽と共に涙を浮かべてしまう。
そこにはかつて彼女の仲間だった獣人たちが、お揃いの武具を身につけ、ダンカンの号令に従い、整列していた。