クチナワヒメ
「はいはい、さっさと服を脱ぎなさいなヴィル」
「ヴィルじゃない、ヴィルヘルムさまと呼んでよ!」
「はいはい、ヴィルヘルムさま、さっさと服を脱がないと服ごと洗濯板で擦っちゃいますよ!」
「やめろショコラ! 自分で脱げるからやめてお願い!」
こちらはリューンベルク公の舘。
一時は深刻な引きこもりとなっていたヴィルヘルムお坊ちゃまの元気な姿に、執事は感無量となっている。
その横ではメイド長が、今にも最後の一枚を高位家妖精のショコラに剥かれそうになっているヴィルヘルムの姿に眉をひそめているのではあるが。
そんなメイド長の表情を察したのか、執事は目の前で明るくパニックになっている大好きな坊ちゃまの肢体を堪能するのをやむなく中断し、笑顔で手を鳴らした。
「さてさて、今日はヴィッテイルさまがお見えになりますからね、お戯れはその程度にしておきましょう」
先公を早くに亡くしてしまったリューンベルク家では、親族に連なるヴィッテイル公に、ヴィルヘルムが成人するまでの後見を任せている。
なので定期的にヴィッテイル公はヴィルヘルムの元を訪れては、彼の成長を確認するとともに、先公の信が厚かった執事に、リューンベルク家の領地がもたらす資産から生活費を託していた。
「それにしても、一時はどうなるかと思ったが、ヴィルヘルムもこの様子ならば問題なくリューンベルク家を背負ってくれるだろうて」
元気そうにハイブラウニーと、どつき漫才を演じている少年の姿を見つめながら、ヴィッテイル公は一旦目を細め、その後渋い表情になると、ため息をついた。
そんなヴィッテイル公の表情に鋭く気付いた執事は、公に無礼がなきように、最低限の語彙を選んで伺ってみる。
「何か心配事でも?」
黙りこむヴィッテイル公。
しばらくの沈黙の後に、彼は執事に振り向いた。
「恥ずかしい話なのだが、内密で相談に乗ってくれるか?」
◇
「で、俺のところに来たのですか」
ヴィーネウスも、昔世話になった先代リューンベルク公の執事相手では、無碍な対応をすることもできない。
「そうなのですヴィーネウスさま。今回の話は長い目で見ればリューンベルク家がヴィッテイル家に恩を売ることができるものなのです。将来坊ちゃまが一層有利なお立場となられるために、ぜひともここはヴィッテイル公にご協力をさし上げたいのです」
静かながらも、必死さが伝わる形相で執事はヴィーネウスに話を続けた。
◇
ここはそれなりに高級だと最近評判になってきた酒場、連射花火亭。
まだ営業時間前だが、ヴィーネウスは慣れた様子で店の裏口から店内に足を踏み入れると、まずは女主人の姿を探した。
「ビーネ、サラに聞きたいことがあるのだが、帰ってきているか?」
「サラなら厨房で珍味の仕込みをしているわよ」
ビーネはこの酒場の女主人であり、サラは共同経営者という立場にある。
店は主にビーネが切り盛りし、サラはクリーグ国内の村や国外の街を巡り、珍しい食材を手に入れたり、貿易商と話をつけて安く食材を手に入れる、いわゆる仕入れ人のような仕事を担当している。
二人とも、ここクリーグ出身ではなく、隣国の弓国森林族と弓国蜥蜴族出身ということで、互いに気が合うのだろう。
ということでイエーグ出身の二人が、クリーグ王都ミリタントのど真ん中で堂々と酒場の経営を始めたのだ。
まあ、そこには剣国岩窟族の涙ぐましい根回しがあってこそなのだが。
「あら旦那、久しぶり。ちょっとこれを味見していかないかい?」
奥から出てきたサラは、手に良い香りを漂わせた何かの鍋を抱えている。
「どれ」
ヴィーネウスはぞんざいに鍋の中身をサラから差し出された匙ですくうと、口に入れてみる。
「うん旨い。旨いが……、材料は聞かないからな」
彼は了解している。
サラが扱う食材に禁忌はないことを。
そして彼は忘れることにした。
鍋から覗いていた得体のしれない物体については。
「肉と魚とその他の煮込みということにしておくよ」
サラも馬鹿正直に材料を明示して客をびびらせるつもりは毛頭ない。
「美しい女性二人が給仕をしてくれる店」という評判の他に「何だかわからないけれど旨い料理を提供する店」というのが、この店のもう一つの売りなのだ。
「で、私に何の用だい?」
「ああ、お前の眷族について聞きたくてな」
ヴィーネウスとサラは、まだ掃除の済んでいない酒場のテーブルに向かい合って腰かけると、彼が求める情報に、彼女は的確に答えて行った。
◇
ヴィーネウスはクリーグの西に位置するイエーグとの国境を渡り、そこからさらに南に向かって、イエーグとヒュファルの国境にかけて探索を続けている。
イエーグ北方の出身であり、自身もバイヤーの名を騙って各地を転々としているサラからの情報によれば、ヴィーネウスが今回獲物に定めた種族はこの辺りにいるはずだという。
だが、街道から外れ、草原から荒地、山岳地帯に至るまで探索を続けても、ヴィーネウスはそれらしき気配を察知することができない。
「これは持久戦か」
ヴィーネウスはそう呟くと、山岳地帯に粗末な庵を張り、そこを拠点に何日かを過ごすことにした。
それは数日後の夜。
満月が闇に星を躍らせ、静寂の中に蟲や草が、かすかな喧騒を奏でている。
そんな中、ヴィーネウスはいつものお気に入りの蒸留酒ではなく、香り高い真っ赤な葡萄酒をグラスに注ぎ、ゆっくりとそれを堪能しながら星を眺めていた。
すると、彼のうなじを何かが刺激する。
それはこちらの様子を伺うような気配。
しかし、殺気は全く感じず、どちらかといえば怯えが先行するようなもの。
ヴィーネウスはもう一つグラスを取り出すと、岩陰に声を掛けた。
「良かったら一緒に飲むか?」
少しの間。
「あなたは……、何者?」
岩陰から、か細い女性の声が響いてくる。
「探索者だ」
ヴィーネウスは己を隠すつもりは全くない。
「何を探しているの?」
「朽縄姫だ」
「クチナワヒメ?」
「ああ」
しばらくの後、女性は言葉を続けた。
「朽縄姫をどうするの?」
「口説きに来た」
「え?」
「聞こえないのか? 朽縄姫を口説きに来たんだ」
再び無言になる岩陰にヴィーネウスは言葉を続けた。
「よかったら一緒に飲むか? 朽縄姫。いや、蛇族よ」




