ルナティック
「で、団体さまが俺に何の用だ?」
ここは倦んだような空気に覆われた王都ミリタント。
ヴィーネウスは彼の隠れ家で女性陣に取り囲まれ、うんざりした様子で頬杖をついている。
「昨夜はアリアとお楽しみだったようね」
ビーネの微笑みにヴィーネウスは思わず目線をそらしてしまう。
「アリアは住まいが決まるまでの居候だったのではないのか?」
サキュビーの指摘にヴィーネウスは思わず視線を斜め上に泳がせてしまう。
「ヴィズさま、今晩もお願いね!」
ごんっ
リルラージュの容赦ない拳がアリアの頭に振り下ろされた音を合図とするかのように、ヴィーネウスは観念した様子で両手を上げた。
「わかったわかった。で、俺は何をすればいいんだ?」
「あなたも薄々は気づいているのでしょ、ヴィーネウス?」
ふん。
皆を代表してのサキュビーからの問いかけに、ヴィーネウスはいつものように鼻を鳴らしたのだった。
もう昼近くとなるのに、街に成人男性の姿はほとんど見られない。
聞こえるのは、普段は厳格な父親に解放されたかのようにはしゃぐ子供たちの声と、やけに明るい女性たちの会話だけ。
それは子供たちの父親や、彼女たちの連れあいが今現在どういった状態にあるのか鑑みれば、容易に推測できること。
野郎どもは今、全員が全員、文字通り「干からびている」のだ。
精を絞りつくされて。
「ホント、大したものよね貴方は」
サキュビーの、じとっとした目つきにヴィーネウスは頭を掻くしかない。
何しろ、今この時点で、王都ミリタントにおいてまともに受け答えができる成人男性は、ヴィーネウスしかいないのだから。
「お前ら魔族が持つ色欲系統能力で、ここまでの威力を持つのは、あれしかいないだろ?」
ヴィーネウスの指摘に、サキュビーは顔をしかめてしまう。
「そうね。でも、なぜあれが発動してしまっているのかはわからないのだけれどね」
話が見えているのはどうやらヴィーネウスと魔物である夢魔のサキュビーだけのようだ。
他の女性陣には彼らが何を言っているのかよくわからない。
ところがビーネが、もしかしたらという表情で二人に訪ねた。
「ある文献で見かけたのですが、もしやこれは『月の夜』ですか?」
「ほう、知っていたか」
「そうよ。多分ね」
ヴィーネウスとサキュビーは感心した様子でビーネにうなずいた。
だが、その一方でビーネの顔はみるみると青ざめていく。
「月の夜?」
ビーネの表情が変化したことに気付いたリルラージュは、ビーネに説明の続きを求めた。
「月の夜とはね」
月の夜 別名 月の狂気とは、月の魔力が何らかの理由で歪められ、広範囲で知的生物の交感神経に異常をきたしてしまう状況を指す。
具体的には、オスは己の生命力消耗を無視し、際限なく生殖行為に走ってしまうのだ。
「何その天国?」
アリアの素直な感想を無視するかのようにオデットが顔をしかめた。
「それは、種のリセットではありませんか?」
「そうよ。少なくとも私が読んだ文献にはそうした結末が記載されていたわ」
ビーネは説明を続けていく。
月の夜によって、オスは生殖行為に全精力を傾けるようになる。
それこそ寝食を忘れ、体力が尽きるまで。
当然メスが身ごもる可能性は跳ね上がるのだが、問題は身ごもってから子供が成長するまでの期間にある。
なぜなら、月の夜では、成人のオスはことごとく死滅してしまうため、メスは子が成長するまでに母子だけの状況に置かれてしまうからだ。
つまり彼女たちは外敵からの攻撃に無防備な状態で晒されてしまうことになる。
その結果、あるいは外敵からの攻撃、あるいは飢えによって、メスも子もほとんどが死滅し、一握り残された強いメスと強い子によって、その種族は新たな繁栄の道を歩み始めるようになる。
「これが文献に書かれた、月の夜の顛末よ」
ビーネが説明を締めくくると、ヴィーネウスの隠れ家は沈黙に包まれてしまう。
「それって、まずくないですか?」
「特にリラや私にとってはまずいわね」
リルラージュの不安にビーネが頷いた。
そう、平原族や森林族のように、高度に社会化された生活を営んでいる種族ほど、月の夜の影響は大きい。
「私にとってはどうでもいいことだけれど、介護院の存続は亡き主人の遺言だからね。ほらヴィーネウス、あなたなら察知できるでしょ」
サキュビーにそう促されると、ヴィーネウスはやれやれとばかりに立ち上がった。
「お二人だけで大丈夫か?」
心配そうなウルフェに向けて、サキュビーは掌をひらひらとさせる。
「問題ないわ、それに多分私とセイラ以外は、今回は役立たずだからね」
「それじゃ、留守番を頼むぞ」
そう言い残すと、ヴィーネウスはサキュビーと二人で、表通りへと出て行った。
◇
一旦二人はサキュビーが経営する介護院に戻り、歌姫のセイラと合流した。
「想像以上の惨状だな」
各部屋で動けなくなっている爺さまたちを眺めながら、ヴィーネウスは改めてため息をついた。
「ええ、多分昨夜だけで、ひと月くらいは寿命が縮んだでしょうね。それじゃクレム、留守を頼んだわ。爺さまたちが息を吹き返したら、体力を消耗する前にさっさと抜いてしまうのよ」
「はーい、わかりました。行ってらっしゃい、院長、セイラ先輩!」
大柄であるが引き締まった身体をピンクのミニスカート看護師服に包んだ哭鬼族の娘が見送る中、三人はヴィーネウスを先頭に、再び街に戻っていった。
ここは上流貴族街。
先程からヴィーネウスのうなじには、ピリピリとした感覚が伝わってきている。
「そろそろお前らにも気配が掴めるか?」
振り向くヴィーネウスに夢魔と歌姫はうなずいた。
しばらくの探索後、三人はある館の前に立ち止まった。
その館は門番の姿もなく、他の館で見られるような、女性たちの楽しそうな喧騒が伝わってもこない。
三人は屋敷に向かって進むと、ノックもせずに扉を開け、足を踏み入れた
三人の歩みを止める者はない。
奥から伝わるねっとりとした気配以外は。
「これは濃いわね」
サキュビーのうっとおしそうな呟きに、セイラも同調するかのように無言でうなずく。
さらに奥へと進んでいくと、扉が半開きになっている部屋に着いた。
「ここから気配が漏れ出しています」
セイラの報告を合図に三人は立ち止った。
「それじゃ、打ち合わせ通りに頼む」
セイラはヴィーネウスに頷くと、その場で彼女は水色の看護師服をゆっくりと脱ぎだした。




