路地裏
ビーネはダンカンの人脈を活用し、ログウェル卿に刺客を送ったのが何者なのか、既に調べをつけていた。
まず、サラを実行犯として仕立てたのは、サラの一族が住む湖沼を統べるイエーグ貴族の領主であろう。
その領主は、現在はイエーグの東部方面軍司令官を古くから任せられている上級貴族に忠誠を誓っている。
そしてイエーグ東部方面軍司令官は、クリーグの経済担当大臣と内通していると噂されている。
一方、サラについて。
犯行当日は短剣を携えていたので人型であったが、彼ら蜥蜴族はまさしくトカゲに変身できる能力を持つ。
変身した彼らの隠密行動は、例え五感に優れる草原族だとしても、捕らえることはできない。
ただし変身時の姿は、一度見つかってしまえば、それこそ人族の子供が振るう棒の一撃で絶命してしまうほどの儚い存在でしかない。
なので実際に蜥蜴族がトカゲの姿で活動することはほとんどないのだ。
何かの目的がない限りは。
ある時期、サラたちの領主が統べる街で泥棒の被害が相次いだことがあった。
同時期にスラムや貧しい村に夜のうちに金品が撒かれ、それを人々がそっと手に入れ、飢えの足しにしていたことも、噂で知られていった。
貧しい人々はその存在を「義賊」と讃えた。
富める者共はその存在を「害悪」と断じた。
貧しい人々も富める者共も、闇に紛れるその存在をこう呼んだ。
黒蜥蜴。
領主による度重なる捜索においても、黒蜥蜴が捕まることはなかった。
業を煮やした領主は恐るべき方法で彼女を縛ることにした。
彼らは金品が撒かれたとされるスラムや貧しい村から子供たちを拉致してくると、街の広場に札を立てたのである。
「今後黒蜥蜴が貴族街へと盗みに入る度に、子供を一人ずつ無作為に殺す」
そう書かれた札の隣に、もう一つの札も掲げられた。
「黒蜥蜴を捕らえた者には金貨十枚を褒賞とする」
その後、この街にある貴族邸宅が盗みの被害に会うことはなくなった。
一方で他者から恨みを買ったのであろう何人かの不幸な者が「黒蜥蜴」として貴族に差し出され、処刑された。
しかし彼ら彼女らを差し出した卑怯者たちも、黒蜥蜴捕獲を詐称したと問われ、金貨を得ることなく処刑された。
こうして黒蜥蜴は追い込まれていった。
それを見越したように、ある日、都市の広場に、三つめの札が建てられた。
「これまで貴族から奪った金品を弁済すれば罪は問わず、子供たちは開放し、これまでの窃盗も不問とする」
その額はおよそ金貨五百枚にのぼる。
そしてその隣には、このような内容の札が立てられた。
「クリーグ国軍総司令官の首 金貨五百枚」
領主は黒蜥蜴を捕らえぬままに、その存在を利用しようとしたのだ。
相手の国に忍び込み、軍総司令官の首を獲ってくるなど、並の者にできるわけがない。
それこそ闇に紛れて仕事ができる者でなければ。
そう、黒蜥蜴のようなものでなければ。
黒蜥蜴は義賊なればこそ、この仕事をするしかないだろうと領主は読んでいた。
領主は自室で自らの名案にグラスを掲げ、上司が内通しているクリーグ経済大臣の政敵である、ログウェルの首を持参することによって得られるであろう次の地位について夢を見ながら、黒蜥蜴が投降してくるのをゆっくりと待つことにした。
一か月、二か月、三か月。
隣国軍司令官暗殺の準備には、この程度の期間は必要だろうと、領主は楽観している。
しかしある日、夢は夢のまま唐突に終わった。
なぜなら、彼の首は無音の花火のように打ち上げられてしまったからだ。
◇
サラはビーネとともに北の湖沼に、誰にも知られることなく訪れていた。
サラは長老の元で、そっと頭を下げる。
「ごめんなさい、長老」
「いや、無事でよかった。お前が無事でよかった。じゃが」
顔をしかめる長老に向けて、サラは笑顔を作った。
「わかってる。今日はお別れに来たの」
「当てはあるのか?」
「うん、東の国で暮らすことにしたの」
「そうか、達者でな」
最後にサラは長老に、しばらくは領主の搾取もおとなしくなるだろうと告げ、そっと長老の小屋から出て行った。
◇
イエーグ辺境領主の首は、ログウェルがダンカンから金貨八十枚で買い取ることになっているそうだ。
「塩漬けにしておけば、いつか使う機会はあるからだとさ」
「それは良かったわ」
領主宅への侵入及び暗殺、さらに首まで抱えてくるという難事をさも簡単そうに笑うダンカンと、普通に喜んでいるビーネの二人を、サラは唖然として見つめるしかなかった。
「なに、サラが教えてくれた領主宅までの侵入ルートのおかげじゃよ」
そう、侵入ルートさえ事前にわかっていれば、岩窟族は恐るべき暗殺者となりうるのだ。
ダンカンたちはサラを救うため、ついでにログウェルへ恩を売るために、今回サラを刺客に向けた敵を討ってやろうと画策していたのである。
彼らはサラを捕らえた際に、既に「誰が真犯人であるか」ではなく「どうやって真犯人を討つか」に着目していた。
それにはサラが持つイエーグ諸都市の情報が必須だったのだ。
だからビーネはサラの頑なな心を無理やりこじ開けるために、ヴィーネウスに彼女を任せた。
ヴィーネウスがどれほどとんでもない男なのか、サラはすぐに知ることになろう。
そのとんでもない男と普通に会話を交わしているダンカンに対しても、一目置くようになるだろう。
サラの心が開かれたところで、ダンカンとビーネは彼女の心に楔を打ち込んだ。
「イエーグ北の蜥蜴族殲滅作戦」という嘘の書類を彼女の前に並べることによって。
サラをパニックに陥らせ、彼女にイエーグを裏切らせるために。
「サラ、私のことが嫌いになった?」
「いえ、そんなことはないです。だってビーネの生い立ちだって」
「それは言わないで」
一瞬顔をしかめるビーネに、サラは申し訳なさそうに笑いかけた。
サラはビーネがイエーグ北の出身とは聞いていたが、彼女たちはビーネが生まれ育った村に立ち寄ることなく、国境付近で領主の首を抱えたダンカンと合流すると、クリーグの王都ミリタントに戻っていった。
そんな村など、どこにも存在していなかったかのように。
「それじゃヴィーネウスさま、サラの代金、金貨六十枚ね」
ログウェル卿に領主の首を売っぱらった代金から、ビーネはサラの代金をヴィーネウスに支払った。
「ああ、それで売ってやる、それからこれはおまけだ」
「相変わらず素敵な人ね」
「ふん」
無造作にビーネの前へと放り投げられたのは、取得するのに金貨六十枚が必要な、サラのクリーグ納税証だった。
その後、サラはビーネとともに、ダンカンが始めた傭兵団の団舎横で居酒屋を始めた。
サラが情報を集め、ビーネがそれを分析、活用し、ダンカンたちが稼いでくる。
こうして後に大陸全土の暗部にその名を轟かせる「路地裏の女帝」が、2人の女性によって誕生した。




