残った名声
その日から青年の猛アタックが開始された。
開店から連射花火亭にやってきた青年の元に、アリアがいつものように注文取りに行く。
「いらっしゃいませ! 何にします?」
すると青年はあろうことかこんな注文を口にした。
「君が欲しい」
その日、青年は店の女主人に追っ払われた。
翌日は開店前の店先に青年は両腕いっぱいの花束を抱え、アリアを待っていた。
そうして出勤してきたアリアに花束を差し出した。
「店のお客になる前に、渡したかったんだ」
そんな花束をアリアも素直に喜んだ。
「ありがとう! 店に飾らせてもらうね!」
次の日は女主人に追い出されないように言葉を選びながら、注文の品を運んできたアリアに自己紹介をした。
「僕はテッドっていうんだ」
「へえ、私はね」
「知ってるさ。アリアちゃんだろ?」
「えへへ」
こうして何度も店に足を運び、アリアと会話を重ねていったテッドは、ある日こう切り出した。
「ねえアリア。僕と一緒に、西に行かないか?」
「西?」
「うん」
さらにその数日後のこと。
「アリア、僕には君しか見えない。君しか目に入らないんだ!」
積極的に口説いてくるテッドに、アリアは申し訳なさそうにうつむいた。
「わたし、実はバツイチなの」
「そんなの関係ないよ!」
「そう言ってくれるの? うれしい!」
アリアがころりと落ちた瞬間である。
◇
その日の晩、アリアが居候している隠れ家でのこと。
アリアは研究机で調べ物をしているヴィーネウスの背後でかしこまった。
「ヴィズさま、これまでお世話になりました」
ところがヴィーネウスはアリアに見向きもしない。
「はいよ」
「あの、それだけですか?」
アリアの問いかけに不思議そうな表情でヴィーネウスは振り向いた。
「ん? ほかに何か言ってもらいたいのか?」
「いえ、別にいいですけれど」
いいわ。
ヴィズさまなんかもう知らない。
私はテッドと西で幸せになるんだから。
ということで、アリアはテッドと二人で、西に向かったのである。
クリーグの西。
そう、狙撃の国「イエーグ」へと。
◇
数日ののち、ウルフェが血相を変えてビーネの元に訪れた。
「ビーネ、アリアはどうした!」
真剣なまなざしで問いかけるウルフェとは対象的に、ビーネは何を慌てているのかしらといった落ち着いた風情。
「アリアならイエーグへお嫁に行ったわよ。それがどうかしたの? ウルフェ」
「実は気になる情報が入ってきているのだ!」
ウルフェ、つまりクリーグ軍総司令官ログウェル卿の元に入った情報。
それは、西の隣国イエーグが最近新型の弓を開発したというものだ。
「あー、それはきっとアリアの糸ね」
と、ビーネは他人事のようにコロコロと笑っている。
「笑い事ではない。それが事実ならば我が国とイエーグとの戦力バランスが崩れるかもしれないのだぞ!」
しかし、鬼のような形相のウルフェをからかうように、ビーネは微笑み続けている。
「ウルフェ、貴方たちは私の夫とヴィーネウスさまを舐めすぎよ。それから、貴方の主人に、もう少し情報網を整備したほうがよろしいわとお伝えなさいな」
続くビーネからの説明にウルフェは唖然とし、続けて頭を左右に振りながらため息をつくと、彼女はビーネに無礼を詫び、屋敷へと帰っていった。
◇
イエーグは空前の盛り上がりを見せていた。
なぜならば、行き詰ったと諦められていた弓の性能が一気に向上したからだ。
弓兵中心のイエーグにとって、弓の性能が向上することは、そのまま国力の向上に直結する。
そして現在彼らが手にした弓は、新進気鋭の弓職人テッドが未知の糸をもって完成させた新型。
その弓はそれまで使われていた蔓で編まれた糸ではなく、一本のごくごく細く、それでいながら信じられないほどの強靭な糸を弦としている。
一本のまっすぐな糸は、矢の直進性を向上させる。
強靭な糸は、そのすさまじい反発力によって、矢の威力を倍増させる。
まさに夢のような弓であった。
テッドが弓の本体を制作し、そこにアリアが自身の糸を張っていく。
弓の評判は瞬く間にイエーグ王家にも伝わり、テッド渾身の大弓が王家に献上された。
その威力はそれまでの弓の常識をはるかに凌駕するものであり、当然のようにテッドとアリアは王家に謁見する名誉を与えられた。
王家に万一の失礼もないようにと、テッドはそれまでに稼いだ財産をつぎ込んで、自身と妻のアリアを着飾った。
テッドとアリアは王家の広間に通され、文官の宣言により謁見が開始される。
「イエーグ臣民。平原族のテッドと申します」
続けて妻の挨拶が続く。
「私は蜘蛛族のアリアオネ。皆にはアリアと呼んでいただいております!」
アリアの可愛らしい挨拶に広間は一瞬ざわめくが、すぐに冷たく静まっていく。
周りからの視線に気づいたテッドは、アリアのあまりの可愛らしさに失念していた事実を思い出し、しまったと後悔する。
しかし後の祭りだった。
その直後、アリアは数人の衛兵に捕縛され、城外へと叩き出されてしまったのだ。
イエーグ。
この国は、平原族の国なのだ。
この国の常識においては、蟲獣種などという下賤な種族が王城に立ち入るなど、決してあってはならないことなのである。
◇
すすり泣きが聞こえてくる。
「開いているぞ」
すると、扉がゆっくりと開き、人の気配が一人分だけ伝わってきた。
「なんだ、亭主は一緒じゃないのか」
アリアがイエーグから帰ってくるであろうことは予想していた通りだが、これだけはヴィーネウスにも判断がつかなかった。
アリアがテッドと共に、ミリタントへと帰ってくるのかどうかだけは。
ヴィーネウスは玄関に向かうと、そこに立ちすくむ蜘蛛娘の頭に、そっとタオルをかけてやった。
◇
テッドがイエーグの武器職人であろうということは、彼がアリアの糸をまじまじと見つめていたという若手どもからの報告を不審に思ったダンカンが、とっくに調べ上げていた。
しかしテッドがクリーグに来た目的がわからない。
なのでダンカンはウルフェの主であり軍の総司令官であるログウェル卿にはあえて伝えず、テッドを泳がせていたのだ。
その後テッドがアリアを口説き始めたことにより、ダンカンは確信を得た。
テッドはクリーグに技術を盗みに来たのだと。
「アリアには可哀想なことをしたが、お前の言うとおりだったなヴィーネウス」
「仕方がないさ。あの時はアリアを止めても無駄だったろうしな」
いつもの個室で、ヴィーネウスとダンカンはいつもよりも少しつまらなさげに杯をあおっていた。
「で、弓の方は大丈夫なのか?」
「それこそログウェル卿の情報網に、そろそろ引っかかっているころだろうよ」
テッドがアリアの糸で強力な弓を制作するという試みは間違いなく成功する。
それはヴィーネウスもダンカンも当然のごとく予測していた。
恐らくここまではログウェル卿とウルフェも予測したのだろう。
だからこそウルフェはあわててビーネの元にやってきたのだ。
しかしヴィーネウスはその顛末がどうなるかということまで予測していた。
そして実際にそうなったのだ。
テッドはイエーグ王家に迫られたのである。
蟲獣種などとの婚姻は認めぬ。
アリアを、糸紡ぎ奴隷として王家に供出せよと。
しかし、これだけはヴィーネウスにも判断がつかなかった。
テッドがアリアをどう扱うかということだけは。
彼は他人のことなど、基本的にはどうでもいい。
しかし今回ばかりは、ヴィーネウスは祈った。
二人でクリーグに戻って来い。
お花畑のままで戻ってこいと。
しかしテッドはアリアを王家に供出する方を選んでしまった。
「で、テッドはどうした?」
「食べちゃったわ」
続くアリアの号泣を、ヴィーネウスはやさしく胸で受け止めてやる。
そうか、残念だったな。
◇
「それで、弓の方は本当に問題ないのか?」
「あなたも心配性ね。それならこれで納得できるかしら。アリア、いらっしゃい」
「はーい」
ウルフェとビーネが陣取っている個室に、すっかり立ち直ったアリアが顔を出した。
「アリア、この箸に糸を結んでみてくれる?」
「はーい」
アリアはビーネに言われるがままに糸をこしらえ、箸を結んで見せる。
糸を結んだ箸をアリアから受け取ると、ビーネはそれをウルフェの前に置きなおした。
「ウルフェ、貴方にこの結び目が解ける?」
「……。無理だな」
「ならば糸を切れる?」
挑戦的にほほ笑むビーネに、ウルフェは無表情で首を左右に振った。
「愚問だ」
蜘蛛族が操る蜘蛛糸は彼女たちにしか扱うことはできない。
「なら、イエーグに残された弓がどうなるかもわかるでしょ」
「ああ、主に報告しておく」
テッドの弓が最強の弓ともてはやされたのは、つかの間だけであった。
なぜなら、糸の張力に耐え切れず、本体がしばらくすると折れてしまったからだ。
しかも糸は解けない。
糸を切ろうにもその強靭さのために切ることができない。
つまり、糸を新しい弓に張りなおすことができないのだ。
こうしてイエーグでは、テッドの弓は「無用の長物」を示す比喩となった。
テッドはある意味幸せだったのかもしれない。
己の名声が地に堕ちることを知る前に、一度は愛した女にその身を喰われたのだから。
ふん。
ヴィーネウスは天井にぶら下がる小さな蜘蛛を眺めながら、一度だけ鼻を鳴らした。




