表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/86

樹上の思い出

 そこは少年にとって、唯一の癒しの場所だった。


 彼は午前中に行われる座学と、午後に行われる教練の合間に唯一与えられる自由時間を、王都を見渡せるその場所で一人過ごしていた。

 夏は毛虫どもと戦い、秋はまとわりつく落葉を払い、冬は寒さに凍えながらも必ず彼はその場所に腰掛け、弁当のサンドウィッチを口にした。

 あるいは悔しさに唇を噛みながら、あるいはつらさに涙を我慢しながら、あるいは己に課せられた運命を呪いながら。


 そんな彼に対し、彼が愛する大木は、春が来ると数日間だけ、彼が腰かける枝を包み込むようにピンク色の花を満面に開かせた。

 まるで彼に「今年もよろしくね」と微笑みかけるように。

 日々の出来事なんて些末なことだからと、励ましてくれているように。

 

 ある年のこと。

 彼は待ちに待ったピンク色の花に包まれながら、空を見上げていた。

 ところがいつものように腰掛け、身を預けていたいつもの枝が、不意にぽきりと折れてしまう。

 

「あ、気が付いた? ごめんね」


 彼が落下の衝撃から意識を取り戻したとき、彼の目にピンク色の瞳が飛び込んできた。

 それは申し訳なさそうで、今にも泣きそうな瞳だった。

 しかしそれはすぐに安堵の色に変わっていく。

 

「あれ、君は誰?」


 少年は木から落下した事実も忘れ、目の前の少女に無意識のうちに名を尋ねた。

 ところが、次に少年の目に飛び込んだのは少女が見せる申し訳なさそうな表情。


「ごめんね」


 二度目のお詫びとともに、少年の唇に柔らかなものが触れ、続けて彼の意識はそのままうっすらとカーテンを引いていった。


 次に目覚めたとき、彼は木の根元でピンク色の花びらに包まれながらあおむけになっていた。

 木から落下した記憶はある。

 ところが痛みはどこにも感じない。


 彼は慌てて立ち上がると、午後の教練に遅れないようにと、城へと駆けだした。

 痛みがない理由を思い、唇に残る感触を思い、彼の目に焼き付けられたピンク色の瞳を想いながら。


 彼はその後も毎日のように木に登り、季節を過ごした。

 口惜しさ、つらさ、呪い。

 それはいつものこと。

 だけど彼の心にはもう一つだけ、心の隅で小さな望みがいつも笑っている。

 

「また会いたいな」


 しかし彼の望みが叶うことはなかった。

 いつしか午前の座学は執務(しつむ)に変わり、午後の教練は謁見(えっけん)に変わっていった。

 こうして彼は、大好きな木に登る時間さえも自由に得ることが叶わなくなってしまった。

 


「あれ?」

「どうした? アリア」


 ここは戦士の国クリーグの王都ミリタント。

 ヴィーネウスは、押しかけ居候のアリアを連れて、市民街よりも贅沢な物品を扱っている王城下の市場街に来ていた。

 

 最初は物珍し気に露店や店に並ぶ品物にちょっかいを出していたアリアであったが、そのうちすぐに飽きてしまった様子で、ヴィーネウスの買い物に付き合いながら、目線を遠目に送って王城やらを眺めている。


「ねえヴィズさま、あの木にいるわ」

「ん?」


 アリアに袖を引っ張られたヴィーネウスは、彼女が指さす古木に目をやり、感覚を集中させてみる。


「おや?」

「ね、いるでしょ?」

「ああ、よく気付いたな」

「そりゃあね。私たちとあの子たちって、ある意味共生関係だからさ」


 アリアが気付いた存在はヴィーネウスにも確認できた。

 しかしそれは「だから何だ」という存在である。


「それでね……」

 アリアはまだ何か言いたそうだったが、買い物を終えたヴィーネウスがそれをさえぎる。

「それより帰るぞ、アリア。別についてこなくてもいいがな」

「ヴィズさまの意地悪!」


 さっさと背を向けたヴィーネウスに悪態をつきながら、アリアは彼の背を追いかけて行った。

 ときおり先ほどの気配を振り返りながら。



 先王は病に伏せていた。

 王家付きの魔術師がどれだけ治癒(ヒール)を唱えてみても、症状の回復は全く見られない。


「もういい、貴様の消耗の方が心配だ」

 先王は肩で息をしている魔術師をねぎらうと、この場所から退出するように促してやる。


「申し訳ございません」

 魔術師は力の至らなさを恥じるような様子と、この場から解放される安堵で歪み切った表情のまま、先王の寝所から退出することを許された。

 

「あやつが論じていた通りか」


 先王は前の王家付き魔術師が彼に教授した「魂の消耗」について思い出していた。

 同時に彼が残した言葉も。

 

「死は確実にやってくるのです。ならばこそ常にご準備を」


 そう言い残し、引退していった魔術師を思い出しながら、彼は自身を振り返る。


 問題ない。

 わしが今、死しても問題ない。

 国内も国外もなんら問題ない。

 そう、問題ないのだ。

 問題ない。

 

 ……。

 

 彼は不意に数十年前のことを思い出した。


 忘れようとし、無理やり忘れていたことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ