掘り出された理想郷
男は確かに、この辺りで強い意志を感じた。
男は己の感覚に従い、感じるがままに瓦礫を掘り起こしていく。
少女は突如、闇から光の下に晒された。
同時に彼女の意識を奪った全身の痛みが、再び彼女に襲いかかる。
「おい、生きたいのか?」
少女は突然に問いかけられた。
彼女の意識は朦朧としていた。
それでも答える。
ただただ彼女の純粋な願いを、焼けた全身から絞り出すように。
「私は知りたいの」
「何を?」
繰り返された男の問いに少女は消え入りそうな声で答える。
「何でもいいの」
上玉だ。
男は全身が醜く焼けただれ、今にも命が途絶えそうな少女を瓦礫の中から抱きかかえると、彼女の耳元でこう囁いた。
「お前を俺に売れ」
少女はいつものように笑顔を作ろうと、火傷で引きつった顔をわずかに歪ませた。
「知識をくださるのなら、何でもするわ、お客さま」
男は薄笑いを浮かべながら、少女に治癒を唱えてやる。
すると同時に少女の全身から痛みが引き、醜い火傷がたちまちのうちに消え、美しい肌がよみがえっていく。
「予想はしていたが、それ以上の上玉だったな。中身もみてくれもな」
男は満足すると、少女を立たせ、その手を握る。
少女はそれが彼女の運命であるかのように、男の手を握り返した。
ごく自然に、何の疑念も持たないままに。
男は何事もなかったように、少女の手を引くと、今来た道を戻りだした。
途中で男と少女の気配に気づいたのであろうか、生き残りらしい者たちの、うめき声にも似た嘆願の声が男と少女の耳へとわずかに届いた。
「助けて……」
「助けてくれ……」
しかし男は動じない。
男が動じない理由。
それは呻いている連中に何の興味もないからだ。
しかし少女は耳を傾け、足を止めてしまう。
やれやれとばかりに男も少女に合わせて足を止めた。
埋もれている連中を助けない理由を、少女に対しどう説明しようかと思案した時、彼女は意外なことを男に尋ねてきた。
「ねえお客さま、助けてってどういう意味なの?」
少女からの、あまりに素朴な質問に、男はつい噴き出してしまう。
助けられたことのない少女が、助けることなど知る由もなかったのだ。
「戻ったら教えてやる。今は俺の言うことを聞け」
「わかったわ。楽しみにしています、お客さま」
そのまま二人は呻き声を村に捨て置き、男が森に隠しておいた馬車へと戻っていった。
◇
馬車の御者台でとりとめのない会話が続く。
「お前、名前はあるのか?」
「名前?」
男からの質問に少女は不思議そうに小首をかしげた。
その魔性すら感じさせる可愛らしい仕草に男は感心しながら、質問を変えた。
「お前は他人から何と呼ばれていた?」
今度は少女にも質問の趣旨が伝わった。
「訪れるお客さまは、私のことをシャングリ・ラと呼んでおりました」
「ふん、理想郷か、辺境の村にしてはたいそうなもんだ」
「理想郷?」
少女の質問には答えず、男は嫌らしい笑みを浮かべた。
「ある意味お前は、男どもにとっての理想郷だったのかもしれないな」
男の皮肉は少女には伝わらず、彼女は楽しそうにほほ笑んだ。
「知らない言葉がたくさん出てきます」
「楽しいか?」
「楽しいわ」
そんな会話を交わしながら、少女は男の隠れ家へと連れ込まれていった。
◇
男との生活は、少女にとって、まさに理想郷であった。
男は彼女の疑問にすべて答えてくれた。
後に少女が高価だと知ることになる書物も、男は彼女に惜しげもなく与えてくれた。
村人に仕込まれた少女の稚拙な性技は、男によって上品な房中術へと仕上げられた。
その行為すら、少女の知識欲を満たしてくれる、男から彼女への贈り物になった。
そうしていつしか少女は、ごくごく自然に、とある感情を自ら学ぶことになる。
◇
半年があっという間に過ぎていった。
「リラ、お前を売っぱらう時が来たようだ」
「わかっております。今までありがとうございました」
男と、リラと呼ばれた少女はフードをかぶり、男の隠れ家から夜の市民街を抜け、貴族街へと向かっていく。
とある豪奢な館の門前で、門番は当然の責務とばかりに、二人の歩みを妨げた。
「誰だ」
「誰でもいい、お前の主人に、注文の品をお届けに来たとだけ伝えろ」
フードから覗く男からの刺すような視線と、彼が発した言葉の難解さに、門番は自ら判断するのをやめ、慌てて屋敷へと駆けていった。
「おお、この少女が貴様の言っていた、知識を求める者か」
初老の主人が二人を屋敷に招き入れた。
「仕込みは十分だ。何ならここで今試してみるか?」
無礼にもフードをかぶったままの男に、主人はにやりと笑みを返す。
「貴様の仕事を疑う者はこの街にはおらんよ。まあ、貴様の仕事を知る者もほとんどおらんがな」
続けて初老の主人は少女に目をやった。
「リラといったか? わしはバルト・ローゼンベルクという。お前は今からリラではなく、わしの養女 リルラージュ・ローゼンベルクとなる。心得ておるな?」
「はい、心得ております」
改めてリルラージュと名付けられた彼女は、バルトに見事な宮廷儀礼を披露して見せた。
満足げな表情のバルトから対価を受け取ると、男は最後にリラの耳元で囁いた。
「これでお前は自由だ。俺からはな」
「心得ております。ヴィーネウスさま」
少女からヴィーネウスと呼ばれた男は、そのまま屋敷を後にした。
少女の身がこの後どうなろうが、彼にとっては関係のないこと。
このままバルトの愛妾となるのか。
政略結婚の駒として、どこかへと嫁に出されるのか。
それとも……。
ヴィーネウスは自らが想像してしまったありえない彼女の人生に思わず鼻を鳴らしてしまう。
いや、リラならば存外それもあるか。
彼は自らの馬鹿げた妄想に楽しくなってくる。
ここから先は少女自身の人生。
だから最後に彼は少女に向けてこう呟いた。
「よき人生を、グッドラック リラ」
◇
ここは貴族の豪奢な部屋。
求めるがままに知識を与えられた少女は、これからもそうしていくだろう。
その身に何が起きようとも。
それが彼女の目的だから。
生きる意味だから。
だから彼女も別れを告げた。
初めて自ら学んだ感情を静かに吐き出しながら。
「ありがとう、ヴィーネウス。愛していたわ、女衒ヴィーネウス」