むさぼられる者
そして三か月が過ぎた。
指定された日に、男は金貨二百枚を携えて、娘を引き取りに来た。
娘の可愛らしい容姿に思わず男は魅入ってしまう。
「蟲獣蜘蛛族の娘だ。能力はあんたの注文通りだよ」
そっけないヴィーネウスからの説明も、娘に魅入る男の耳には入ってこない。
「こんなにも美しい存在だったのか」
「なんだ、それが目的ではなかったのか?」
ヴィーネウスの皮肉にも似た疑問にも、娘に見惚れた男は気づかない。
「その娘で文句はないな?」
ヴィーネウスの確認に男は何度も頷いた。
「当然だ!」
男は嬉々としてヴィーネウスの隠れ家を後にし、娘は名残惜しそうな表情を見せるも、ヴィーネウスがしゃくる顎に追い出されるかのように、男の後を追った。
◇
数か月後、男と娘は、ザーヴェルのとある迷宮の前に立っていた。
知識を求め、この迷宮に挑んだ者は数知れず。
しかし、戻ってきた者は一人もいない。
ならばこそ高度な知識が眠っているはずの迷宮として期待が持てる。
まもなく「知識の探求」の提出期限を迎える貴族は、この迷宮攻略のために、金に糸目とつけず男を雇い、男はその金の一部で娘を用意したのだ。
蜘蛛族の能力を最大限に利用するために。
「説明したとおりだ。行くぞ」
「はい、ご主人さま」
女はそう頷くと、自らの指先から極々細い糸を紡ぎだし、その一端を迷宮の入り口に結んだのである。
◇
男の作戦は成功した。
迷宮の最奥で巻物を発見した男は、女が紡いだ糸をたどり、二人で出口に向かっていく。
帰りの迷宮は常にいくつかの分岐が広がり、探索者を惑わしてしまう。
安易な目印は迷宮内の虫や小動物たちが、その痕跡を消してしまう。
だが、女の紡いだ糸が切れることはなかった。
その目にも見えぬ細さからは想像できぬ強度を誇ることによって。
迷宮の中を戻りながら男は娘に愛を囁いた。
「これで俺たちは大金持ちだ、帰ったらじっくりと愛してやるからな」
「うれしいわ、ご主人さま。ずっとおそばにおいてくださいね」
「当然だ。これからは豪奢なベッドで毎晩可愛がってやるぞ」
迷宮の中で、男と娘は他愛のない夢を語り、幸せを語り合い続けた。
娘は幸せだった。
あのとき、ヴィーネウスの誘いに乗ってよかったと、娘は心の底から想った。
娘を恐れることなく、そっけなく誘ってきたヴィーネウスを信じてよかったと。
しかし娘の幸せは数日で終焉を迎えた。
男が持ち帰った知識はここ数十年で最高の知識だったのだ。
知識を王家に捧げた貴族は、その成果を評価され、彼の長子に対し、王家に連なる娘を妻として迎える栄誉を賜ることになった。
王家の一員となった貴族は、この有能な探索者を一族に加えるべく、彼の末娘を男に嫁がせることにしたのだ。
平民が一気に上流貴族入りと、目の前に「ザーヴェリアン・ドリーム」が開かれた男は、狂喜しながらそれを受け入れた。
つまり蜘蛛族の娘は、男にとって恋人から邪魔者へと変貌したのである。
娘が待つ宿屋に戻った男は、彼女に向かってこう言い放った。
「おい奴隷女。今すぐお前を解放してやるから、即刻この場から姿を消せ」
娘は男に向かって涙を流しながら、願いを一つ申し出た。
「もう一度だけ、私を抱いてください」と。
男はこれで最後とばかりに、涙を流す娘の身体を容赦なくむさぼり始めた。
◇
冷たい雨が降りしきる夜。
隠れ家の扉から隠そうともしない気配が伝わってくる。
「扉は開いている、入ってきたらどうだ? アリア」
扉の外では、黄色の薄絹をまとった娘が涙で目を腫らしながら凍えていた。
◇
「いよいよ化物屋敷と化してきたわね、この酒場も」
「お前が言うなサキュビー。おいアリア、とりあえずビールを二つだ」
「はーい」
店に新たな可愛らしい声が響き渡る。
連射花火亭で、ヴィーネウスはすっかりクリーグの顔役となった夢魔にアリアを紹介するため、彼女を誘ったのだ。
すぐにアリアはジョッキを二つ抱え、ヴィーネウスたちの席にやってくる。
「お待たせしました!」
「はい、ありがとね。 ところであなた、経緯は聞いたけれど、落とし前はつけてきたの?」
するとアリアは少しだけさみしげな表情を浮かべながらサキュビーに答えた。
「ええ、最後に女郎蜘蛛として、抱いていただきました」
「そう。それで今はどうしているの?」
するとアリアの表情は一転して明るさを取り戻す。
「ヴィーネウスさまのところに置いていただいています!」
アリアからの明るい返事にサキュビーはヴィーネウスを無言で睨みつけた。
サキュビーからの殺気を感じたヴィーネウスは、首をぶんぶんと左右に振っている。
「部屋が決まるまでの居候だ! 誤解を招くようなことを言うな!」
「そうね、私たちは大事な商品だものね、女衒さ・ま」
サキュビーのおどけたような口調に、酒場は笑いに包まれた。
◇
宿屋の一室ですっかりと干からびた姿で発見された男は、「迷宮の呪い」の一言で片づけられ、誰も悲しむことなく、平民の墓地に打ち捨てられるように埋葬されたという。