女狼からの依頼
ここはクリーグ王都ミリタントの、それなりに高級な酒場。
一仕事を終えた後、この店でヴィンテージのボトルを開封し、一人楽しむのが彼の習慣。
ところが今日は、思わぬ邪魔が入った。
「ご無沙汰しております、ヴィーネウスさま」
無邪気にすっと切り裂くような、幼子が扱う剃刀を思わせる声。
ヴィーネウスは、年代物の酒を一人楽しむよりも、声の主との会話を楽しむのを優先することにした。
「今をときめく、クリーグ国軍総司令官直属部隊サムライハウンドの隊長殿が、いったい何の用ですかな?」
ヴィーネウスの、わざと慇懃無礼に振る舞う意地悪な表現も気にせず、目の前に立つ女性は微笑んでいる。
「おかげさまで、司令官の犬っころという素敵な愛称も、主人の政敵らしい皆さまからいただいておりますけどね」
……。
「息災そうで何よりだな」
「ええ、あなたから受けた辱めなんか気にならなくなるほどには」
……。
二人はどちらともなく噴き出した。
ひとしきり笑った後、ヴィーネウスは彼女に彼の前の席に座るように促し、彼女のグラスにボトルを傾けてやる。
「いけるだろ?」
「ええ、いただくわ」
二人は久しぶりの再会に、互いのグラスを「かちん」と鳴らした。
ひとしきり琥珀色を二人で楽しんだ後、ヴィーネウスは目の前の女性に笑いかける。
「で、何の用だ? ウルフェ」
「なんだと思う?」
甘えるような声でヴィーネウスを焦らしたウルフェに彼はこう切り返した。
「お前、試しにその焦らすような物言いを部下の前で吐いてきてみな」
「意地悪ね」
再び二人で笑いあう。
「で?」
「実はお願いがあるの」
ウルフェが言うには近々、とある名門貴族からヴィーネウスのところに、希少種の注文が入るのだという。
「それでね、商品をこの種にして欲しいのよ」
ウルフェがさらっと流した種族名にヴィーネウスは思わず眉をひそめてしまう。
「お前、頭は大丈夫か?」
「問題ないわ」
怪訝そうな表情のヴィーネウスにもウルフェはけろっとしたものである。
ふん。
これはまた強烈なのを指名してきたな。
「この指名はお前が言っていた目的のためか?」
「いいえ、主人のためよ」
「何を考えている?」
真剣なまなざしとなったヴィーネウスに、ウルフェも真剣なまなざしを返した。
「私は猟犬。獲物を追い詰めるのが私の仕事。止めを刺すのは私の役目ではないわ」
そういうことか。
「報酬は?」
「金貨五十枚。もしくは今夜一晩の私ではいかが?」
「どちらも魅力的だが、ここは司令官殿に遠慮をしておくとしよう」
「あら、残念」
「心にもないことを言うな。それじゃあ俺は帰る。どうせこの後ビーネと飲むんだろ? ボトルはくれてやる」
「ありがとね。それではお仕事もよろしく、女衒ヴィーネウスさま」
ヴィーネウスはにやりと笑うと、金貨の小袋をウルフェから受け取り、隠れ家に帰って行った。
数日後、ウルフェの情報通り、名門貴族の使いがヴィーネウスの隠れ家に訪れた。
「よくこの場所が分かったな」
「とある方の紹介でして」
不安そうな表情を隠さない使いの者を椅子に座らせると、ヴィーネウスは注文内容を確認するかのように、使いの目を睨みつける。
「注文内容は希少種、性癖は嗜虐傾向、これでいいのだな?」
「ええ、希少種ならば個体までは指定いたしません。後はあくまでも主人からの伝言ですが、商品品質は、ヴィーネウス殿のプライドを信用するとのことです」
恐る恐る言葉を続ける使いの者を睨みつけながら、ヴィーネウスも答えた。
「ふん、小賢しいことを言ってくれる。まあいい、価格は最低金貨二百枚。実際の金額はあんたの主人が自身のプライドで決めてくれればいい」
「かしこまりました。主人に確かにそうお伝えいたします」
緊張した表情のまま隠れ家を後にした使いの背を一瞥すると、ヴィーネウスは旅の支度にとりかかり始めた。
その数日後、ヴィーネウスはクリーグの南西に広がる中央渓谷のふもとを捜索していた。
この辺りは背の高い草と灌木が広がり、様々な虫たちが生を謳歌している。
自らの感覚に従いながらヴィーネウスは歩を進めていく。
すると、しばらくの後、彼の視界は木と草で建てられた屋敷を捉えた。
屋敷は木製の柵でぐるりと取り囲まれ、入口らしきところは焼物を重ねたような屋根を掲げた両開きの門になっている。
辺りに人の気配はない。
屋敷の中央からヴィーネウスの感覚を刺激する気配以外には。
ヴィーネウスは無造作に門を押しあけると、屋敷の中に足を踏み入れて行った。