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みなものまどか 水面の円

 こいつはやっかいだな。

 

 さて、どうしたものかとヴィーネウスは考え込んでしまった。

 相手は水の魔物。

 こうやって水と同化されてしまうと、退治するならともかく、無傷で連れ帰ることは非常に難しい。

 

 そうしている間にも、紫の水面はいつの間にか漆黒に染まり、陸と川の境目さかいめは、等しく闇に溶けていく。

 

「聞こえるか、セイレーン」

 ヴィーネウスは、ほんの少しの気配を感じながら、独り言をつむぐように水面に語りかけた。

 

「お前、もう歌わなくていいのか?」

 すると動揺するかのように、一瞬川面に小さな円が広がった。

 

「歌わないお前に存在理由があるのか?」

 ヴィーネウスから続く問いかけに、川面が円を次々と描き出していく。


「思う存分歌わせてやるから姿を現せ、セイレーン」

 すると不意に水面が持ち上がり、セイレーンがその顔だけをヴィーネウスに向けた。

 

「私はこの川から出ることはできないの。ご主人さまがここで命を落としてしまったから。私を落としてしまったから」


「わかっているさ。だからほら、お前をこいつに改めて召喚してやる」


 ヴィーネウスがてのひらに乗せ、セイレーンに差し出したのは大粒の水珠(すいじゅ)

 このたまには、水の魔物が珠の中で存在を維持するのに十分な水の魔力が蓄えられている。


「いいの?」

「いいさ。それじゃ、心を開け」


 ヴィーネウスはセイレーンの意思を彼の意識にとらえると、その存在を(てのひら)の水珠に送り込んでいく。

 

 ぱきん。

 

 セイレーンの存在がヴィーネウスの手にある水珠に完全に取り込まれた瞬間に、岩礁の下から、小さな石が砕け散るような音が響いた。


 

「お疲れさま、ヴィーネウス」

「必要経費を代金に乗せるからな。水珠代込みで金貨二百五十枚だ」

「高いわね」

 目の前の女性が少女のように口を尖らせ、おどけて見せる。

 そのからかうような様子に、ヴィーネウスは文句の一つも言いたくなる。


「ならば直接お前が行けばよかっただろう」

「まさか。女は口説かれるのに弱いものなのよ、私みたいにね」


 ここは王都ミリタント南の森に建てられた屋敷。

 今では「終末の楽園」と名付けられた施設である。

 

 椅子には流れるような赤い髪をすらりと伸ばし、同じく深紅に輝く瞳と瑠璃色の唇を持った女性が白衣をまとい、脚を組んで腰かけている。

 よく見れば彼女の唇からは二本の牙が小さく覗いている。

 しかしそれは彼女の美しさを邪魔するものではなく、さらに彼女の妖艶さを引き立てる。


 反対側ではヴィーネウスがソファに身体を沈みこませている。


「それじゃあ召喚するぞ」

 ヴィーネウスが呪文を唱えると、彼の掌に乗せられた水珠からうっすらと蒸気が漂い、人の形を成していく。

 

「こいつがセイレーンだ。考えようによっては、お前の姉妹みたいなもんだな」

「うふふ」


 赤髪の女性は、ヴィーネウスの軽口を微笑みであしらうと、目の前に現れた青髪の女性に、あらかじめ用意していた下着と衣装を手渡してやる。

 

「はじめまして、セイレーン、今日からあなたは私のお手伝いをするのよ。とりあえずはそれを着てくれる?」


 事情が飲み込めないセイレーンだが、目の前の女性から、ただならぬ魔力を感じ取った彼女は、言われるがままに用意された衣装を下着から身につけていく。

 まもなく、青髪の看護師(ナース)がそこに姿を現した。


 ふん。

 

 その姿を一瞥した後、ヴィーネウスはローテーブルに置かれた金貨袋を掴み上げ、そのまま屋敷を後にしてしまう。


「終末の楽園」

 それは「魂の消耗」と「破滅の暴走」の仕組みを解明した老魔術師が建立した介護院(ホスピス)である。


 懸命に生を営んだ末に、擦り切れた魂を無に帰すがごとく穏やかな死を自らの意思で迎えようとする者たち。

 あるいは暴走する自らの肉体すら、己自身だと受け入れ、慈しむ者たち。

 こうした者たちが最期の安らぎを得る場所として、この屋敷は建立された。

 

 介護院の広間では、今日も優しく温かな歌声が響いている。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだか、セイレーンの使い方、すごい好きです。 女衒って感じがしない良い奴? 盗賊ガブヒヒしてる感じがしない。清らかな感じが好きです
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