それはあたかも童話のように
ほのぼのとした血まみれ作業を、街道横の石に腰かけ眺めながら、ダンカンはヴィーネウスに小声で尋ねた。
「なあヴィーネウス、あの娘はどこに売り飛ばすんだ?」
「知りたいか?」
「教えてもらえるものならな」
ダンカンの声には、かすかに震えが混じっている。
ふん。
こりゃあマジかなとヴィーネウスはいつものように鼻を鳴らしながら、ダンカンに言葉を続けた。
「民族同化担当大臣がご所望でな。さすがに建前は種族差別のないクリーグで、大臣自らが自国民のエルフを奴隷にする訳にもいかないだろうってことだ」
「目的は愛玩奴隷か?」
「多分な」
ダンカンはヴィーネウスを睨みつけるようにしながら再び尋ねた。
「ではなぜあの娘を選んだ?」
「あの娘なら、大臣の愛玩奴隷ごときで収まるとは思わなかったからだ」
ヴィーネウスからの、からかいにもとれる返答に、ダンカンは片方の眉毛を上げた。
「ちなみにいくらだ?」
「金貨二百枚」
「銀貨二万枚かよ」
しばらくの沈黙の後、ダンカンが口を開いた。
「なあヴィーネウス、頼みがあるんだ」
◇
無事隠れ家に到着したヴィーネウスとビーネは、三ヶ月間を二人きりで過ごした。
これは商品に付加価値をつけ、商品を顧客の要望どおりに仕上げる期間である。
ヴィーネウスはビーネにまずは教育を施した。
基本の読み書き、四則演算、クリーグの歴史、各種マナーなどを。
それをビーネは、まさに水を吸い込む砂漠のような勢いで吸収していった。
日に一度の散歩も重要である。
ヴィーネウスはビーネを様々な場所に連れて行った。
王城周辺から貴族街、市民街からスラム街までも。
その結果、三か月後には、ビーネは王都の隅々までを知ることになる。
ただ、ビーネには一つだけ疑問があった。
それは、ヴィーネウスがビーネに対し、房中術はもちろんのこと、一切の性的な行為について仕込まなかったこと。
なのでビーネは今でも乙女のままである。
それに加えヴィーネウスはビーネに対し、性関連の書物だけは閲覧を禁じたので、ビーネは夜の知識だけがすっぽりと抜け落ちている。
「ねえヴィーネウス、これって買主の要望なの?」
「さあな」
ビーネの疑問は、いつものようにはぐらかされてしまう。
そして引き渡しの日を迎えた。
「それじゃ行くか」
「なんの感慨もないのね」
「売主が商品にいちいち興味を持ってたまるか」
「あなたらしいわね」
これがヴィーネウスの隠れ家での、二人の最後の会話となる。
そっけないものね。
と、ビーネは不満に思う。
しかし、それ以上に彼女はヴィーネウスに感謝している。
何故なら彼女に様々な知識を授けてくれたのは彼だから。
まずは愛玩奴隷からスタートだけれど、それだけでは済まさないわ。
私の人生は私が決めるのだもの。
そんな風に気負っていたビーネは、密かに伝書馬を手配したヴィーネウスには気付かない。
◇
「おお、期待以上じゃ!」
「どうも」
大臣の私邸で、見事な宮廷儀礼を披露して見せたビーネの姿に、大臣は感嘆している。
一方のビーネは、目の前のソファに沈み込む、脂ぎった肉の塊にげんなりするも、笑顔は崩さない。
同じおっさんでも、こうも違うのね。
ビーネは無意識のうちに、ヴィーネウスと、もう一人の豪快な髭達磨の表情を想い浮かべた。
「それでは約束の金だ」
「確かにいただいた。それでは俺は帰る」
ヴィーネウスはいただくものをいただくと、さっさと帰り支度を始めてしまう。
「それじゃビーネ、またな」
「さようなら、ヴィーネウス」
二人はこうして別れた。
しかし聡いビーネには、ヴィーネウスが発した、ある一言が引っ掛かった。
またな、って?
その晩、大臣宅は何者かに襲撃を受けた。
ところが、賊は大臣の命以外は何も奪わなかったのだ。
少なくとも屋敷詰の執事やメイド、大臣の私兵どもは全員無事だったのである。
大臣の配下たちは、表向きは大臣の死を悲しむも、心の中では自身が助かったことによる安堵と、次に仕える大臣が誰であっても、あの脂ダルマよりは少しはましだろうという期待に、密かに胸を躍らせる。
だからほとんどの者は気づかなかったし、気づいた者も違法な存在に言及することはなかった。
その日大臣邸へと内密に納品された、奴隷エルフの姿が消えたことなど。
◇
ここはそれなりに高級な酒場。
その一角で、ヴィーネウスはお気に入りの酒を楽しんでいた。
するとそこに、顔なじみの男が突っ込んできた。
「ヴィーネウス、今夜は俺のおごりだ!」
「なんだ、やけにご機嫌だな」
「記念日だよ記念日、十回目のな! ああもう面倒くせえ! 今日は全員俺のおごりだ! お前ら、店ごと飲んじまえ!」
ダンカンの豪快な叫びに店内は沸き立つ。
「さすが親分!」
「バカ野郎、団長と呼べ!」
そう小突きあう部下たちの笑い声を合図とするかのように、酒場は明るい喧騒に包まれた。
ああ、もうそんなに年月が経ったのか。
ヴィーネウスは苦笑する。
そういえば、この十年でずいぶん王都の治世も変わったなとも思う。
主に混沌の方へ向ってはいるのだが。
「まったく、いくつになっても馬鹿なんだから、あの人は」
不意にヴィーネウスの隣席に人の気配が訪れた。
「はい、十年物を開けたわよ」
新しいグラスに琥珀色の液体を注ぎながら、女性はヴィーネウスの表情を覗き見ている。
「今日で丸十年。いい加減教えてくれてもいいでしょう。十年前のあのとき、あの人は、あなたに何をお願いしたの?」
ふん。
そろそろいいか。
最近あいつも調子に乗っているからな。
ヴィーネウスはにやりと笑うと、女性の耳元に、人差し指を縦に当てた唇を近づけていく。
十年前のあの日、ダンカンはビーネに一目惚れしてしまった。
種族を超えた恋とでも言おうか。
元々ヴィーネウスも、聡いエルフ娘をクソ大臣にあてがえば面白いことになるだろうと引き受けた話だったので、別に流してしまってもいい商談でもあった。
なので彼はダンカンに「お前がビーネを買うか?」と尋ねた。
だが、ダンカンの答えはヴィーネウスをさらに喜ばせるものであった。
「欲しいものは奪うさ。それに、ここで金を払ったら、俺はビーネを金で買ったことになる。自由恋愛に金など無粋だ。俺は白馬の王子さまになるんだよ」
白馬の王子さまに噴き出したヴィーネウスを尻目に、ダンカンは顔を真っ赤にしながら、ヴィーネウスに頼みこんだのだ。
「頼む、ビーネの純潔をそれまで守ってくれ」と。
ひとしきりひーひーと大笑いしてからヴィーネウスは、ダンカンの頼みに彼の両肩を楽しそうに両手で何度も叩きながら頷いた。
なぜならヴィーネウスは、あの出会いの日、賞金首どもを片づけた後にダンカンの視線から恥ずかしそうに彼の背に隠れたビーネの様子にも気づいていたから。
それがあの日の約束。
ため息をつく女主人。
それを面白そうに眺める客。
「男って馬鹿ね」
「馬鹿に惚れたのはお前だろ」
「違いないわ」
こうして、それなりに高級な酒場である連射花火亭の夜は更けていく。