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プレーローマ

 目を覚ました。

 ずっと前から、瞼は開かれていたようで、灰色の視界がぼんやりと色彩を取り戻すとき特有の浮遊感があった。黄色い光に照らされた天上に、黒い人影が映し出されていた。それは僕の影ではなかった。

 嵐がビル群を駆け抜けるような轟音が潮のように引いていき、しくしくとすすり泣く音が聞こえた。そのすすり泣きに合わせ、天上の影が小さく震えた。

 なにか重大なことを忘れている気がしたが、しかし記憶の残滓は追えば追うほど霧散していった。

 僕はかたわらを見ようと首を動かそうとした。しかし思うように身体を動かすことができなかった。身体の内側からぴきり、と軋む音が聞こえたので無理に身体をひねることをやめた。

「――ごめんなさい……」

 傍らで泣く人はくぐもった声でそう言った。女性の声だった。

「ごめんなさい……」

 僕は腕を伸ばし、彼女の手を取ろうとした。泣いている彼女を励ましたかった。スムーズに腕を動かすことができず、ひどくぎこちない動きになった。手探りで彼女の手をとらえ、その甲に触れた。

 すすり泣き声がやんだ。息をのむ音が聞こえた。

 そのとき、僕の意識が急にはっきりとした。記憶が鮮明に蘇る。

(――イニャ……!)

 僕は、無理やり首を捻った。首はひどく強張っていて、パキパキッという音が石造りの壁に反響した。

(――……!?)

 傍らにいた女性と目が合う。それはイニャではなかった。知らない女性だった。

 今度は僕が息を飲む番だった。なぜなら彼女が人間の女性(・・・・・)であると確信することが難しかったからだ。彼女の顔はあまりに美しかった。

 顔や身体のパーツは全て人間と共通していた。だがそれぞれの大きさや配置が絶妙に人間のそれと異なっていた。人間でも平均より小顔な人、目が大きい人、鼻筋が通っている人はたしかに存在するが、彼女の場合は僅かにその範疇を外れていた。人類が夢見てきたが、すんでのところで手が届かない、そんな美しさを彼女はまとっていた。

「――誰……ですか……?」

 僕は彼女にそう訊ねた。声は無機質に僕の身体の内部を反響した。今まで味わったことのない感覚に僕は戸惑った。

 彼女は涙に濡れる深い緑色の瞳をじっと僕に据えた。まるで夜空を見上げたときのような漠然とした恐怖が僕の心を支配した。畏敬の念を頂くとはこういう事だろう。

「誰ですか……?」

 僕はもう一度、彼女に訊ねた。

 彼女は呆然と僕を見つめていたが、しばらくして、ようやく口を開いた。

「なんで――?」

 怯えたように震える彼女の声は、それでもしかし凛と澄み渡り、まるで楽器のような豊かな残響を残した。



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