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ナイフ

 ある日の夜。その夜は不気味なほど静かだった。僕は不安で眠ることができず、窓辺にたたずみ、ビルが建ち並ぶ景色を眺めていた。

 背後でイニャの穏やかな寝息が聞こえる。その静かな呼吸がますます僕の不安を掻き立てた。

 そしてその不安は的中した。

 明け方近く、ビルとビルの間から、花火がひとつあがった、その花火は竜の形をしていた。

(シオ……?)

 竜は、F1(ファースト・フィラル)の一人であるシオを中心とした劇団(トループ)のシンボルだった。今夜抗争が無かったのは、シオから各劇団(トループ)に何らかの通達があったからに違いない。シオの命令は絶対だ。

 再び花火が上がった。さきほどよりもこちらに近づいている。

(なんだろう?)

 動悸が激しくなる。しかし逃げ出そうとは思わなかった。逃げ出したところでここより安全な場所がある訳では無いし、なによりあの(・・)シオが僕らをターゲットにするとは思えなかった。

 花火はその後も一定の間隔を空けて、夜空に打ち上げられた。彼らは確実にこちらを目指していた。

(ひょっとして報復……?)

 僕は数日前、イニャが手違いで決定的に殺してしまった女の子のことを思い出した。

 しかし――言い方は悪いが――たった一人の女の子が死んだくらいで、シオが大軍を引き連れて報復するなんてことがあるだろうか?それともよほど重要な戦士の一人だったのだろうか?そんな重要な戦士が、ひ弱な女の子に隙を突かれたりするだろうか?

「――私、あの子の紋章みたけど、竜じゃなかった」

 僕は驚いて振り返った。

「イニャ、起きてたの?」

「花火の音でね」

「そっか、そうだよね」

「あの辺ってシオのテリトリー?」

 イニャはバリゲードのあったあたりを指差した。

「違うと思う。シオのテリトリーだって知ってたら近づかないし」

「私たちがターゲットって訳じゃないのかな?」

「そうじゃない?思い過ごしだよ」

 僕はイニャに答えるというよりも、自分自身に言い聞かせるようにそう言った。

 間もなく、シオの軍隊が視認できるようになった。ビル群とビル群を分断する大通りを端から端まで埋め尽くし、のろのろと行進していた。相当な規模だ。

 花火が上がる。近すぎて思わず窓から顔をそむけた。割れた窓ガラスの隙間から、火薬の匂いが侵入してきた。

 やがて軍隊は僕らが身を潜めているビルの正面に到着し、行進をやめた。

「ねえ?本当に私たちじゃない……?」

 イニャは怯えている。それは僕も同じだった。

「どうしよう?とりあえずこのビルは脱出した方がいいかも……」

 僕はそう言うと、急いで窓から離れ、廊下に出る扉に手をかけた……。

「――諦めろ」

 扉は僕が開くよりも先に開いた。そして戸口には大柄な男が立っていた。

「諦めろ」

 男は再び静かな声でそう言った。僕は咄嗟に後退し、かばうようにイニャの前に立った。ホルダーからナイフを取り出し、構える。身体は震えていた。

「俺を殺したところで仕方ないぞ?すでに何十人とこのビルに配置されている」

「こんな大軍引き連れて、僕らをどうしようと言うんですか?シオともあろう人が」

「残念だったな。シオは今日は来ていない。――あれが大軍に見えるのか?」

 男はそう言って窓の外を顎で示した。

「あれは小規模(・・・)な紛争を平定するための分隊のひとつだ。――本隊があんなちっぽけなわけないだろ?」

 男はそう言うとおかしそうに笑った。僕はぎゅっと下唇を噛んだ。

「まあ、とにかく、その女を我々に引き渡せ」

「なぜです?彼女が何をしたと言うのですか?」

「聞くまでもないはずだ。女の子をひとり殺しただろ?あれはシオのお気に入りだったらしい。――もっともそのお気に入りとやらが何人いるかなんて、誰も知らないが」

 男は再び大きな声で笑った。その声がコンクリートの壁に冷たく反響した。

「先に戦闘を仕掛けて来たのは向こうでしたよ?」

「そんなことはどうでも良い。早くその女を引き渡してくれるかな?――おい、お前」

 男の視線は俺を飛び越え、その後ろに向けられた。

「早く終わらそうぜ。良いじゃないか。シオのトループに加われば将来安泰だ」

 男はにやにやとしながらイニャに言った。イニャは震えていた。

「そいつと離れ離れになるのが嫌だったら、一緒に殺ってやるよ」

 男は緩慢な動作で銃を取り出すと、その銃口を僕に向けた。僕の額に汗が流れる。恐怖で頭が真っ白だったが、それは死への恐怖というより、イニャを失うことへの恐怖だった。

(ここで死んだら、イニャを守れなくなる。イニャとの記憶も無くなってしまう。――そしてイニャは今、最後の命を生きている……)

 僕は重心を低くし、いつでも男に飛びかかれるように身構えた。

 男が引き金に指をかける。

(一発目をやり過ごして、飛びかかるか?でも俺が避けたら、イニャに当たってしまう……)

 俺は必死に頭を働せた。男が発砲する直前に間合いを詰めるにはどう動くべきか……。

 ――パンッ……!

 不意に背後で銃声が響いた。

(え……?)

 少し間があったあと、ドスンと人が倒れる音がした。僕は恐る恐る振り向いた。

 僕らの背後にもうひとり小柄な男が立っていた。まだかなりかなり若く、少年と言えるくらいの年齢だ。彼の構えた銃口からは煙が上がっていた。戸口の男に気を取られていた隙に窓から侵入されたようだった。

(イ、イニャ……?)

 イニャが右の脇腹を両手で押さえ、倒れていた。指の間から赤い血がどくどくと溢れ出している。僕は事態が飲み込めず茫然とした。

「イニャ……」

 僕はその場にへたり込んだ。ナイフが手からこぼれ落ち、カランと音を立てた。イニャと目が合った。イニャは苦痛に顔を歪めながらも、無理やり笑った。

「あんなことしちゃったから、仕方ないよね……?」

 イニャはぜえぜえと息を吐きながらかすれた声で囁いた。

「イニャ……」

 僕は震える腕でイニャの身体を支えた。イニャの小指のテロメアを見ると、蛇がずるずると口から尻尾を吐き出し、指輪は今にも抜け落ちそうだった。

「イニャ、待って……!」

 僕は半泣きになりながら、自分の小指のテロメアを無理やり引っ張った。しかしびくともしない。

「ゼー……なにしてるの……?」

「僕の指輪をつければ、きっとイニャは蘇ることができる!」

「でもそうしたら、ゼーは……?」

 イニャは心配そうに僕の顔を見つめた。その瞳はほとんど光を失っていた。僕は渾身の力をこめて、指輪を引っ張った。小指が紫色にうっ血し始める。

「ひょっとして、あんた、テロメアほとんど残ってないの?」

 男は愉快そうにそう言うと、イニャを覗き込んだ。僕は男の嘲笑を無視し、周囲に視線を走らせる。するとナイフが目に止まった。僕はそれに腕を伸ばした。

「――だめ……」

 しかし、僕の意図に気がついたイニャが僕より先にそのナイフを取った。――僕は、そのナイフで自分の小指を切り落とそうとしていた。

「イニャ、取り返しがつかなくなるまえに、そのナイフを返して!」

 僕は必死で叫んだ。しかしイニャは弱々しく首を振った。

「ゼー、そこまでする必要ないよ……?」

 泣き叫ぶ僕とは対称的にイニャはひどく落ち着いていた。

「イニャ、早くナイフを返して……!」

「分かった。じゃあ、ひとつだけお願い聞いて……?」

 イニャはそう言うと穏やかな表情で微笑んだ。

「なんでも聞くよ!なにをすればいい?」

「私のこと、ぎゅっと抱きしめて……?」

 僕は何度も頷くとイニャを力いっぱい抱きしめた。

 ――そのとき、心臓に燃え上がるような衝撃が走った。

「え……?」

「――ゼー、ごめん……」

 僕は恐る恐るイニャから身を離し、自分の胸を見下ろした。ナイフが僕の胸に突き立てられていた。

 僕は呆然とイニャを見つめた。

「ごめんね……?でもこうしないと――」

 僕はイニャにお別れを言おうと思った。しかし、口を開く前に僕の身体から力が抜け、意識は急速に遠のいた。男の甲高い笑い声と、小馬鹿にしたような拍手が頭の中でこだました――。


第一章 了

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