アプリオリ
「ねえ、快適な睡眠じゃなくていいの?」
眠ろうと思って、コンクリートに直寝で丸くなっていると、イニャが声を掛けてきた。イニャは絨毯の上でこちらに背を向けて寝転がっている。
「良くないけど、布団探しに行くのはもっと日を空けたいな。報復が怖いし」
僕はあくびをしながらそう答えた。
「じゃなくて、こっちで寝る?」
イニャは寝返りをうち、こちらを向くとそう言った。
「いいよ。絨毯はイニャが使いなよ」
「寄れば、二人寝れるけど」
僕は思わず、言葉に詰まった。部屋が暗くて本当に良かったと思う。きっと僕の顔は真っ赤だ。
イニャがごそごそと身体を動かす。しばしの沈黙のあと、「嫌なの?」とイニャが聞いてきた。
「嫌とかではないけど……じゃあ、お言葉に甘えて……」
僕はもごもご言いながら、絨毯に移動した。イニャが上目遣いで僕を見つめる。僕は戸惑いながら、イニャに背を向けて横になった。
「ねえ……」
イニャが囁く。その吐息が僕の首筋をくすぐった。
「なに?」
僕は努めて平静を装いながら、答えた。
「ゼーはなんで戦わないの?」
「戦いたいと思わないからかな」
「強くなりたくないの?」
「うーん。別に興味ないんだと思う」
「なにそれ。ひとごとみたい」
イニャはくすっと笑った。僕はなんだか恥ずかしくなった。
「イニャはどうなんだよ?本当はもっと強い劇団に所属したいの?」
僕は恥ずかしさをごまかすために同じ質問をイニャに向けた。
「わかんない。前はそんな気持ちだったのかもしれないけど。――ねえ、私、ここに来てよく夢をみるんだ」
「へー。どんな夢?」
僕は少なからず驚きを覚えた。夢を見ることが出来る者は少ない。夢はその源泉を自己存在以前に持つと考えられている。直近の前世の記憶すら完全に失われている僕らには発生し難い生理現象だった。
「お父さんが出てくる」
「え!?お父さん?」
僕は思わず大きな声を出した。「夢を見る者」も少ないが、「両親をもつ者」はさらに少ない――というか存在しない。「親子」は僕らにとって想像上のもの、あるいは神話的なものに過ぎなかった。《《体験として》》または《《実感として》》親子関係をもつ者などいない。――そうであるにも関わらずイニャが「お父さん」と言ったときのその響きには、なんとも言えない愛情と親しみが込められていた。
「所詮、夢だからどね。――だけど、いつも同じ風景をみるの」
イニャはぽつりと言った。
「どんな風景?」
「二人で夜、焚き火の炎を見てるの。ただそれだけ。草原の真ん中で、空には星がたくさん」
「そっか。――草原なんてこの近くにあったかな?」
「そうだね。だから本当にただの夢なんだと思う」
イニャがごそごそと寝返りをうつ気配があった。そして間もなく僕の背中がじんわりと暖かくなった。イニャが背中をくっつけてきたのだ。
僕の心臓が高鳴る。その高鳴りがイニャに伝わっていませんように、と僕は心の中で祈った。