ようこそ我が家へ
日の入りの早い冬のブリタニアはすでに夜の帳が降りて冷たい風が吹いていた。
突然契約を交わした俺とティルフィングはあの後、学園長の話にしばらく付き合ってから帰路につき、学園から少し離れた赤レンガのアパートの目の前に到着した。
「おー!ここがソーマの館か!なかなかよさそうなところではないか!」
「……左文にはどう説明したものかね……はあ……」
歩きながらずっと考えていたがいい説明の仕方が思いつかなかった。俺はため息をついて玄関前で立ち尽くす。ティルフィングはアパートを見てワクワクしているようだ。
「ソーマ!何をしているのだ?入らないのか?」
「ああ、何でもない……じゃあ、入るか」
いつまでも入らないわけにはいかない。意を決して玄関の呼び鈴を押す。
ピーンポーン!
ベルが鳴り扉の向こうからパタパタと足音が近づいてくる。足音が止むと扉が開いた。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま……あら?」
いつも通り左文が出迎えてくれたのだが……視線が俺の後ろに向けられる。
「坊ちゃま……後ろの方はどちら様でしょうか?」
左文は柔和な表情は崩さない。が、少し警戒しているようだ。ティルフィングの力を感じ取ったに違いない。
「ソーマ、この者は?」
「左文だ。俺の身の回りの世話をしてくれてる」
「ふむ、左文どのか。我が名はティルフィング。今宵よりこの館で世話になる故よろしく頼むぞ!」
「はあ……ティルフィングさんですか」
ティルフィングが明るく無邪気に挨拶をしたのを見て、警戒が解けたのか左文はポカンとした。
「へっくしっ!」
「あ、申し訳ありません坊ちゃま!取り敢えず中に入ってくださいませ。えーと、ティルフィングさんでしたね。どうぞお入りください」
「……ああ」
「うむ」
ローブを脱いで左文に渡すと洗面所に向かい手洗いとうがいも済ます。ティルフィングは俺の後ろをトテトテとついてきて、真似をするように手を洗い、うがいを済ませた。
洗面所からリビングに移動して、ソファーに深く腰を掛ける。すると、ティルフィングは当然のように俺の膝の上にちょこんと座ってきた。そこに左文がお茶の入ったマグカップを載せたお盆を持ってやってきた。
「どうぞ」
「ん、ありがと」
俺にマグカップを渡すと左文は向かいのソファーに座った。そしてこちらを見てくる。珍しく儉のある眼差しに俺は思わず唾を飲み込んでしまった。ティルフィングはそんな俺たちを不思議そうに見ている。
「さて、坊ちゃま」
「な、何だ?」
普段温和な左文が醸し出す妙な迫力に、悪いことは何もしていないはずなのに背中には冷や汗が流れてきた。
「ティルフィングさんと言いましたね?その方とはどのようなご関係ですか?」
「い、いや……その前に左文、お前なんか怒ってないか?」
「そのようなことはありません」
「と、とりあえず初対面のティルフィングがいるんだからせめて普通にしてくれよ……いつもみたいに笑っててくれないと美人が台無しだから……な?」
今のままでは話しにくいと思って言った俺の一言を聞いた左文は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。それから一瞬、手で顔を隠す。
「坊ちゃま……そ、そのようなことは気安く言ってはなりません……」
左文の顔が何故か少し赤くなっているように見えたのは気のせいだろう。
「コホン……兎も角です。ティルフィングさんのことをきちんと説明してくださいませ!私は旦那様と奥様から坊ちゃまのお世話を任されている身、突然年端もゆかない得体の知れない娘子を連れて帰ってこられては困ります!」
左文の主張を聞いて、俺は最もだと思った。振り返れば師に預けられていた時を除いた幼少期から、あの放任主義を極めた父と、頭の中がお花畑の母に変わって俺の世話を焼いていたのは左文だ。よくよく考えて見ると、自覚はなかったが、ほんの少しだが左文を鬱陶しいというような態度を取っていたような気がする。そう思うと左文には悪いことをしていたと思わざるを得ない。
「いや、色々あったんだが突然で連絡できなかったんだ……すまん」
「謝って欲しいわけではありません!説明をしていただきたいのです!」
左文の目つきが更に鋭くなった。背中の冷や汗の勢いが増す中、ティルフィングは足をぶらぶらさせて双魔と左文の顔を交互に見ている。
別に左文を焦らすつもりなど一切なく順を追って説明をしようと思っていただけなのだが、左文の目がこれまで見たことのないほど怖いので、俺は単純明快に事実を示すことにした。
「ほら、これ」
右手の甲を左文に見せた。左文の目には双魔の右手に刻まれた紅い聖呪印が映った。
「それは……まさか…………」
左文は食い入るようにそれを見つめた後、俺とティルフィングの顔を何度も見た。そして、最後には目を白黒させて勢いよく立ち上がった。
「も、申し訳ありません!」
「いや、俺が悪かった……頭を上げてくれ」
「そうだぞ!頭を上げるのだ!」
頭を下げたまま上げる気配のない左文を宥める。それでもしばらく頭を上げなかった左文だったが、ティルフィングに声を掛けられるとやっと頭を上げた。
「左文どの、よくわからぬが我のことを認めてくれたのはなんとなく分かった。故にこれからよろしく頼むぞ」
「……はい、こちらこそよろしくお願いいたします。坊ちゃまのことを、何卒……何卒お願いいたします」
「うむ、我に任せるがよいぞ!」
ティルフィングは俺の膝の上で胸を張って見せた。
「坊ちゃま」
「ん?」
「この度は誠におめでとうございます。私は嬉しゅうございます……ううっ」
「おい、泣くなって…………ありがとう」
俺の感謝の言葉を聞いて、感極まってしまったのか、左文の目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。そして、そのまま泣きはじめてしまった。
思えば遺物科に進学する時、俺に契約遺物がいないことを誰よりも心配していたのは左文だった。俺自身は魔術師として生きていく当てがあったので大して気にしていなかったが、幼いころから世話をしてくれている左文は口にはしないもののずっと心配していたに違いない。
こんなに泣き出すほど心配されているとは思っていなかった。少し胸が痛む。が、同時に喜ぶ左文の姿を見て自分が遺物契約者になった実感と嬉しさがじわじわと湧いてきた。
ティルフィングを膝から降ろして左文にティッシュ箱を差し出してやった。左文はそれを受け取ると涙を拭いてずびずびと音を立てて鼻をかんだ。
「……失礼しました」
恥ずかしそうにしながら食卓の椅子に掛けてある割烹着を着る左文。
「それではお夕食の準備をしますので少しお待ちください」
左文が台所に姿を消したので、食卓の上にあったテレビのリモコンを手に取って再びソファーに腰を下ろす。すると、すかさずティルフィングがの膝の上に座ってくる。出会ってから僅かな時間しか経っていないが、俺の膝の上がお気に召したようだ。
テレビをつけて衛星放送で日本の番組ニュースを観はじめる。
ふと、ティルフィングに目をやると興味深そうにテレビを観ていた。試しに、チャンネルを幾つか変えてみるとどうやら歌番組が気に入ったのか身体を小さく揺らしながら観ている。俺はチャンネルをそのままにしてスマートフォンを確認する。
何件か通知があったが事務課から明日の魔術科の授業についての連絡が来ていた。どうやらハシーシュが約束通り手続きを済ませておいてくれたらしい。
(後でお礼しとくか……)
授業の確認が済んだタイミングで台所からいい匂いが漂ってくる。
いつも手伝いをしようと思うが左文に「坊ちゃまはお待ちになっていてくださればいいんです!」と言って断られてしまうのだ。仕方がないので、ティルフィングが観ている歌番組をボーっと眺める。後ろでは左文が食器を並べている音が聞こえるのでそろそろ食卓に呼ばれるはずだ。
「坊ちゃま、ティルフィングさんお夕食の準備ができましたよー」
双魔と左文は定位置に座るがティルフィングはどこに座ればいいのか分からないようで少し考える素振りを見せてから俺の膝の上に乗ってきた。
とりあえず座らせてはみたがこれではどうにも飯が食べにくい。そして、何故か目の前に座る左文の視線が痛いので、横の椅子にティルフィングを座らせる。当のティルフィングは膝の上から降ろされても特に気にしていないようで、食卓の上の料理に興味津々といった感じである。
「今日は肉じゃがと大根と油揚げのお味噌汁にしました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「ん、いただきます」
まずは味噌汁から。今朝と同じで美味い。
「ソーマ、ソーマ」
クイクイとティルフィングが袖を引いた。
「ん?どうした?」
「ニクジャガとはなんだ?」
「ん、ああ、知らないのか。これは俺の故郷の料理だ。簡単に言うとジャガイモと牛肉を甘辛く煮込んだものだ。ティルフィングの分もあるから食べてみろよ」
ティルフィングの前に置かれた肉じゃがを指差して教えてやる。ティルフィングは肉じゃがの盛られた皿を見る。そして、視線が俺に戻ってきた。
「ん?なんだ?」
「あーん」
そして小さく可愛らしい口を開ける。
「食べさせろってことか?」
コクコクと首を縦に振るティルフィング。
「……仕方ないな、ほれ」
箸でジャガイモを摘まんでティルフィングの口に放り込む。
「あむ、むぐむぐむぐ……む!これは美味だな!」
どうやらお気に召したようだ。
「お行儀がよくありませんから飲み込んでからお話ししましょうね」
左文にそう言われるとティルフィングは素直に頷き口の中のものを咀嚼して飲み込む。
「左文どの!そなたは料理が上手なのだな!」
「うふふ、ありがとうございます」
その後もティルフィングに食べさせながらの食事となった。そのせいで普段より時間が掛かったが新鮮で楽しい時間だった。内心、左文がティルフィングとなじめるかどうか心配だったが特に問題なく打ち解けてくれたようで安心したが特にいう必要も感じないので黙っておく。
「それでは片付けをしますので坊ちゃまはお風呂に入ってしまってくださいな」
「ん、わかった」
「ティルフィングさんは後で私と一緒に入りましょうね」
「うむ、承知した」
明日の授業の準備も多少はあるのでさっさと風呂を済ます。と言っても、男の入浴など大概は烏の行水だ。身体と頭を洗って少し湯船に浸かってすぐに出る。身体を拭いて寝間着に着替えて髪を乾かしてリビングの左文に一言掛けて自分の部屋に向かう。
部屋に戻ると本棚から何冊か本を取り出し先刻確認したメールと見比べながらペラペラとページを捲っていく。
「座学と演習が一コマずつか……まあ、魔術科も選挙が近いしな」
魔術科も遺物科と同様に選挙が行われるが週が一つずれて再来週だ。この時期に代行の依頼はあまりないのだが依頼してきたのは魔術科の副学長であるケルナー先生だ。カリキュラム変更の会議にでも出席するのだろう。
資料の確認が終わり一息ついたタイミングで部屋のドアが開いた。左文は必ずノックをするのでティルフィングだろう。
「ソーマ!」
「ん、風呂はどうだった?」
「うむ、気持ちよかったぞ、左文どのが髪を洗ってくれた」
「そうか」
話しをしながら、また膝の上に載ってくる。
「これは魔術の本か?」
「ああ、俺は魔術科で臨時講師もしてるんだ。明日は授業があるからその確認をな」
「む、そういえばヴォーダンが我の契約者候補は優秀な魔術師だと言っていたな」
「学園長が?それはなんとも恐れ多いことだな」
「うむ、決めたぞ!」
「決めたって何をだ?」
「明日は我もその授業とやらについていくことにした!」
「……本気か?」
「もちろんだ!我が契約者の力量を自ら確かめておくのも契約遺物としての責務だからな!」
「……まあ、ついてきたいって言うなら別に構わないけど」
「うむ!そうこなくてはな!」
(面倒なことにならないことを祈るしかないか……)
「じゃあ、少し早く起きるしそろそろ寝るか」
一度下に降りて洗面所で歯を磨く。ティルフィングには予備の歯磨きを渡してやり二人で歯を磨いた。
「左文、俺はもう寝るから」
リビングでテレビを観ていた左文に一声掛ける。
「かしこまりました」
「ティルフィングはとりあえず左文と一緒に寝てくれ」
「む?双魔と一緒ではダメなのか?」
「俺のベッドは狭いからな。左文、来客用の布団があったろ。敷いてやってくれ」
「かしこまりました。ティルフィングさん一緒に寝ましょうね」
「……分かった」
少し残念そうなティルフィングを見て少し悪い気もしたが部屋のベッドは二人で寝るには狭すぎるので仕方がない。
「じゃあ、そういうことで。左文、明日は少し早く起こしてくれ」
「承知しております、それではおやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ。ティルフィングもおやすみ」
「うむ、おやすみだ」
一人部屋に戻り明かりを消してベッドに倒れ込んだ。
(今日は……疲れた)
まさか自分のもとに神話級遺物が突然転がり込んでくるとは思わなかった。
『お前は何かを抱えたモノを引き寄せる力がある。引き寄せる力があるということは救う力、解き放つ力があるということだ。なに、別に気負うことはない。自分の思うままに振る舞え……それだけで救えるモノもあるさ、私のようにな』
昔、眠れない枕元で師が囁いた言葉をふと思い出す。
(「思うままに振る舞え」……か)
師とも久しく会っていない。元気にしているだろうか。
(まあ、あの人は大丈夫だろ……それより……俺はティルフィングの良きパートナーになってやれるのかね)
そんなことを考えながら、俺の意識は眠りの海に穏やかに沈んでいった。




