運命への前奏曲
中央棟には学生生活に必要な施設を揃えている。そのせいか、外見は他の建物と同じネオクラシック様式の趣あるものだが、内部は最新の設備が整えられている。俺たちは魔導の道を志す身だが存分に科学の恩恵も身に受けているのだ。
そんな中、実は一か所だけ時代に取り残されたところがある。中央棟の中心びそびえ立つ塔だ。
ここだけは科学ではなく魔術ですべてが動いている。灯もリフトも魔力で動く。塔の天辺には時を刻み知らせる鐘がある、がもちろん魔力によるものだ。
最新技術の中に取り残された時計塔には何があるのか。考えるまでもない。学園の長たる者がいるに決まっている。
教室を出た俺は中央棟へと向かい学園長室に昇るためにリフトに乗っていた。
……学園長に呼び出されるのなんて久々だな
学園長に最後に呼び出されたのは魔術科の臨時講師の枠に欠員が出て、その枠を埋める打診をされた時が最後なので、昨年の三月だったはずだ。
あの時は払いがいいので何となく受けた。そんな感じで基本的に学園長に呼び出されるというのは厄介ごとに巻き込まれる予兆というのが俺を含めた皆の共通認識だ。とは言っても呼び出されるような人間はそういない。
やっぱり面倒ごとかね?……面倒なのは勘弁だな……今、鏡を見たら渋い顔をしてるな。絶対
チーン!
くだらないことを考えているうちに、最上階に着いたことをベルの軽快な音が知らせる。
リフトの扉が開くと目の前に重厚な木製の扉が現れた。リフトから降りてノックする。数秒の間を置いて重々しく感じられる質感を顕すようにゆっくりと扉が開いた。
室内は簡素な造りの執務室と応接室を合わせたようになっていて、手前に来客用のソファーとテーブル一式、奥にシンプルだが高級感漂う黒の木製机と椅子があった。
そして、そこには左眼を覆う眼帯と白い美髯が特徴的な好好爺然とした少し小柄な老人が深く腰掛け、その横にはヴィクトリア様式のクラシックな給仕服を身に纏った美女が侍っている。
俺は部屋に一歩踏み入って居住まいを正した。
「遺物科二年伏見双魔お呼びとのことで参上いたしました」
老人は学園長室にいるのだから学園長である。ヴォーダン=ケントリス、ブリタニア王国王立魔導学園学園長、世界遺物使いランキング序列三位“英雄”、世界魔術師ランキング序列一位“叡智”、異名は“槍魔の賢翁”。今、この世界において間違いなく最強の一角である人物だ。
「うむ、よく来てくれた。伏見先生、いや今日は伏見君と言った方がよいかな?フォッフォッフォ」
学園長は髭を弄びながら笑みを浮かべた。その姿はとても世界最強クラスの遺物使い、または魔術師には見えないが、道を究めた者とは得てしてそのようなものだろう。学園長はゆっくりと立ち上がり移動するとソファーにゆったりと腰掛けた。
「まあ、座りなさい」
俺に向かいのソファーに座るように勧めてくる。断る理由もない。寧ろ断ったら失礼だ。そう思って俺はソファーに座った。
「ご主人様、お飲み物はいかがいたしましょうか?」
学園長に侍っていたメイドさんが机の脇の棚からカップなどを取り出しながら尋ねる。
「この前インドから送られてきた紅茶があっただろう。あれがいい。伏見君も紅茶でいいかね?」
俺は頷いた。学園長が愛飲しているのだから、きっといい茶葉に違いない。
「お紅茶ですね。かしこまりました。それでは少々お待ちください」
メイドさんはテキパキとお茶の準備を始めた。彼女の額と両手の甲にはルーン文字が刻まれている。蒼銀の髪は編み上げられてキャップに収められていて、前髪にはトネリコの葉を象った銀細工の髪飾りが光っている。
グングニル、またはグングニールとも呼ばれる。学園長のの契約遺物である。北欧神話に謳われる大神オーディンの一撃必中の魔槍。クラスはもちろん神話級。そんな強大な遺物である彼女がなぜメイド服を着ているのか、気にならない者はいないと思う。
「気になるかね?儂の愛槍のことが」
俺は無意識のうちにグングニルの方に視線を送っていたようで、学園長がそんなことを聞いてきた。
「せっかく来てくれたからのう。気になることがあれば……何でも答えよう!」
学園長は髭を弄りながら笑顔でそう言ってくる。
「では、お言葉に甘えさせていただきます……どうしてメイド服なんですか?」
「フォッフォッフォ!儂の趣味じゃよ!君の故郷でも色んなメイドがおるじゃろう?実にいい!女子は清楚で落ち着きのある服に限るわい!」
「はあ……」
前にハシーシュ先生が「あの爺さん普段は惚けた振りしてるからな。小物は大概あれに騙されて転がされるんだ」と言っていたのを思い出した。
今まであまり話す機会はおろか会うこともなかったがなるほど、こうして向かい合って話してみると世界最強クラスの人物とは思えない。愛嬌のあるただの老人のようだ。
「ご主人様、お紅茶が入りました。伏見様、お砂糖、レモン、ミルクはいかがいたしましょうか?」
「あ、自分はストレートでお願いします」
「かしこまりました」
グングニルさんは双魔の前にティーカップを置くと紅茶を注ぎ、数枚のクッキーが載せられた皿をその横に置いた。そしてトレイに残ったもう一つのカップに紅茶を注ぐとミルクと砂糖をたっぷりと入れ、スプーンでよくかき混ぜてから学園長の前に差し出した。
「では。ごゆっくり」
学園長が紅茶の入ったカップを受け取るとグングニルさんは俺が部屋に入った時の位置に戻る。
「儂は甘いのが好きでな。いつもこうしてミルクティーにしておる。いい歳した爺がおかしいじゃろ?」
学園長は楽し気にそんなことを言いながらカップに口をつける。
「うむ、実に美味じゃ。伏見君も飲みなさい」
学園長に勧められたので俺もカップを手に取る。そのまま口元に近づけると芳醇な茶葉の香りが漂ってきた。口に含むと濃厚な風味が口の中に広がるがすっきりとしていてとても飲みやすい。
「これは……いい茶葉ですね」
「そうじゃろう。茶葉は収穫する季節によって風味や味が違う。それぞれを楽しみたい故季節ごとにインドから送ってもらっているんじゃ」
「そうなんですか」
「フォッフォッフォ!気に入ってくれたようじゃの。今度はまた違った茶葉を馳走してやる故楽しみにしておきなさい」
それからしばらく学園長と俺は世間話をしながら紅茶を楽しんだ。学園のカリキュラムをどう思うか、遺物についてどう考えているか、遺物と契約者の理想像そんなことについて話した。カップが空になるとグングニルが紅茶を注いでくれた。
三杯目の紅茶が半分無くなった頃に学園長の雰囲気が突然変わった。口元に笑みは浮かんだままだが明らかに目つきが違う。強者の放つ重圧だ。
俺はこの感覚を何度も味わったことがあった。穏やかだが全てを飲み込む月夜の湖面のようなオーラ。俺は無意識に背筋を伸ばしていた。俺と学園長の視線は決して交差することく、静かに見つめ合う。
「さて…………」
学園長が静寂を破った。
「それでは、今日君をここに呼んだ本題に入るとしよう」
「……本題……ですか?」
俺の身体を巡る魔力が微かに乱れた。緊張だ。いや、恐怖かもしれない。普段はそんな感覚とは無縁だが確かに感じている。
「今までのやり取りで君には資質があると判断した。儂の眼鏡にかなったのだ、君は誇ってよい。フォッフォ」
「…………」
……眼鏡にかなった?どういうことだ?何をされる?何が起こるんだ?
確かな緊張と恐怖に身体が硬直する。学園長の放つ重圧が強くなったように感じる。
「フォッフォッフォ!何、そんなに身構えることはない楽にしなさい」
「……はあ」
学園長の放っていた重圧が霧散した。俺は気が抜けてそんな返事しかできなかった。
「まあ、儂が君を認めたとしても君を選ぶかどうかはあの娘次第じゃからな」
学園長はうんうんと納得したように頷いている。が、肝心の話をされていないので、俺は何が何だか分からない。
「学園長、お言葉ですが話が見えてこないのですが……」
「おっと、すまんすまん。では次こそ本当に本題じゃ。伏見君、君には契約遺物がいない。それは間違いないな?」
「まあ、はい。いません」
学園長の問いを聞いて俺はまた気が抜けてしまった。そんなことを確かめてどうするのか。そこで、ふと、今朝のアッシュを思い出した。
『でも!もしかしたら来週までに双魔と契約してくれる遺物が現れるかもしれないじゃない!ね!』
まさか!?いや、そんなことは……
一瞬、馬鹿な考えが浮かんだ。でも、そんなことあり得るはずがない。
「うむ、よろしい!というわけで君の契約遺物になり得る遺物を連れてきておる。それも神話級遺物じゃ。今言ったように君には申し分ない資質と資格がある。あとは本人次第じゃ」
「…………は?」
俺は呆気に取られた。学園長の言っていることの意味は理解しているが思考がついてこなかった。聞いた言葉は俺が考えた”まさか”、そのままだったからだ。
俺に契約遺物がいないから候補を連れてきた?遺物はそんなにホイホイと連れてこられる存在じゃないぞ!?遺物協会が厳重に管理してるはずだ!
ある一族で代々受け継がれている遺物を次期当主に契約委譲する際も厳しい審査が行われると聞いたことがある。それなのに一学生である俺がいきなり遺物と契約などあり得ない。
しかも、学園長は“神話級”と言った。その身一つで世界を滅ぼすと言われる存在をあたかも軽いノリで連れてきただなんて信じられない。
意味がわからん!めちゃくちゃだ……ああ、この感覚、覚えがあるぞ……師匠とか母さんがさらっと無茶言ってきた時と同じだ。ということは嘘でもなんでもなく……神話級遺物がいる……
「ではご対面と行こうか!入りなさい」
俺が頭の中を整理しているのなどお構いなしに学園長がそう言った。
グングニルさんがいつの間にか部屋の端に移動して壁の一部分を押し込んだ。ガコンッと重い音が部屋に響き壁がずれ始めた。隠し部屋だ。そこに学園長のいう神話級遺物がいるに違いない。
「ちょっと待ってくだ……さ…………い」
俺の制止などに聞く耳を持たない。どうしようかと一瞬考えた。が、隠し部屋から現れた彼女に俺のすべては拭い去られてしまうのだった。




