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もう、本は捨てない  作者: まき乃
8/25

決意

 春原は私の手を握りながら私が落ち着くのを待っててくれた。泣いた時間はわからない。春原は泣きたいだけ私を泣かせてくれた。

 泣きながら、私は話した。トイレでリストカットをからかわれ、水をかけられたこと。春原はうなずきながら話を聴いてくれた。

 ようやく、涙がでなくなり落着きを取り戻した。

「ごめんなさい。本当に迷惑かけちゃって」と私は息を吐きながら言った。

「いや、大丈夫。松野さんの本音が聴けて良かった。それにさっきの言葉はおれもずっと言われたかった言葉だったから。ひどいことされたな。そんなことされたらパニックになるよな」

「でも、その時は、以外と冷静だったかも。心を殺していたからかな。不思議だね」

「そういうことあるよ」

 私は、春原の姿を改めて見た。

「春原君…。今さらなんだけど、怪我大丈夫?私、自分のことばっかりで、春原君の方が痛い思いしているよね。それからカッターのこと…本当にごめんなさい」

「おれは大丈夫。この前、言ったよね。殴られるのは慣れてる。まあ、慣れちゃいけないんだろうけど。カッターのことに関しても、謝らないで。あれを止める心を持っていたことに安心した。それより松野さん、あの時の言葉、覚えている?」

「あの時って?」

「あの、おれが『信用できない』って言ったこと。知らなかったとはいえ、事情を抱えた松野さんにあんなことを言ってしまって、申しわけなかったなというか…本当にごめん」

 私はその言葉を思い出した。心にぷつんと穴があいた言葉だ。

「それは、気にしないで。確かに少し傷ついたけど、春原君にも色々と事情があったわけだし」

「それは言い訳にならないけど…」

 私は春原に話したいことが一つあった。

「春原君、私ね」

「なに」

「私も濡れ衣で責められたことがあるの。中学の時」

 中学でこんなことがあった。展示していた制服が盗まれるという事件。誰かが私がしたのではないか、という噂を流したのだ。

「職員室にも呼ばれて、正直に言ってほしい。今ならお前は更生できるって生活指導の先生から、熱心に言われた。先生は親切のつもりだったんだろうね。その後、実際の犯人がわかった。でも、私に謝ってもくれなかったよ。春原君の苦しみに比べたら、私のされたことなんてたいしたことないかもしれないけど、苦しさはわかる、ということを伝えたかった。本当は春原君が過去を話してくれた時、言えば良かった」

 春原はその話を聴き

「話してくれてありがとう。お互い、苦労してるな。辛いもんだよな、わかってくれる人がいないって。誰かを悪者にしないと物事が前に進まないんだろうな」と言うと気分を変えるように「運よく誰か、開けてくれたらいいんだけどな」と辺りを見回した。

「こんなとこじゃ、眠ることもできないし…。あっ、備え付けの懐中電灯がある」

 春原は懐中電灯の明かりをつけた。

「光があるとやっぱり安心するな」

 そう言うと、何かを見つけたのか倉庫の隅へ行った。私も振り返り、それを見ると、1冊の本がそこにあった。

 春原はその本を手に取り、ページをめくった。

「だめだ、シミがあったりしてぼろぼろで、ところどころしかわからない。図書室の本みたいだな。下手に触ったらこわれそうだ。何でこんなところにあるんだ?」

「それ、ちょっといい?」

 春原は以外そうな顔をして

「松野さん…本はだめなんじゃ」

「そうだけど、それなら平気な気がする」

 少しためらいながら、春原は私に本を渡した。私は受け取り、少し息を吐くと、そっとページをめくり、ところどころ、残った文字を追いかけた。

 文芸書、エッセイ、実用書、どれなのかはわからない。でも、それは、作者が気持ちを込めて書いたものだった。

「かわいそうだな、この本。色んな人に読んでもらえる予定だったのに、こんな風になっちゃって」

「ああ、修復できるのならいいけど、これじゃあ無理っぽいな。誰かが忘れてそのままになったんだろうな」

 懐かしい感触だ。あの頃は毎日、これを手に取っていた。

「私、小さい頃、図書室の本、好きだったの」

 あの時のことを少しずつ思い出す。

「人の借りた本のほうが何故か落ち着いて読むことができた。この本を読んだ人と友達になったような感じがした。でも…」

 私は本を胸にあてた。

「小学校5年生くらいの頃かな。私が借りた本を見て、一人の男子生徒が『松野の借りた本は菌がついているから、おれ借りない』って言ったの。その子の発言にみんな笑って。それが怖くて学校の図書室に行けなくなった。おかしいよね…。私、悪いことしていないのに。でも、その時は、こう思ったの。私が触ることでみんなが借りないのなら、私は触らない方がいいって。図書室の本はたくさんの人に読まれないとかわいそうだよ」

 また、少し涙が出てくる。今日は気持ちのどこかが緩んでしまったようだ。私の言葉を聴き春原が言った。

「おれは図書館で、誰も借りていないような本が好きだった。有名な作家だったり、賞をとったりしたわけではない。そんな本を見つけた時、とても嬉しい」

 そして、私の肩を軽くたたいた。

 私はその温かみを感じながら

「春原君、お願いがあるの。私に本の話をしてくれない。なんでもいいの。春原君の好きな本の話を聴きたい」と言った。

「…わかった。辛くなったらいつでも言ってほしい。すぐに辞めるから」

 春原は最近読んだ本の話をしてくれた。

 それは、外国のミステリーもので、そこまで、有名ではなかったが題名に惹かれて読んだということだった。

「作品にとって題名というのはとても大切だと思う。どんなに良い作品でも、題名で判断されてしまうこともあるから」

 春原の話はわかりやすく、テンポも良かった。その小説のあらすじ、登場人物、心に残った言葉などをすらすらと語った。

「この本の主人公は一見冷たく見えるけど、実際は情に厚くって、優しいんだ。周囲には中々理解してもらえないけど、相棒はその主人公のことを良くわかっている。その信頼関係が面白い。性格はまったく正反対の二人なのに」

 一通り話すと春原は私に

「初めてだな、こんなに人に本の話をしたのは。読書は一人でやるものだと思っていたけど、こういう風に共有するのも楽しいんだな」

 その言葉に私は思わず微笑んだ。楽しいと言ってくれて嬉しかった。

「良かった。松野さんが笑ってくれて。初めて松野さんの笑顔みたかも」

「春原君の話し方が良かったから…。春原君が中学の時、人気者だったって本当のことだったんだね。今の話、すごく面白かった」

「そこは、信じてくれなかったんだ。無理もないよな。笑顔すら見せなかったし」

 私たちは笑いあった。こんな風に人と接するのはいつぶりだろう。

 その後、春原は3冊程、本の話をしてくれた。聴いていたら時間があっという間に過ぎた。こんなにも近くに人がいた夜は初めてだった。不思議と眠たくもなかった。

「色々な種類の小説があってバッドエンドも面白いんだけど、やっぱりおれは幸せになるような最後を登場人物たちが迎えてほしい。少なくとも、希望を持てるような終わり方をしてほしい。本の内容は終わるかもしれないけど、その人物たちにとってまだ人生は続いているから」

 フィクションの世界なのにな、と春原は言った。私にはその気持ちが理解できた。

 読んでいる内に好きになる人物がいる。それは主人公ばかりではなく、主人公の友人だったり、1ページしか出てこないような人物だったりした。

「私の人生さ、このままいったらバッドエンドになっちゃうのかな。そして、この本みたいに、ボロボロになって誰からも必要とされなくなっちゃうのかな」

 春原もうつむいて言う。

「おれも、時々考える。やってもいない罪で、ずっと責められる人生なんだろうなって。人から信じられない人生を送るんだろうなって」

 どうしてだろう。どうして世の中の負を抱え込む人間がいるのだろう。小学校の教師が言っていたことを思い出す。

「人間はみんな苦しいことがあります。でも、それは、絶対に乗り越えられることです。困難に打ち勝った後には必ず良いことがあります」

 でも、その教師は私がいじめられているのを見ても助けてくれなかった。苦しいことは自分自身で乗り越えろ、ということらしい。

「前、私をいじめてた人を見かけたの。楽しそうに家族と歩いていた。その家族はきっと自分の子どもがいじめに関わったなんて、知らないんだろうね。なんか悔しいな。知らなくて幸せな人がいるって」

 その時、私は自分がまだ悔しいという感情を持っていたことに気が付いた。これまでは悔しいというよりもあきらめという気持ちの方が大きかった。

 悔しい。このままじゃ悔しい。

 バッドエンド?そんなの嫌だ。

 変えたい。自分を変えたい。

「変えたいな…。自分を」

 私は思わずつぶやいた。それを聞いた春原が言った。

「松野さん、おれだってまだあの過去を乗り切れたわけじゃない。時々、うなされることだってある。おれの場合、自分を変えたところで、周囲が変わるわけじゃあないだろうしな。でも…」

 春原は少し間を置いて言った。

「偉そうな言い方になるけど、松野さんのことは応援したいと思った。だから、何かあったらおれに相談してほしい。具体的なアドバイスとかできないかもしれないけど、聴くだけならいくらでも聴くから」

「どうして、そこまでしてくれるの」

「同じ文芸部員だからな。それに、今までのつぐないもある。その代わりおれの本の話、松野さんにしていい?」

 私はうなずいた。そして、本をまた見つめた。

 この本は記念の本だと思った。題名も作者もわからないこの本が、私に一歩進む勇気をくれたような気がする。また、本を胸にあてる。本に体温があるような気がした。

 そんな私の様子を春原は優しく見つめていた。

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