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もう、本は捨てない  作者: まき乃
7/25

体育倉庫で

「松野さん、ちょっといい」

 帰りのHR後、クラスの女子が私に近づいてきた。クラスでは大人しい方のグループに所属している生徒だ。

「体育倉庫から、物を運ばなきゃいけないんだけど、重いから手伝ってくれない」

 私は彼女と一緒に倉庫へ向かった。倉庫は校庭にあり、校舎からは離れた場所にあった。

 ここから、校舎まで物を運ぶのはきつい。誰でもいいから頼みたかったのだろう。

 倉庫のそばに行くと、もめ事のような声が聞こえてきた。私は立ち止まったが、彼女が構わず進んでいくので、仕方なくついて行った。

 声はどんどん大きくなり、倉庫の入り口に来ると、数人の男子生徒が春原を囲んでいた。春原は苦しそうにお腹を押さえていた。男子生徒の中には同じクラスの者もいた。

「連れてきたよ。松野さんを」

 女子は、男子生徒たちにそう言い

「ごめんね。こうしないと私がいじめられちゃうから」

 と言い足早に去っていった。

 一人の男子が私に近付き、腕を強くつかんだ。何が起きたかわからず、逃げ出すこともできなかった。

「おい、松野さんに手を出すな!殴るならおれを殴れ!」

 春原の叫び声が聞こえた。その瞬間、春原は顔を殴られた。

 男子は私を無理やり、倉庫の中に入れると胸を強く触った。

「いつもこうやられてんだろ、春原に」

 声が出なかった。のどに何かがつまっているようだ。

「否定しないんだ。松野さんも運が悪かったね。春原みたいな犯罪者に好きになられちゃって」

 そういうとスカートにも手を伸ばしめくった。リストカットで切った足があらわになった。

「へえ、松野さんってこういうことをする人なんだ。こんな気持ちの悪い身体、春原はよく手出したな。おれだったら無理だわ。こんなメンヘラ。でも、まともな女子とは付き合えないお前とはお似合いかもな」

 薄ら笑いで私の身体を見た。

「この野郎!」

 春原が走り寄り、スカートを持つ男子の手をつかんだ。男子はスカートから手を離した。

「松野さん、早く逃げろ!」

 男子はそれを思い切り振り払った。春原がよろめいて倒れる。

「おい、やめろ」

 春原の顔を殴った男子が言った。

「それ以上はやばいぞ。今日の目的はそれじゃないだろ」

 そう言いながら、春原の胸ぐらをつかんだ。

「むかつくんだよ。お前の存在。一人だけオシャレに茶髪にしちゃってよ。規律を乱す生徒は正されなきゃいけないよな」

 と言って、春原を蹴った。

「だいたい、お前みたいな犯罪者が生きてちゃあいけないよな。平気な顔しているのが不思議だよ」

「おれはやっていない」

 春原が絞り出すような声で言う。男子はせせら笑う。

「お二人を一晩中一緒にいさせてやるよ。ここなら色んなことができるだろうよ。また、噂が広がっちゃうかもな。じゃあね」

 春原を思い切り突き飛ばし、倉庫の中に押し込んだ。私も押され後ろによろめいた。その瞬間、倉庫のドアが閉まった。男子達の笑い声が遠くなった。


 しばらく何もできず、立ったままでいたが、倒れている春原が痛そうに起き上がる姿が見えた。

 春原は起き上がり、入り口の方へ行き、ドアを思い切り押した。

「だめだ、鍵がかけられている」

 そして、助けを求めるようにドアを強くたたいた。しかし、それは長くは続かなかった。

「今日はテスト週間でどの部活もここには来ないだろうしな。運動場を使うやつもいない。あいつら、それもわかったうえで…」

 そう言いながら座り込んだ。

 倉庫の中は薄暗く、息苦しかった。至る所に、授業や部活で使うボール等の用具が置いてある。

 春原の顔には傷跡がありそれが生々しく思えた。制服も汚れている。

「松野さん、大丈夫?」

 私はさっき男子にされた行為を思い出した。身震いがしてくる。また身体中が痛い。パニックになるのを抑えるため、私はカッターを取り出し、刃を腕にあてようとした。

 それを見た春原は、私の腕を強く掴んだ。

「やめろよ!そんなことしても楽にはならない!こっちにカッター渡せ!」

「ごめん、切らせて。切らないと死んじゃうの。これだけが私の生きる手段なの。だから、離して。お願いだからほっておいて。痛ければ忘れられるから」

 春原は手を離さなかった。

「自分で自分傷つけようとするやつを目の前で見て、何もせずにいられるかよ。他人に関心なくなったとはいえなあ、おれだってまだそれくらいの心は持っている。お願いだからカッターをこっちに渡してくれ」

 春原につかまれた腕が痛くなってきた。それでも、私はカッターから手を離せなかった。すると、春原は私の腕をつかみながら、カッターを無理やりうばい、遠くに投げた。カッターの刃で手を切ったのだろう。春原の手から血が流れた。はあはあと肩で息をしていた。

 私はその姿にはっと我にかえった。春原は痛そうに手を押さえていた。

 しばらくは、お互い何も言わなかった。

「ごめん…」

 春原がようやく口を開いた。

「腕、痛くなかった?」

「私より春原君のほうが…」

「気にしないでくれ。見た目ほど痛くない」

 春原はしばらく、手を押さえ血が止まるの待った。私はいたたまれない気持ちになり、謝ることもできなかった。

「やっぱりだめだな、おれ、こんなことに松野さんを巻き込んでしまって。松野さんを傷つけて。やっぱりもっと遠くの高校に行くか、高校に行くのをやめるべきだったかな」

 春原はそう言うと、深くため息をついた。そして、倉庫の中を見渡した。

「あそこに窓があるけど、人が出るのは難しそうだな」

 小さな窓があったが、春原の言う通り、人が出るには小さいように思えた。

「スマホとか持ってる?」

 私は首を横に振った。

「明日、誰かが開けてくれるのを待つしかないか。おれ、今一人で暮らしているから…といって、親と暮らしていても気にかけてはくれないだろうしな。松野さんの家族は…」

「申し訳ないんだけど、私の親も私に関心がない。前、一晩中帰らなくても、何の心配もしてくれなかった」

 春原は、そうか、と言って腰を下した。

「松野さん…」

 春原が心配そうな声で「おれのこと怖くない?」と聞いた。

「おれが嘘ついていて、噂が本当のことだったらとか思わない?」

「怖くはないよ。私は春原君の言うことを信じる。あの日、話してくれたこと嘘には思えなかった」

 私はそう答えた。

 ありがとう、と言う春原の声が聞こえた。

 さっき、春原につかまれた場所がまだ痛い。でも、それは不思議と嫌な気持ちではなかった。

 昔のことを思い出す。

 中学生の頃、スカートをめくられ下着も見られた。その時、私は生理で、下着に血がにじんでいた。リストカットの後も見られた。それを見て男子は笑った。後ろにいた女子も大笑いしていた。

―そんなことするなんておかしいんじゃないの。気持ち悪い。

―しばらく松野さんのあだ名はリスカね。

―自分かわいそうです、アピールのつもり?なんかムカツク。

 その後、汚いからと水をかけられた。私は濡れたまま家に帰った。

 行き場のない思いが身体中を駆け巡った。忘れよう、忘れようとしてきた記憶だった。でも、だめだ。記憶は忘れたようにみえても、どこかに蓄積されて、襲ってくる。

 身体が震えだした。必死で身体を押さえても止まらない。カッターで切ることはもうできない。春原から変に思われる。こんな自分を見せたくはない。そう思っていてもどうしようもなかった。

 すると、春原がこちらに近付いてきた。

 春原は、私の手の上に、自分の手を置いた。

 私が顔を上げると、春原と目があった。

「ごめん、不快だったら、振り払ってくれていいんだけど…。なんかの本に書いてあった。『女の子が不安がっている時は、そっと女の子の手を握ってやれ』って。こんなことぐらいしかできないから…。」

 おそらく、こんなことをするのは初めてなのだろう。照れたように言った。春原の手は大きく、私の手が隠れた。

 私はその手を振り払った。

 不快だったのではない。自分の身体が他人に言われないまでも、気持ち悪いのは、よくわかっていた。私の身体を触ることで春原が汚れてしまいそうだったから。私にそんな権利はないと思ったから。優しさに温かさに私は慣れていなかった。

 昔、読んだ本を思い出す。虐待を受けていた少女の話。少女は心優しい青年に助けられるが、少女はその優しさになれることができず、青年の家を飛び出してしまうのだ。その少女の気持ちが今なら痛いほどよくわかる。

 春原は自分の上着を私の肩にかけると、先ほど座っていた場所に戻った。それでいい。その距離が丁度いい。

「大丈夫…なわけないよな。あんなひどいことされて。おれがもっと強ければ、松野さんだけでも逃がしてあげられたかもしれないのにな」

 春原はつぶやくように言った。

 春原も傷ついているだろう。あんな奴らに犯罪者扱いされて、殴られて、蹴られて。でも、私のことを心配し続けてくれる。

「松野さん」

 春原が私の方を向いた。

「あいつらはあんなこと言ったけど、おれは松野さんが気持ち悪いとは思わない。松野さん言っていたよな。これだけが私の生きる手段って。松野さんが必死に戦い続けていた証には違いない。だから、リスカ以外に心が楽になることを探していこう。今まで松野さんに対して不愛想だったおれがこんなこと言う権利ないかもしれないけど…。例えば、本を読んでみるとか、面白そうな本なら紹介できるから」

 春原の言葉は私の内部に染み渡るように入ってきた。それでも、私はその優しさを受け入れることができない。

「だめだよ。私なんかのことで春原君に迷惑をかけたくない。それに…私は本を読まないんじゃない、読めないの」

 空気が重くなる。何を言ったらよいか分からないのだろう。春原が困惑した表情をしていた。その表情を見ているうちに何かを喋らなければ悪いような気持ちになってきた。 

「気持ち悪くないって言ってくれてありがとう。2年前からなの。身体が破裂しそうで怖くて、切ったらほっとした。無視された時も、水をかけられた時も、変なあだ名で呼ばれた時も。でも、よく考えてみれば、私が生きている理由って何もないんだよね。なんで生きようとしているのかな。もう心は死んでいるようなものなのにね」

 私は言葉を続けた。

「春原君言ってたよね、本が生きる理由だって。私もそう思っている時があったよ。世界中の本を読みたかった。手に取って、ページをめくりたかった。でも、私はそれを手放した。もちろん、小説だって書けなくなった。私は…私の書いた小説でお姉ちゃんを殺した。私がいなかったら、お姉ちゃんは死ぬことはなかった。親も悲しまずにすんだ。死ぬのは私で良かった。私が…いなくなれば、私さえいなかったら家族は平和に暮らせた。学校だってそう。私さえいなくなれば、教室はもっと明るくなる」

 頭の中がぐちゃぐちゃで、話せない。過去と向き合うことが怖い。押しつぶされそうで、飲み込まれそうになる。また、何かが襲ってきそうだ。

「春原君がうらやましい。生きる理由を持っているから。私には何もない…。生きる理由もないのに、生きる資格なんてない。もう、いなくなりたい…」

 春原が近づいてくる。

「もういい、一気に話そうとするな。話なら何時間もかかっても何日かかってもゆっくり聴く。支離滅裂でもいい、泣き叫んだっていい。だから…」

 私の肩に手を置きながら

「生きる理由がないなんて言わないでほしい。おれは松野さんに生きていてほしい。自分を見捨てないでほしい。今度、松野さんを傷つけるやつがいたらおれが全力で守る」

 春原の目を見ているうちに、私は涙が出てきた。春原も泣いていたからだ。涙を止めることができなかった。それはずっと誰かに言われたかった言葉だった。

 春原は何も言わず私の手を握り締めた。私はそれを振り払えなかった。温かさを少しでも感じたかった。

 春原の手に私の涙が落ちた。春原はそれを拭こうともせず、私の手を握り続けてくれた。

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