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もう、本は捨てない  作者: まき乃
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姉のこと

 目を覚ますと保健室のベッドに私は横たわっていた。保健室の教師の姿が見えた。

「目を覚ました?」

 教師は、私の顔を見て安心したように言った。

「春原君っていう子が連れて来てくれたのよ。カッターを使う作業をしてたら間違って腕を切ってしまって、それに驚いて倒れたってね。春原君が絆創膏貼ってくれたみたいで、もう血は止まっているみたいだし、気分が良くなるまで寝てていいわよ」

 教師の名前は斎藤と言った。まだ20代後半くらいだろうか。この学校の保健室に入ったのは初めてで、教師の顔も初めて見た気がする。優しそうだ。

 中学の時の教師は厳しく、保健室登校を許さない方針だったので、保健室を頼ることはできなかった。そのせいだけではないかもしれないが、中学3年のクラスには不登校児が2人おり、卒業式にも参加しなかった。

 私は気分が良くなったと言って、保健室を出た。ジャージを上から羽織った。


 校門の前で春原が待っていた。春原は、手を差し出し鞄を渡すようにと言ったので私は大丈夫だと答えた。

 いいから、と言って半ば強引に、鞄を持ってくれた。

「松野さん、バス乗って登校してる?電車?」

「徒歩だけど」

「それなら、送っていくよ。松野さんが倒れたのおれのせいだし…」

 私たちは黙って歩き出した。春原は3歩くらい先に歩いた。

 この状況を学校の人たちが見たらどのように見えるのだろうか。やっぱり噂は本当だったと、ほくそえんで、また噂を流すのだろうか。

 どうでもいい、なるようになれ。私はそんな気持ちになった。

 いつも学校から一人で帰っていた。高校だけではない。小学校、中学校の時から私は一人だった。小学校の時は寂しい気持ちもしたが、段々慣れていった。そして、その方が楽だと感じるようになった。

「ここまっすぐ言ったとこ?」と春原が言った。

 私はうなずいた。

「ここまででいいよ。ごめんなさい。何だかいっぱい迷惑かけっちゃって」

「いや、全部、おれのせいだから」 

 春原は、通学鞄を渡しながらいった。

「さっき言った本のことだけど、あれは忘れてほしい。おれが間違っていた。もう、プライベートなことに踏み込まない」

 じゃあ、と言って春原は去っていった。その後ろ姿を私はしばらく見つめた。心のどこかで振り向いてくれることを期待していたのかもしれない。


 なんとなく、すぐに家に入りたくなくて、家のすぐ近くにある公園で時間を潰す。もう子どもたちの姿はなかった。

 幼いころ公園に行くと、いつも私は砂場の隅で山を作っていた。隣でおままごとをしていた子どもたちが私を仲間に入れてくれることはなく、見えない線が引かれているようだった。

 私が言えば仲間に入れたかもしれない。でも、断られるのが怖くてなかなか言えなかった。勇気を出して声をかけようとした時には、その子たちはおままごとをやめて、別の遊びをしていた。

 ボール遊びをしていた子たちのボールが私の足元に転がって来たことがある。私はそのボールを拾い、その子たちに渡した。「ありがとう」と言って、その子たちはまた遊び出した。

 仲間に入れてくれることを他人に頼っている自分が嫌になり、公園にはあまり行かなくなってしまった。


 ただいまも言わず家に入った。母はリビングでテレビを見ており、父はまだ帰っていなかった。

 机の上に置いてある千円札を手に取る。夕飯はこれで食べろということらしい。食欲がなかったので、何も食べる気はなかった。

 制服を洗うことも考えたが、予備があることを思い出しやめた。休日にゆっくり洗えばいい。

 傷を両親に見せるつもりは、まったくなかった。心配もしてくれないだろう。

 私は2階に上がり、自室ではなく、姉の部屋に行った。

 色あせた教科書やシワ一つない制服を見続けた。私は姉のベッドに座り姉のことを思い出す。


 姉、綾乃は完璧な少女だった。

 勉強、運動、何をやらせても少なくてもクラスで三番以内には入っていた。勉強ができるだけではなくクラスの行事では常にまとめ役で、姉がまとめたらいつもクラスは団結した。教師たちからは当然のように重宝された。容姿も幼い頃は可愛らしく、中学生くらいからはきれいだと言われるようになった。性格も優しくほがらかで、姉がそこにいるだけで、周囲に光が差し込むようだった。活発な子にも、大人しい子にも姉は好かれた。

 それに比べたら私は平凡、いや平凡以下だったかもしれない。勉強はそこそこ、体育は全然だめだった。性格は引っ込み思案で、何か一言を喋るにも苦労をした。友達はできず、学校ではずっといじめられっ子。表情を上手くつくることができず、何を考えているかわからないと言われた。

 両親は当然のように姉をかわいがった。姉には常に笑顔を向け、私にはいつもため息をついていた。

 ある時、両親の会話を聞いたことがある。

「綾乃はあんなに優秀なのに、どうして理央はああなのかしら」

「差があるのは仕方ないが、あれはちょっとひどいな」

「学校でいじめにあっているらしいけど、あれじゃ仕方ないわよ。同級生だったら私でもいじめたくなるもの」

「心配なのは、理央がいることで綾乃が苦労することだよ。綾乃も可愛そうにな」

「綾乃は優しいから理央のことも見捨てられないわよね。あの子がいなければ完璧な家族なんだけど」

 まだ小学生だった私は、その言葉に傷つきながらも、その通りだと思った。父は会社を経営しており、順調な売り上げだった。母は大手の会社で秘書をしており、仕事と家事を完璧に両立させていた。二人とも同じ有名大学の出身で成績もトップクラスだったらしい。家族の中で私だけが浮いていた。

 私も最初は努力をしようとした。でも、努力をしてもそれは結局空回りして、両親やクラスメイトをいらだたせることになった。

 姉のまねをして学級委員になった時も、クラスはまったくまとまらず、教師にも叱られてばかりだった。

 姉は私のことを何度もかばってくれた。

 テストで満点がとれず、母親に叱られる時も、母親をなだめ、私を励ましてくれた。

「大丈夫よ、また次がんばればいいんだから」

 でも、私は姉の優しさに答えることができなかった。私がテストで満点をとれたことはなかった。

 唯一、姉に勝てることは読書だった。小学校の図書室の本はジャンルとはずにほとんど読んだし、市内の図書館でも本を一日おきに借りていた。

「本なんか読まずに勉強しなさい。だからあなたは綾乃のようにできないのよ」

 両親は私にしょっちゅう言っていたが、それでも私は隠れて本を読み続けた。目が悪くなっても構わないとすら思った。本の世界こそが私の居場所であり、生きる理由だった。世界中の本を読むまでは死ねないと本気で思っていた。

 小学校で自分の将来の夢を絵に描くという授業があり、私は迷うことなく、小説家と書いた。私は熱心に自分の将来の姿を描いた。授業中だけでは足りなかったので、家に持って帰り描いていると両親はそれを見て描き直せといった。

「そんな、恥ずかしいこと描かないでちょうだい。ただでさえあなたは綾乃の足を引っ張っているのよ。小説家は成功するかしないかわからない職業なの。綾乃ならともかくあなたが成功するわけないじゃない」

「そうだぞ、叶わない夢を描いたって、どうするっていうんだ。すぐにまともな職業に描き直せ」

 と言って絵を破いた。「医師か先生にしなさい」と言われた。その通りにせざるを得なかった。

 翌日、その絵が貼りだされた。私は小学校の先生と描いた。私の絵を見たクラスメイトが「松野さんが先生のクラスやだなあ」と言った。

 そりゃそうだろう、私だってそう思う。

 私は何にもなれない、そう思った。

 私は周囲の人間たちのそんな扱いに慣れていった。周囲に対し怒りを抱くこともなくなった。涙を流すこともなくなった。私が慣れてしまえば、あきらめてしまえば、何事もなく物事は進んでいった。


 13歳の時、あの小説を書くことがなければ…。 


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