過去
教室を片付けて春原と一緒に部室へ行く。私のクラスでは、文化祭の打ち上げをやっているらしいが、そんなことはどうでもいい。
「呼び出してごめん」
春原はそういうと、窓ぎわに立った。私は座ろうか、座るまいか迷ったが結局立ったままでいた。
「なんかおれの噂、聞いたことある?正直に言ってほしい」
私は少し迷ったが「クラスの女子が春原君のことやばいって言っているのは聞いた」と答えた。
「そうか、やっぱり伝わってるんだ。そうだよな。今は、塾とかSNSとかで自分の学校外のやつらとも付き合えるもんな」
春原は深くため息をつくと、話、長くなるから座ってと言った。私は春原から離れた場所に腰を下ろした。
今のおれからは想像できないと思うけど、小学校、中学の時のおれは自分でも結構イケていたと思う。友達も多かったし、成績も良かった。茶髪だったけど、不良っぽいところはなかったから先生からも気に入られていた。体育祭や合唱コンクールでおれは重宝された。クラスをまとめる力があるからな。言うの恥ずかしいけど女子から告白されたことも何回かある。そんなおれを両親も愛してくれた。
中学3年の4月におれは、同じクラスのある女子生徒から告白された。その女子は成績も優秀でおれと同じで友達も多かった。一緒に学級委員もやったことがある。見た目も可愛くて男子にも人気があった。告白するやつもいたんじゃないかな。
告白された時、おれは断った。彼女をつくるとかそういうことに興味がなかったしな。それを遠回しに言ってやんわりと断ったつもりだった。女子もそれなら、と納得してくれたように見えた。
でも、そこからがおれの地獄の始まりだった。
土日が終わった月曜日、クラスでおれが「おはよう」と言っても返してくれるやつが一人もいなかった。ふざけているだけだと思い、なんだよ、と言ってやりすごそうとしたが、おれを見る目線が気になった。何か怒りを含んでいるかのような目だった。特に女子からだ。そして、おれに告白した女子が学校に来ていなかった。それが気がかりだった。そうしているうちに、おれは担任に呼び出された。その担任教師とおれは比較的仲が良かったが一緒に歩いている間、担任は何も言わなかった。
生徒指導室に行くと、生活指導の教師と教頭が待っていた。重い空気だった。そして、担任が口を開いた。
「××(告白した女子生徒)は、今日休んでいる。心当たりはないか」
おれは、ありません、と答えた。告白はされたが、そんなことは、教師たちに言う必要はないと思ったからだ。
「ふざけるな!白を切るつもりか!」
いきなり、生活指導の教師が立ち上がった。まあまあと担任がなだめると
「××がお前に暴行されたと言っているのだが…。本当のことか」
おれは言葉を失った。どうして、こんなことになっているんだ?激しく否定すると担任は言った。
「しかしなあ、××の言っていることは具体的で嘘を言っているように見えなかった。××が言うところによれば、先週の金曜日の放課後、お前は××を呼び出し、付き合ってほしいと言った。だが、××は勉強を優先したいと言って断った。そうしたら、お前が××を押し倒し、カッターを突き付け、言うとおりにしないと顔を切るぞと言ったという。××はとりあえず、うなずきその場を離れたが、その恐怖で、すぐには親にいうことができなかった。昨日、ようやく親に話すことができ、今日を迎えたのだが…」
嘘だらけの担任の言葉にパニックになりそうだったが、絶対にそんなことはしていない、とおれは何度も言った。でも3人は疑いの目を続けた。
「とにかく、今日、××のご両親とお前のご両親に来てもらって、話し合いをするから、お前も放課後、またここに来るように」
やっと解放されたおれは教室に戻った。クラスのやつらは白い目でおれを見続け、無視し続けた。おれは誰かに話しかけてほしかった。罵声でも良かった。そうすれば、違うと叫べるからな。授業も上の空で、何も聞こえなかった。他の教師たちも事件ことを知っているだろうと思ったら、寒気がしてきた。
放課後、生徒指導室に行くと、おれの両親が、××の両親に必死に謝っていた。おれを見ると両親は「どうして、こんなことをしたんだ」と震える声で言った。
おれはやっていないと言った。両親だけは自分のことを信じてくれると思ったからだ。
「じゃあ、私たちの娘が嘘をついているというの!」
××の母親が興奮した声をおれに投げつけた。××の母親は今にもおれに殴りかかりそうだった。その姿に恐怖を感じ何も言えなくなった。そんな母親を××の父親は手で制し、冷静な声で語りかけた。
「春原君だったね。君のことは娘から聞いていたよ。成績優秀で友達も多くて、君がいればクラスがまとまるとね。娘は君のことが好きなんだろうと思った。それをからかうと、『中学校で彼氏をつくる気はないから』と笑って受け流した。だから、君からの告白も断ったのだろう」
××の父親は一呼吸置き
「私は君を許さない。君は娘の心の一部を殺した。それが戻ってくることはないだろう。しかし、娘は優しい子だ。君の人生を壊したくないと言った。なので、今回のことで君の転校は望まないとのことだ。もちろんクラスは別にしてもらうが、今後、娘にかかわったらどうなるか、わかるね」
淡々とした声は遠くから聞こえてくるようだった。××の母親は泣き崩れ、おれの両親はずっと下を向いていた。
家に帰ると父親は俺に向かって言った。
「いい息子に育ったと思っていた。だけど、それは嘘だった。もうお前のことは信じられない。警察沙汰にならなかっただけでも良かったが、お前のしたことは許されることではない。これから、もうお前を息子だとは思わない。世間の目があるから高校までは面倒をみるが、後はなんとかしてくれ」
もう、おれは何を言っても無駄だと思った。そして、おれのことを信じてくれなかった両親に絶望した。こんな親におれは育てられていたことが悲しかった。
次の日からおれは教室が変わった。教室でおれはしばらく無視し続けられた。それが続くならまだ良かった。
ある時、元同じクラスのやつらにトイレに連れて行かれた。さっき文化祭で来たやつらだ。
「悪く思うなよ。これは正義だ」とやつらは言った。
「××が受けた辛さをお前も体験しなきゃいけないよな」
やつらはおれを思い切り突き飛ばし、腹を蹴った。
「おれたちは思いやりがあるから、カッターで傷をつけはしねえよ。安心しな」
そう言って顔も殴られた。それが卒業まで何度も続いた。
辛かったのはそれだけではなかった。学校内では、おれの噂が、尾ひれがついてどんどん広がり、最終的にはおれが××に性的な暴行を加えたことになっていた。教室の机には何度も「死ね」や「犯罪者」と書かれた。
教師たちもそれを知っていたはずだが、見ないふりをした。誰も面倒には巻き込まれたくないだろうし、おれのことを犯罪者と思っていたから、そいつらのことを黙認してたんだろうな。
親も傷だらけで帰ったおれを見て、何も言わなかった。
転校させないのは××の思いやりだと父親は言ったが、それは違う。××はおれに地獄に落とそうと思ったんだ。
おれは××に何をしたか必死に考えた。ここまでされることをしたのか?告白を拒否したことがそんなにショックだったのか?
事件の後、1度だけ廊下で××と目があった。××は申し訳なさそうな顔をするわけでもなく、笑うでもなく、ただ、おれを眺めていた。その姿に吐き気がした。
死にたいと思ったことは一度ではなかった。何度か学校の屋上まで行ったこともある。踏切で電車をずっと眺めていたこともある。でも、結局死ねなかった。
家にも学校にも、おれのいる場所はどこにもなかった。多くの人に囲まれながら、おれは一人だった。誰も守ってくれなかった。
そんなおれの支えになったのは図書館だった。どこにも居たくなかったから、学校終わりと休日には図書館に居た。そこで、本を読むことに没頭した。文芸書、エッセイ、絵本、なんでもいい。手当たりしだい読んだ。幸い、図書館で学校のやつらと会うことはなかった。
こんなことになる前は、本を読むことがこんなに楽しいことなんて思いもしなかった。本を読むよりも友達と話したり、遊びに行く方がいいと思っていたし、流行りになった本以外は読んだこともなかった。
おれは思った。本を読めるうちは死ぬことを辞めようと。読書がおれの生きている意味になった。
そのうち、学校でも家でも本を読むようになった。授業中も読んだ。教師たちはおれを無視していたから、注意しようとしなかった。
高校生になって、親はおれを一人暮らしさせた。犯罪者の息子と住みたくなかったんだろう。かえってありがたかった。本を置く場所がたくさんできると思った。
「あいつらが言っていたように、学校をここにしたのも中学のやつらがいないと思ったから。中高一貫校だったから、ほとんどが内部進学だしな。けど、あんまり意味なかった」
春原は話を止めた。外は日が落ち、空がオレンジ色に染まっていた。それが、少し不気味に見えた。
「まあ、松野さんに黙っていても良かったんだけど、あんな場面見られたら、また誤解されるかもしれないし」
私は何を言ったら良いかわからなかったので、黙っていた。何かを言うべきなのかもしれない。でも、自分が何か言ったところで春原には、何も響かないだろう。
「さっき、言ったけど本を読むことでおれは救われた」
だから、と春原は一呼吸置いて言った。
「申し訳ないけど、読書をしない松野さんのこと、おれはあまり信用していない。本を読むことを否定されたら、おれは生きている意味がなくなる。今までと同じようにおれにあまり構わないでほしい。部員でいることはいいけど、親しくなるつもりもない。まあ、松野さんだけじゃなく誰のことも信用していないんだけどね」
春原はそう言うと、時間をとらせてごめんと言い部室を出て行った。
私は一人部室に取り残された。部屋中の本たちが私の方を向いているようだった。