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もう、本は捨てない  作者: まき乃
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進路

 部室に入ると春原が大学のパンフレットを読んでいた。よく見るとそれは福岡のものだった。

「やっぱり、叔父さんのところに行くの?」と私は尋ねた。

「いや、少し気になって読んでいただけ」とパンフレットを閉じた。

「高校、なんか、時がすぎるのが早かった気がする。この前、入学したような気がするもの」

「まだ、終わってないだろ。高校3年の6月だぞ。夏休みも終わっていない」

 春原が笑いながらそう言った。

 春原はそう言うもののクラスの雰囲気が変わったことは確かだ。クラスも理系、国公立文系・理系、私立文系などと分けられ、皆の目の色が変わった。夏休み後は、もっと張りつめた雰囲気になるはずだ。

 私は私立文系コースで春原は国公立文系コースだった。

「理央はどの私立大学に行くんだ」

「まだ、決めてない。できたら、小説を書くための訓練となるようなところに進みたいけど」

「小説を書くためには色々なものを見ておいた方がいいから、ちょっと変わった学部に入ってもいいかもしれないしな。大学を卒業して働きながらでもいいだろうし」

 そうだね、と私は言う。小説を書くためには経験も必要だ。社会に出て就職しながら書くのもいいだろう。しかし、人間関係を構築するのが苦手な自分に、そんなことができるだろうか。

 そんなことを考える日が多くなっていた。


 放課後、春原は部室に居なかったが、竹本美雪が来ていたので、進路について話をした。

「私は今のところ専門学校に行こうと思っています」

「イラストの勉強するの?」

「それも、あるんですけど、私、漫画家になりたいと思い始めたんです。文芸部に入って色々な本を読んで、物語って、やっぱいいな、と思って。それでなんですけど、お互い卒業して、時間ができたらコラボしませんか。先輩が書いた物語を、私が漫画にするんです。一回、やってみたいんですよね」

 竹本美雪の言葉に思わず笑ってしまったが、そういうのもいいかもしれないと少し思った。自分が書いたものを、漫画でどう描かれるのか興味が沸いてきた。


 帰宅途中、公園のベンチに座る。なんとなく一人で、色々なことを考えてみたかったから。

 高校卒業後は家を出る。それは自分の中で決めていた。父にもそのことを言ったらあっさり了承してくれた。そして、大学卒業まではお金の面倒を見ると言ってくれた。一度、親とは思わないといった父に、お金を出してもらうのはどうか、と少し悩んだが、結局は甘えることにした。ただ、生活費の一部だけでも自分でなんとかしたかった。今後の自分のためにもアルバイトをした方がいいだろう。

 あっという間に日が落ちていた。そろそろ帰ろうかと立ち上がった時、隣のベンチに女の子が座っていた。

 小学校低学年くらいだろうか。ずっとうつむいている。少し、昔の私に重なって見えて声をかけた。

「大丈夫?お家帰らなくていいの?」

 その子が顔を上げた。いきなり声をかけてきた私に警戒しているようだ。

「ごめんね。私もよくこの公園に一人でいたから心配になって…」

 子どもと話したことはあまりない。私も緊張し、自分でもわけがわからない言葉を言ってしまった。どう言おうか悩んでいると、その子が「家に帰りたくない」と言った。

「どうして?」と尋ねると

「テストで100点とれなかったから…」と小さな声で言った。

「テストで100点とれなかったら、怒られるの?」

 その子は少しため息をつきながら言う。

「私は100点をとらないとかわいがられない。妹はかわいいから勉強できなくてもいいけど」

 その子の話を要約すると、彼女は双子の妹がいて、その子は活発で容姿も可愛らしく、皆から愛されているらしい。しかし、その子は大人しく、笑顔でいることが苦手なため、勉強ができないと親は褒めてくれない、とのことだった。

「お母さんとお父さんは、あなたのこと、かわいくないって言うの?」

「言わないけど、わかる。目のかんじとか、はなしかたで」

 時に動作は言葉以上に重要な意味を持つ。それは、小さな子どもでも、いや、小さな子どもだからこそわかるのかもしれない。

 私はこの子にどういう言葉をかけたらいいか悩んだ。悩みを聞いた以上は何かしなければいけないが、「気にしない方がいいよ」と言ったような言葉がこの子の救いになるとは思えなかった。

「お姉さんにはきょうだいいる?」

 その子が言った。

「いた…いるよ。お姉ちゃんが」

「どんなお姉ちゃん?」

「私のお姉ちゃんもね、可愛くて、しかも頭の良くて、何をやってもできる人だった。友達も多くて、人気もあった。私とは正反対」

 私は正直に話した。その子は私の言葉に興味を持ったようだった。

「だから、私もいつもお姉ちゃんと比べられていた。辛かったし、お姉ちゃんのこと嫌いになった時もあった。そんな自分のことも嫌いだった。でもね」

 自分に語り掛けるように言う。

「色々なことがあってわかったんだけど、みんな違う考え方を持っていて、何が好きか、嫌いかも違う。私を嫌いだった人もいたけど、好きになってくれた人もいた。だから、あなたのことを好きと言ってくれる人もいると思うし、そのままを受け入れてくれる人もいると思う。私はあなたよりも少し長く生きているから、それだけは言いたい」

 無責任なアドバイスだ。それで、この子の抱えている問題が何一つ解決したわけではない。かえってよけいに混乱させてしまったかもしれない。

 でも、これは今の私の精一杯だった。小説を書けるようになったらもっとましな言葉を言ってあげられるのだろうか。

 その子が何かに気が付いたように顔を上げた。

「お母さんだ」

 その子はベンチから立ち上がり駆け出した。あっという間に母親の元へ着くと、母親から何か言われているようだったが、しばらくして手をつないで帰った。

 少し私の方を見てくれた。私はその子に小さく手を振った。

 きっと、あの子は大丈夫だ。


 7月になり、あともう少しで最後の夏休みという日の放課後、春原が体育倉庫の前で立っているのが見えた。近づくと「遠い昔のことみたいだな」と春原が言った。

「2年前くらいだっけ。ここで二人で閉じ込められたの」

 私はうなずいた。

 春原の言葉を思い出す。

―生きる理由がないなんて言わないでほしい。おれは松野さんに生きていてほしい。自分を見捨てないでほしい。今度、松野さんを傷つけるやつがいたらおれが全力で守る

 春原はその言葉の通り、私を守ってくれた。そして、私は遠回りして遠回りして生きる理由を見つけることができた。

「春原君…。私はあの時より強くなれたと思う。春原君のおかげだよ。ありがとう。何度言っても足りないよ」

 春原は首を横に振る。

「おれのおかげではない。理央が強くなれたのは、元々、持っていた力と、理央の意思の強さだ。おれ自身も成長できた。あんなことをした、あいつらのことは今でも許してはいないけど、この場所で理央と本音で話したことがきっかけだったのは事実だ」

 春原が私に向き合って言う。

「理央、おれはやっぱり福岡の大学に行くことにした。叔父さんのところへ行ってゲストハウスも手伝ってみたい。将来、何になるとかは決めていないけど、そのために色々なことを経験したいと思う」

「それがいいと思うよ。あの叔父さんのところなら春原君は楽しいと思う。福岡はいいとこだよ。きっと」

 私は笑いながら言った。

「理央、本当にそう思うか」

 春原が少し寂しそうな顔をして言う。私はそれを不思議に思いながらうなずいた。

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