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もう、本は捨てない  作者: まき乃
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文芸部

「松野」

 担任教師の入間から声をかけられたのは夏休みあけの9月だった。

「頼みたいことがあるんだ」

 入間は現代文の担当教師だ。教え方は厳しく、課題を多く出すといった一方で、服装や校則などには寛容で、生徒にはあまり嫌われていなかった。教師の中には、教え方は下手なくせに、生活指導にだけ厳しい者もいる。

「松野は、現代文の成績いつもいいよな。特に文章で書く問題、簡潔でわかりやすい」

 頼みとは何ですかと私が聞くと

「そこでな、文芸部に入らないか」

 入間の話を要約すると、この学校には文芸部がある。昔は全国コンクールに出場し、賞をとるなどの成績を残したが、今は部員が入部せず、廃部寸前とのことだった。今はなんとか最低限の部員である5人を保っているが、念のためもう一人ぐらいは確保したいらしい。

「他の部活と掛け持ちが多くてな、幽霊部員がほとんどだ。おれも色々と忙しく指導する時間はない。活動は月に一度、新聞部の新聞にコラムを書いたり、個人的に作品を応募するくらいでな。そこまで負担にはならないと思うのだが…」

 私は部活に入っていない。クラスの中で部活に入っていないのは私一人だけだった。入間はそれを見て気を使ってくれたのかもしれない。

「部室があるから見学だけでも行ってみないか。文芸部の部室だけあって本はたくさん置いてある。松野は本が好きだろ。あんな良い文章を書けるのだから」

 はあ、と私は言葉を濁した。

 

 文芸部の部室は、部室が並んでいる教室の隅に合った。日のあたらない場所が今の文芸部の状況を表しているようだった。

 運動部の女子とすれ違った。彼女たちには私の姿など見えていないのだろう。がやがやと喋りながら階段を下りて行った。

 部室のドアをノックすると、しばらくして男子生徒が顔を出した。

「部室にはたぶん、春原健人ってやつがいる。あいつは文芸部だけしか入っていない。いつも部室で本を読んでいる。髪は茶髪だが、あれは地毛だ。校則違反をおかしているわけではない。髪を染めろという先生もおられるようだが、おれはそれに反対だ。生まれつきのものは仕方ないものな。それに、染めるなという規則なのに、黒には染めていいというのは矛盾している。無口であまり喋らないが悪いやつではないから」

 入間が説明しないまでも春原健人の存在は有名だった。校則が厳しいこの高校において、明るめの茶髪である春原は異質の存在だった。白い目で見る教師もいるだろう。生徒もあまり春原のことを良く思っていないようだった。私は密かに同情していた。

「松野…さん?」

 私はうなずくと、部室に入った。

 部室には本がぎっしり詰まった本棚があり、壁には賞状が何枚も飾ってあった。小説部門、俳句部門等、色々なジャンルで賞をとっていた。昔は良い成績をとっていたことは本当だったらしい。

「入間先生から無理やり入らされたんだろ。おれもそうだから。教室で本読んでたら、本を好きなだけ読める部活があるぞ、と勧められた」

 そう言いながら春原は、腰を下ろした。

 改めて春原を見る。明るい茶髪だが、制服を着崩しているわけでもなく、どちらかというと真面目な印象を受けた。黒髪にさえすれば、教師からのうけも良くなるのではないかと思った。身長は高く、運動部に所属していてもおかしくないような体つきだ。悪いやつ、という印象も受けなかった。

 ただ、私は異性と話すのにあまり慣れていないので、少し緊張していた。

「入間先生から聞いたと思うけど、部員はおれを含めて5人だけ。後の4人は幽霊部員でほとんど来ないから。活動内容は月に一回、新聞部でコラムを書くことと図書室で好きな本を展示すること。まあ、先輩方が適当にやってくれているから、おれは入部して半年、何もしてないけど」

 私はあまり目を合わせずに「どうして、入間先生はそこまでして、文芸部を継続させたいの」と尋ねた。

 さあな、と春原は言った。

「昔、優秀だったらしいから、それを潰すのは惜しいんじゃねえの。まあ、昔のようになるのは難しいと思うけど。とりあえず適当に本を読んどいていいよ。本の種類は豊富だから」

 本棚を見ていると、夏目漱石や森鴎外といった日本の名著、海外の翻訳本など様々なジャンルに分けられていた。きっと昔はこれらの本を読み、活発な議論が交わされたのだろう。

 本の中に囲まれて、私は少し気持ちが悪くなってきた。多くの文字が私の目をくらませる。ここはあまりにも似ていた。昔の私の部屋と。本を手に取らない私の様子を見て春原が声をかけた。

「もしかして、松野さん。あまり本とか読まない人?」

 私はうなずいた。

「昔はけっこう読んでたけど、今は読んでいない。勉強とか忙しかったから」

「現代文の成績がいいって聞いたけど」

「あれは練習すればできるものだから」

 春原は、そうかと言い、黙った。その答えに少し絶望しているのかもしれない。私は話をそらすように「春原君はどんな本を読むの」と尋ねた。

「色々」と一言だけ春原は答えを返す。読書をしない私に興味を失くしたらしい。だが、その方がありがたい。

「入間先生は嫌いじゃないし、あまり活動しなくていいのなら、私は入部する。でも、私はこれからも本を読む気はないし、本について議論もできない。春原君はそれで大丈夫?」

「反対する理由はどこにもない。こっちだって読書を無理強いすることは一切しない。入間先生に言われて入部したが、本を自由に読めるという点で、この空間は気に入っている。廃部するよりはいいから入部してくれる松野さんには感謝したいくらいだ」

 そう、と言い私は部室を出ようとした。あまり、長居したい場所ではなかった。

「松野さんの下の名前、理央だっけ。どっかで聞いたことがあるけど、おれの記憶違いだよな」

 私は、そうだと思うと一言だけ言ってドアを閉めた。胸になにか、しこりができたような感じがした。


 翌日、学校に行くとクラスの女子たちの声が聞こえてきた。ひそひそ話にしているつもりだったのか、わざと聞かせたかったのかわからないが、どちらにしろはっきりと聞こえてきた。

「松野さん、入間先生に誘われて文芸部、入部したらしいよ」

「あそこ、幽霊部員だけでしょ」

「隣のクラスの春原って人も入っているよ」

「ああ、あの茶髪の人か。地毛らしいけど、目立つからさっさと黒髪にすればいいのにね。不愛想で、クラスで浮いているらしいよ」

「でもあの人ヤバイんでしょ。中学の時の噂、色々聞いたんだけど」

「何、それ知らない」

「後でゆっくり話すよ。教えてあげる?松野さんにも」

「いいんじゃない。あの人、クラスのことに興味なさそうだし」

「そうだよね、なんか何考えているかわからないし…正直、ああいう人嫌い」

「クラスの雰囲気悪くなるよね」

 春原がヤバイというところが少しひっかかったが、すぐに興味を失くした。あの部室にはほとんど行かないだろうし、春原と交流を持つこともないだろう。春原は私のことを好きになれないみたいだったし、自分とは違う人間と思っているみたいだった。


 クラスのことに興味がないということは本当のことだった。一人でいることが一番楽だったし、グループを組まなければならないという時も、ほとんどの教師は強制的に組ませたので悩む必要はなかった。意見を言い合う時も私はうなずくだけだった。それだけでその会は進んでいった。

 私自身が話す努力をしないのだから、クラスメイトが話さないのも当然のことだと思う。

 さっきのひそひそ話も、いじめだと思わなかった。私自身が聞かなかったといってしまえば、それで済む話だ。

 嫌い?それでかまわない。私だって私のことを好きではない。

 無理やり笑顔をつくり、人の輪に入っていこうとする努力はもうしたくなかった。

 望まなければ、一人でも寂しくも、苦しくもなかった。

 私は存在しないもの、そんな扱いでかまわなかった。


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