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もう、本は捨てない  作者: まき乃
18/25

春原の叔父

 夏休みが明け9月になった。私が文芸部に入部して1年になる。

 この1年を思い出す。あの時、春原と出会った時は、私は何も前へと進もうとしない臆病者だった。でも、春原がそれを変えてくれた。私のために泣いてくれ、怒ってくれた春原を見て、私は前に進むことを決意できたのだ。姉の死や両親の離婚とも自分なりに向き合うことができた。そんな自分の変化が素直に嬉しかった。


 春原と校門の外にでると、一人の男性が近づいてきた。紺色のTシャツにジーパンといった格好で、学校関係者ではなさそうだった。春原がそっちを見ると、足を止めた。

「叔父さん…?」

「健人、久しぶりだな」


 春原の叔父は関崎俊介と言い、春原の母親の弟にあたるらしい。春原の家で事情を聞き学校に来たということだった。

「姉さんからなんとか、お前の学校だけ聞き出してな、不審者扱いされるのを覚悟で、校門で待ってたんだ」

 とおどけたように言った。

「とりあえず、ゆっくり話したい。お前の家まで行っていいか?」

 春原は少し迷っているようだったが、うなずいた。


 春原の家に着き、関崎俊介と春原が向かい合うような形で座った。

 私は帰ろうとしたが「叔父に紹介したいから」と春原が引き留めた。

 関崎俊介は身長が春原よりも高かった。10年ほど前に福岡に行き、そこでゲストハウスを経営しているらしい。春原もそこに遊びに行ったことがあるとのことだった。

 春原と最後に出会ったのは春原が中学1年、13歳ごろであり、それ以来、連絡がなかったので、心配していたとのことであった。

「学校のこととかで忙しいと思っていてな。あまり、こちらから連絡しすぎるのも、悪いと思って…」

 関崎俊介は申し訳なさそうに言った。一つ一つの表情が春原に似ており、親族であることの証明になっていた。

 私は父にも母にも兄弟や姉妹がいないので、叔父や叔母、いとこという存在がいない。私はつい姉のことを想像してしまう。姉に子どもが生まれていれば、私は叔母になっていたのだ。

 関崎俊介は真剣な表情になり、春原に「姉さんから、その…。事件のことを聴いた。本当のことなのか?」と言った。

 春原は唇をかみしめる。何も言わない。

 きっと、怖いのだろう。また、信じてもらえなくなることが。大人たちの裏切りにあってきた春原にとって、それは仕方ないことだった。

 沈黙が部屋を支配した。

「叔父さんはどう思う?」

 やっと春原がうつむいたまま絞り出すような声で言う。

「おれがそんなことすると思う?」

 関崎俊介は身を乗り出した。

「そんなこと思うはずないだろ。じゃあ、やってないってことでいいんだな」

 春原はその言葉に顔を上げた。

「信じて…くれるの」

「お前をずっと見てきたわけじゃないが、お前が女の子を傷つけるようなやつじゃないことぐらいはわかる。優しい子だったもんな。おれの娘の面倒もよく見てくれた。姉さんから聞いた時も、絶対嘘だと言ったんだ。でも、姉さんは昔から強い者に逆らえない性格だったから、義兄さんの意見に同調してしまったんだろう。おれは怒ったよ。なんで自分の息子信じてやらねえんだってな。おれだったらお前を全力で守っている」

 私は春原の身体が震え出したことに気が付いた。顔を見ると涙が頬をつたっていた。

「辛かったな。今までよく耐えた」

 春原はせきを切ったように泣き出した。

 以外だった。春原が自分のことで泣く姿を見たのは初めてのような気がしたからだ。体育倉庫で私が泣いた時、春原も泣いてくれた。それは自分のためではなく人のための涙だった。

 私は少し迷いながら春原の背中をそっとさすった。それが意味のある行為かわからなかったが、何かしたいと思ったから。

 春原は泣きながら話す。事件の真相、周りの人間の変化、いじめ、他人が信じられなくなったこと、全てを話した。

 関崎俊介は黙って話を聴き続けた。

 春原が話し終える時には、もう窓の外が暗くなっていた。知らない間にずいぶん時間が過ぎたのだろう。

「信じてもらえないと思った…。大人にはもう…」

「そんなひどい目にあったのか。申し訳ない。姉さんに代わって謝らせてくれ」と言って、関崎俊介は頭を下げた。

「叔父さんが謝ることじゃないよ」と春原は慌てたように言った。

「確かに大変だったし、一時は誰も信じられなかった。でも、おれのことを信じてくれた本当の友達にも出会えた」

 春原がそう言って私の方を見た。少し照れて、私は目をそらす。

 関崎俊介は頭を上げ、私の方を見て微笑んだ。

 そして、空気を変えるように「何かうまいもんでも食べにいくか」と言った。


 3人で焼肉店に入った。今度こそ私は帰ろうとしたが、関崎俊介が「一人でも多い方が楽しいから」と言って半ば強引に誘われた。

 関崎俊介の話は面白かった。最近、息子が生まれたこと、福岡の食べ物がおいしいということ、経営するゲストハウスでの出来事等をテンポよく喋ってくれた。それは、私に本の話をしてくれる時の春原にそっくりだった。

 こんな風に食事をするのは初めてだった。幼い頃から食卓の場は反省会の場でもあった。学校生活のことなどを親に報告し、それに対して親が感想を述べるという形で進んでいった。正直、ご飯が美味しいと感じたことはない。

 また、姉のことを思う。姉にもこんな食事をさせてあげたかった。

 食事が終盤になり、関崎俊介は少し改まった表情で春原に「福岡に来ないか」と言った。

「もちろん、高校を卒業してからでいいんだが、お前のようなのが、ゲストハウスの手伝いをしてくれると非常に助かる。妻もお前のことが好きだし、娘だって今でも兄のように思っている。まだ、小さい息子もお前のことを気に入るだろう。お前はしっかりしているから一人でもやっていけるとは思うけどな。お前を家族の一員として受け入れたいんだ」

 春原は少し驚いたようにその言葉を聴いた。そして少し笑いながら

「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけど、進路のことはまだ、よく考えていないから」と言った。

「そうだな、すぐに決められることではないだろうし。まあ選択肢の一つとして頭に入れといてくれ。どこか大学に行きたい場合もおれに言ってくれ。学費は全て出す」

「それは、申しわけないよ」と春原が言うと

「いや、これは、お前に対するつぐないだ。おれができることは何でもやるつもりだ。遠慮なんてするなよ」

 春原は少し迷いながらもうなずいた。少し目が潤んでいた。「トイレに行ってくる」と春原は席を立った。

 春原がいなくなると、関崎俊介は私の方を向き

「健人を支えてくれてありがとう」と言った。

 私は少し動揺しながら

「私は春原君を支えていません。私が支えられている方です。色々なことがあって、私は春原君に助けられました。彼がいなければ、私はどうなっていたかわかりません」と言った。

 その言葉を聴いた関崎俊介は

「松野さん、人間はな、支える人がいて強くなれるということもある。そこに存在するだけでいいって人間も必要なんだ。松野さんの存在が健人にとって力になっているんだろうよ。今日の二人を見てそう思ったよ」

 存在するだけでいいという人間。私はそれになれているのだろうか。関崎俊介の話を聴いても、あまりピンと来なかった。

「私もお礼を言っていいですか。私が言えることじゃないかもしれないけど、春原君の話を信じてくれてありがとうございます。一人でも信じてくれる大人がいるって心強いから」

 関崎俊介はにこにこしながら「健人をこれからもよろしくな」と言った。

 

 関崎俊介と別れて、私は春原と二人で歩いた。

「良かったね、信じてくれる叔父さんがいて」

「うん、ごめんな。あんなに泣いてしまって」

 大丈夫、と私は言い、春原の涙を思い返した。

「もっと、広い視野でものごとを見ればよかった。早く叔父さんに相談しとけば良かった」

 春原はつぶやくように言う。

「どうするの?福岡に行くの?福岡はいいところに感じたけど」

 うん、と春原は少し歯切れの悪い反応だった。

「理央はもう進路とか考えているの?」

「私もまだかな…。将来、何になろうとか考えたことは…考えてないし」

「小説家は?昔なりたかった…というか、半分なっただろ」

「確かにそうだけど、今はろくに本も読めないんだよ。無理だよ」

 春原は足を止めた。

「無理じゃない」

 私の方を見る。

「おれの勘だが理央は絶対に、また、小説を読んで、物語を書けるようになると思う」

 その目は力強かった。


 家に帰るとリビングに父が居て、「今日は遅かったな」とつぶやいた。

「友達とその友達の親族の方とご飯を食べてきたの」と私は答えた。

「理央…。今度、お前の携帯を買うから、今度、遅くなる時は一言、連絡を入れなさい」と私の方を見ないで言う。

 今更、父親ぶっても遅いと思いつつ、「わかった」と言った。

 携帯を持てば、春原や野村あきらと連絡ができるだろう。それが少し嬉しかった。

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