文芸部OB
「OB?」
「ああ」
夏休みに入る直前、春原が入間から声をかけられたという。
「なんでも、ここを10年くらい前に卒業した生徒だそうだ。この賞状見て」
春原は部室に飾られている賞状を指さした。
「この楠田隆って人が今度、来るそうだ。入間先生いわく、仕事の関係でここらへんに来ることになって、そのついでに文芸部の部室を見たいんだってさ。懐かしくなったんだろうな?」
その賞状には「小説部門優秀賞」と書かれていた。いつも見ていたものだ。
「その人が書いた小説が、この本にあった」
春原はそういいながら、一冊の本を私に見せた。優秀賞、最優秀賞をとった生徒の作品をまとめた文芸集らしい。
「春原君はその作品、読んだの」
「読んだ。簡単に物語を要約すると、両親の離婚によって無気力になった女子高生が、昔の友人や病気の少年と出会うことによって再生されていくという内容だった。設定自体に弱さは感じたが、物語を作り上げようとする気持ちは感じた。上から目線で申し訳ないけど、嫌いな作品ではない」
心に傷を負った少女、少年の物語。小説の設定として珍しいものではない。私自身も本を読めていた時に、そのような作品をけっこう読んだし、実際、励まされたこともあった。傷つく子どもたちが多いからこそ、そのような物語は求められるのだろう。
「入間先生は、OBと話すのは勉強になるから話を聴いておいた方がいいぞって感じだったんだけど。どうする?」
私は少し迷った。知らない人と話すのはあまり得意なことではない。しかし、楠田隆になんとなく興味を抱いた。小説で優秀賞をとったのがどのような人物なのか、見てみたかった。
「せっかく、入間先生が言っているんだし、会ってみようかな。意外と外部の人とだったら話せるかもしれないし」
色々と話し合い、私たちは楠田隆と会うことになった。
楠田隆はネクタイを締めたスーツ姿で私たちの前に現れた。その姿は、見ている側が暑くなるようだった。
営業でここの地区を担当することになり、時間が空いたので、部室を見に行きたかったということだった。
私たちは簡単な自己紹介をし、春原が「今は残念だが、文芸部員の数も少なく、あまり積極的な活動をしていない」と告げた。
「それは、入間先生に聞いたよ。それは仕方がないね。時代によって学生の価値観も違うだろうし…。運の問題もある。僕らの時はたまたま、文芸に対して情熱をもった生徒がいたんだろうな」
楠田隆は懐かしそうに言った。
「部長や副部長が中心に、小説に関していっぱい語り合ったよ。先輩方の情熱に僕ら後輩は引っ張られていた」
私はその時代を想像する。生徒同士が本を持ち寄り、それに対し意見を言い合う姿。この部室にある本たちだけが、その歴史を知っているのだろう。
楠田隆は私の方を見た。
「さっき、間違えていたら、と思って言わなかったんだけど、松野理央さんって、あの『アキの友達』の作者かな…?」
私は、少し迷いながらうなずいた。
「そうか、僕もあの小説読んだよ。素晴らしい物語だ。なんて、才能のある子なんだろうって思ったよ。今でも小説は書いているの?」
その質問をされることが一番、嫌だった。書いていないといったら相手はけげんな顔をするだろう。しかし、理由を話したくはない。
「楠田さんは、今も小説を書かれているんですか?」
春原が私の気持ちを察したように、楠田隆に尋ねた。話をそらそうとしてくれたのだ。
その質問に楠田隆は少し困ったような顔をして笑った。
「今でも、書いている…って言いたいんだけどね。今は、物語らしきものは書いていない。書いているものは仕事関係の書類ばかりだ」
「お忙しいから、仕方ないですよね」
春原はいつもより愛想が良かった。
「忙しいのもあるんだけど、ちょっといろんなことがあってね」
楠田隆は、本棚を見ると、立ち上がりある本を手に取った。
「この本、読んだことある?」
本の題名は『いつかこの日の花を見る』。作者は女性だ。一輪の花が表紙になっている。
「はい、時代劇ものでしたよね。浪人が好きな女性を守るために死を覚悟で仇討ちをするといった…確か、映画化されましたよね。その時、あまり読書興味なかったんですけど、若い人気俳優が出演するというので話題になっていたので題名は覚えていました。じっくりと読んだのは最近です」
「そう、5年くらい前に出版されて、時代劇ものとしては、大ヒットした。若い人が買う時代劇小説として脚光を浴びたよ。どこが良かった?」
春原は少し考え
「展開やラストが他の時代劇とは違っていて面白かったです。登場人物たちが活き活きとしていて、心情が丁寧に描かれていました。仇討ちがテーマでしたが、敵が完全に悪ではないところも考えさせる面がありました」
「ありがとう」
「え…」
「この小説は、僕も書いたものなんだよ」
そう言って座った。私と春原は少し顔を見合わせた。その様子を見た楠田隆は「ごめん、混乱させてしまったね。ここまで話してしまったら、しょうがない。信じるかどうかは君たち次第だが、少し話を聴いてくれるかな」と言い話を始めた。
高校で文芸部に所属した僕は、文芸創作の楽しさに目覚めていった。結果も残すことができたしね。
大学に入ってからも文芸サークルに入り創作活動を続けた。コンクールや賞にも応募したけど、高校の時のように結果はでなかった。当たり前だ。プロの世界だから。それでも、自分の書きたいものを書いている満ち足りた時間だった。気に入った言葉があれば、それをメモし、創作のために多くのことを経験しようとした。山のように本も読んだ。僕の大学生活は充実していた。
そんな時、文芸サークルで彼女と出会った。
彼女は小説家を目指しているのだと言った。理由を尋ねると「見返したい」と言った。よく聴いてみると、彼女は幼い頃からいじめられていて、友達が一人もできなかった、ということだった。自分は可愛くもないし、勉強もそこそこ、でも、物語を作ることは上手だった。だから、有名になっていじめた奴らを見返したい、と。
僕は、そんな方法で見返せるのかと少々疑問を感じたが、明確な目標があるのは良いと思った。
だが、彼女の小説はお世辞にも上手いとは言えなかった。発想に光を感じるものの、そのあふれ出る想像力を書ききれていないように感じた。
でも、振り返ってみると僕の作品には彼女にあるものがないような気がした。高校生の時からだが、僕の作品は文章にまとまりがある分、発想力が足りないという弱点があった。徹底的に悪くもないが、人と比べて個性がない。
そこで、僕は彼女に提案した。二人で作品を書かないか、と。彼女の発想力と自分の文章力があれば、良い作品が書けるのではないか、とね。
彼女も乗り気になり、創作を開始した。ジャンルはまだ書いたことがない時代小説に決めた。まったくしたことのない分野の方が、かえって良いのではないか、と思ったからだ。
二人で資料を集めたり、博物館に見学しに行ったりして江戸時代の雰囲気をリアルに描こうとした。日本史の教授に、話を聴きに行ったりもしたよ。
僕は今までよりも、さらに充実した時間を過ごした。小説を書くということは孤独な作業だと思っていたけど、こんな風に分かち合いながらするのも良いものだった。彼女の顔も生き生きとしてきて、明るくなった。
その中で、僕は彼女のことが好きになっていった。うぬぼれる訳じゃないけど、彼女も僕のことを好きなのではないか、と思っていた。動作や仕草でそれが何となくわかったからだ。
ようやく作品が完成した。『いつかこの日の花を見る』だ。二人で何度も読み返して、細かいチェックもした。彼女はあるコンクールにこれを応募したい、と言った。僕はそれを彼女に任せることにした。
そこまで話すと楠田隆は、ため息をついた。春原が身を乗り出す。
「まさか、その彼女さん、作品を」
「そうだ、彼女はその作品を自分だけが書いたものにした」
コンクールの結果が発表された時、僕は驚いた。彼女を問い詰めようかと思ったが、コンクールの発表後から彼女は大学を休んでいた。体調不良のため休学届を出したということを人から聞いた。連絡をとっても返事はなかった。
作品は色々なメディアで紹介されて、彼女のことも紹介された。女子大生が書いたということもプラスしたのだろう。大学でも在学生が、栄えある賞を受賞したということで、盛り上がった。そんな中でとてもじゃないが、あれは僕と彼女の合同作品なんだとは言えなかった。大きな波の中で個人の力はないに等しい。
僕は、しばらく、何もする気が起きなかった。絶望とかではない。どうしてこういうことになってしまったんだ、という疑問だった。彼女を憎む気持ちも沸いてこなかった。
就職活動もする気になれず、ただ生きているだけという状態が続いた。
そんな時、彼女からメールで連絡が届いた。そこにはこう書かれていたよ。
「こんなことをしてしまってごめんなさい。でも、私はどんなに後悔しても、あいつらを見返したかったんです」とね。
僕は彼女と一緒に小説を書いている時、彼女はもう復讐のことなんて忘れていると思っていた。でも、違った。僕は彼女の思いに気付けなかった。
それ以来、彼女から連絡は来ていない。
僕はそのメールを読んで、踏ん切りがついた。就職活動を始め、今の会社に就職した。
先ほど、言ったように、もう小説を書いていない。
楠田隆は話し終え、私たちに笑いかけた。
「すまないね。こんな暗い話をして。なんだか君たちなら僕の話を信じてくれるんじゃないかと思ってしまって。まあ、彼女みたいな人はめったにいないと思うから、安心して創作活動をしたらいいよ」
私と春原は黙って話を聴いていた。
私も楠田隆と同様、彼女を憎む気持ちになれなかった。彼女が可愛そうだと思った。後悔の気持ちと生涯、共に歩まなければならない。
「本を読むのは今でも好きだよ。さっきも言ったけど『アキの友達』はこれまで読んだ小説でトップ10に入る。君の将来が楽しみだよ」
「楠田さん…」
私は意を決したように言う。
「私、ある事情で、本を読めなくなりました。今でこそ、少しずつ読むよう努力していますが、昔のように楽しんで読むことはまだ、できません。小説だってそうです。書くことはもう辞めています。私の書いたものが誰かを傷つけるのではないかということが怖いんです」
春原は驚いたように私を見た。私が初対面の楠田隆に対してこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
楠田隆は少し以外そうな顔をしたが「そうなのか」と言い私の顔を見た。
「松野さん、事情も知らないで色々なことを言ってすまなかったね。でも、これだけは言っておきたい。一度、好きになったものは自分の心から消えるわけではない。忘れたつもりでも心の奥底にあって、ある時にまた戻ってきてくれるものだと、僕は思う。それにね、物語は確かに人を傷つけることもあるかもしれない。ペンは剣より強しとは良くできた言葉だ。剣も多くの人間を傷つけるかもしれないが、ペン、書き物はそれ以上に、人の心を傷つけることもあるからね。だけど、少なくとも僕は君の小説に癒された。それはまぎれもない事実だ。僕もいずれ気持ちが戻ってきたら物語を書いてみようと思っているよ」
そう言いながら楠田隆は立ち上がった。
「長居してしまったね。そろそろ仕事の時間だ」
楠田隆が部室を去った後、春原が私に言った。
「理央が突然あんなこと言うなんて思わなかった。でも、楠田さんに話せて良かったな。楠田さんも色々な経験をして、今があるんだろうな」
「私も、また、しっかりと本読める日が来るかな」
「来るよ」
春原が力強く言った。
窓から夏の日差しが差し込んできた。




